死神の日記帳

卵粥

第1話 とある男の話 その1

 町全体に夜の帳が下りています。それでも町の中は街灯や建物が放つ光によって眩しい程に明るいですね。

 この仕事を始めたての頃は、暗闇の中で煌々と光を放つ町の姿に目を奪われていましたが、今となっては感動も何もないいつも通りの光景です。そういえばこの国には百万ドルの夜景だなんて呼ばれる景色もあるそうですね、何でも電気代がその位掛かっている景色なんだとか。

「……休暇が取れれば行ってみたいものですね」

 溜息交じりに呟きます。外気は冷え切っており、今いる場所も鉄塔の上だなんて変な場所をチョイスしたせいで気温はさらに低いです。人間の身体であれば白い息の一つや二つは出たでしょうね。

 いつも通りにボロ布のような外套を身にまとい、頭にはフードを。そして忘れずに、傍らに置いていた身の丈程はありそうな大鎌を肩へ担ぎます。

「よっぽどのことが無いとこんなもの使わないのに、何で持たされるんですかね……」

 一度忘れて帰ってきた時は大目玉喰らいましたね……。腹立ちましたけれども百パーセント私が悪いです、悪用されたら人が死にますし。

 おかげで減給喰らいましたし、始末書欠かされましたし……それだったら最初から持たせないで欲しいです。

 まあぶつくさ文句言ってても終わりませんし、そろそろ仕事しましょうか。

「あ…………」

 その時、強い風が吹きました。被っていたフードが外れ、片側に寄せて結ばれていた茶色い髪の毛が風になびきます。結び目のところに付けた黒い蝶の髪留めが町の光を反射して輝いていました。

 私たちの職業はみんな同じような格好をしており、体のどこかに黒い蝶のアクセサリーをつけています。私の先輩は黒い蝶のイヤリングをつけていましたね。

 黒い蝶は魂をあるべき場所へと導く案内人なんだとか、私たちの仕事そのものを表す身分証みたいなものなんでしょうね。

 私たち――死神の。



 喧騒に包まれた街の中を歩きます。辺りは人でいっぱいですが、誰も大鎌背負ってボロ布を着ている少女の事など気にも留めません。まるで全く見えていないかの如く。

「まあ見えてたら困りますが」

 通常死神が見える状況というのは、死期が近いことを表しており見えて嬉しいことなんてありません。

 しかしどういう訳かこの世界には身体がどれだけ健康であっても、死神が見える人間がいたりします。

 彼らも、死期が近いという点は同じです。いや、正確に言えば死期を自分の中で定めてしまったと言うべきでしょうか。

 身体がどれだけ健康であったとしても、その中に宿る心が衰弱しきっている人たち。

 そのような人たちも私たちを見ることができてしまいます。恐らく放っておけばそのうち私たちのお世話になるのでしょうね。

 話は変わりますが、私たちは一括りに死神といっても色々な仕事があります。有名なのは、亡くなった人の魂をきちんとあの世まで送り届けることでしょうか。

 以前まではその仕事だけで良かったのですが、近年寿命や病気だけでなく自ら死を選ぶ人間が増加しており、我々死神の仕事が余りにも多すぎるという問題が発生してしまいました。

 そういった問題の解決のために私が今行っているような業務が存在します。本来見えることのないはずの人間が見えなくなるようにサポートをする。カウンセリングという奴ですね。

 日陰役のような存在で地味な仕事ですが、私は案外気に入っています。私たちは別に人間が死んだとしても、嬉しくも何ともありませんし。

 とにかくそんなわけで、私は町の中を適当に歩いていたわけですが。

「……うるさいですねここ」

 喧しいったらありゃしないです。遠くから見た時は光あふれるキレイな印象でしたが、いざ中を覗いてみれば酔っ払いが何だかご機嫌ですし、客引きがそこら中にいますし、学生が集まって騒いでいますし、地獄ですか。

 移動しましょうそうしましょう、そう思って移動をしようかと思ったら後ろからいきなり肩を掴まれました、何ですかやる気ですかこの野郎。

 そう思い若干切れ気味で後ろを振り返った時にふと思い出します。

(あれ、何でこの人私の事見えてるんでしょう)

 そこには顔を真っ赤にした酔っ払いがいました。酒の飲みすぎで寿命が縮んで見えちゃってるとかないですよね。

「へ……へへへ嬢ちゃん……こおんな所でなあにしてんだ?」

 酔っ払ったスーツ姿の青年はふらふらとしながら、どうにかこうにか喋っている印象でした。あと酒臭いです。

 私が嫌悪感を露にしていると青年も露骨に機嫌が悪くなります。

「んだよ……お前も俺をそんな目で見んのかよ……クソが……!」

 そのように呟くと口元を抑えてうずくまってしまいました、飲みすぎですよ……。

 まあ訳アリ、というかどうも仕事の予感がしたので話を聞くとしましょうか。

「事情は分かりませんが、良ければお話聞きましょうか?」

「あ……?あんだよ急に。あんた、ひょっとして援交のおさそ……」

 私は優しいので背中を蹴りつけて出すもん全部出してあげました。



「ほら水です、……少しは落ち着きましたか?」

「あ、ああすまない。ありがとう……」

 その後私はゲロ男さんを連れて近くの公園へと来ていました。本来は子供たちの遊び場として賑やかなはずのこの場所も、今は静寂に包まれています。

 ちなみにゲロ男さんに対する周りの反応は淡白な物でした、見えていないのかそれとも見えたうえでの放置なのか。何にせよそれが日常なのだとしたら、あの町はいつかゲロまみれになりそうですね。

「ええとそれで、あんたはいったい何なんだ?さっきは気付かなかったけど、よく見たら背中に無茶苦茶物騒なもの抱えてるし……」

 おやおや後ろから声掛けたくせして鎌に気付いてなかったんですか。私がただの危ない奴だったら切られてましたよ。

「クロハです、見ての通り死神をしています」

 そう言って私は水のついでに買った、暖かいお茶を飲みます。別段暑さも寒さも苦では無い体ですが、何となく暖かいほうが嬉しいですね。

 しかし何を言っているのか分からないのか、分からないままでいようとしているのか、彼の表情はポカーンとしていました。

「死神って……死神か?」

 何ですかその質問、意味分かんないですね。気持ちは分かりますけども。

「んー、普通じゃないというところを手っ取り早く見せられれば良いのですが……」

 すると視界の端に若い男が一人、通りがかりました。丁度良いですし彼を使って証明するとしましょう。

 私は立ち上がると両手をメガホンのようにして叫びます。

「助けてくださああい!襲われそうでええす!」

「何てこと叫んでんだお前はあああ!?」

 慌てて立ち上がるゲロ男さん、しかし慌てているのは彼だけです。通りがかりの男も視線は突然慌てだした変な男に向けられているだけです。

 当然ですよね、私の声も姿も認識されていないのですから。彼の死期が近ければ危なかったですけど、そんなことも無さそうですね。

 結局その男は変な男と関わるまいと思ったのか、足早に公園を去っていきました。ゲロ男さんは未だに冷や汗を流しておりますけれども。

「え……何で……どういうことだ……?」

「死神なんですから、死期が近い人にしか姿は見えませんし声も聞こえませんよ」

 彼には私が持っていたお茶しか見えていませんし、それもベンチに置いてありますから何ら不自然ではありません。

 そういうものなのか、なんて言っていますけれどもそういうものなんです。

 そしてゲロ男さんは気付いてしまったようです、自身の運命について。

「…………あれ、その理論だとまるで俺が死ぬみたいに聞こえるんだけども?」

「まあ放っておけば長くても一、二週間後には死ぬんじゃないでしょうか」

 私は淡々と言い放ちましたが、ゲロ男さんは吐く寸前のように顔が青ざめていました。

「え……何だよ、何かの病気とかで死ぬのか!?」

「そうですね……強いて言うのであれば心の病でしょうか」

 病気にかかった人間が私たちを見るときは、本当に弱り切ってもうだめかもしれない時です。つまりこれから死ぬかもしれない病気にかかるかもしれないというだけでは、私たちを見ることは出来ません。

 放っておくと彼は短ければ二、三日後に死にます、自らの意思で。その段階でようやく彼ら人間は私たちを見ることができます。

「何か精神的に追い詰められていることがあるんじゃないですか?」

 そう言うと彼は分かりやすく表情を変えて、持っていたペットボトルを強く握りしめていました。

「……じゃあ何だよ、あんたが俺の悩みを解決してくれんのかよ?」

 おやおや誰に物を言ってるんですかねこの人は。

「それが私の仕事ですから」

 一般的な認識による死神の仕事かどうかは微妙ですけどね。

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