海賊の夜

石壁モノ

海賊の夜

 夜の帳が街を覆う。活気ある港も、夜になればさすがに静かである。

 屋台が軒を連ね、掛け声に耳が痛くなりそうなほど騒々しかった表通りも、今は人の気配などなく、黒猫が一匹魚を咥えて横切っていくだけだ。

 猫はそんな寂しい通りを一人で歩いている影を見送り、すっと細い路地に姿を消した。


「……」


 影は一人で歩いていた。留まることはないが行く当ても無い様で、ただゆったりと人気のない通りを歩いているだけだった。

 通りの街灯が影を照らす。外套を羽織った青年が影の中から姿を現す。几帳面さを窺わせる整った身なりと佇む姿勢、そして何よりも片眼鏡の奥のアメジストの瞳が放つ光が、彼の高い知性を物語るようだった。

 彼はその瞳で夜空を睨みながら、大層不機嫌そうな顔でため息を吐いた。


「……くそっ! ロレンめ……何が『海賊としての常識を身に付ける』だ!!」


 と、言うのもつい先程のことである。


「ラルスちゃん。い~いとこ連れてってやろうか? 海賊っていうのは陸に上がった時にいくらばら撒けるかで価値が決まるんだぜ。お前さんもその辺をきちっと理解しといたほうが良いからな。男を上げるチャンスでもあるんだ!」


 そう言って彼……ラルスの腕を引き、海賊ロレンティウスは暗く細い路地に隠れるように取り付けられた扉を開いた。

 むっと篭った空気は得体の知れない甘い匂いがして、たいした明かりもない室内はやっと人の顔がわかる程度の明るさしかない。入り口あたりはホールになっているが、暗いせいで周りを確認しきれない。唯一確認できたのは、壁際に大きめのソファが置いてあることくらいだ。

 入り口のそばには小さなカウンターがあり、少しばかり薹が立った女がそこで紫煙を燻らせている。

 ロレンは女に近寄ると、なにやら小声で耳打ちをした。何も言わずにニンマリと笑みを残していった女を見送りながら、ラルスはロレンに声をかけた。


「ここはいったい何なんだ? 見たところは宿……のようにも見えるが」


 玄関のホールから見える廊下には足元が確認できる程度に明かりが灯され、いくつも扉が並んでいる。一般的な宿によく似たつくりの建物だ。普通の宿屋と違うのは、その異様な雰囲気くらいなものである。それゆえに、この場がどういうものなのか、ラルスには見当がつかなかった。


「わかんねえか。ま、ここは他と違ってちょいと変わったスタイルだからな……とにかく、ちょっと待ってろよ。いーいところだぜ、ここは」


 ロレンはへらへらと曖昧に返すだけで、教えようとはしない。

 更に問おうとラルスが口を開くとほぼ同時に、奥の部屋から先程の女が顔を出した。暗がりで手招きをしているのが見える。


「おっ、準備できたみたいだな。行こうぜ! さてさて今日はどうなるかなっと」


 ロレンに手を引かれ、不承不承後について部屋に足を踏み入れたラルスの目に飛び込んできたのは、白く艶かしい肌に絡めるように薄い衣装を纏った、あられもない格好の女達の姿であった。


「あらぁ! ロレンさんお久しぶりぃ!! ここんとこ、ずっと来なかったじゃない」


「ねーえ? 私のこと、忘れてないわよね? 寂しかったんだからぁ」


「ロレンさぁん、見てほら、あなたがあんまり来ないから、私の胸膨らみすぎちゃってすごいのよ」


「あらま、そっちのお兄さんは? 見ない顔だけど新入りさん?」


 わっと女達が海賊二人に群がる。

 急な出来事に面食らっているラルスをよそに、ロレンは涼しい顔で広げた両腕に女達を抱え込む。きゃあと歓声を上げる女達を調子よくからかいながら床に敷かれた安物の絨毯に寝そべったロレンを睨みつけたまま、ラルスは入り口から動かないでいた。


「ここはさ、女じゃなくて部屋を選んで遊ぶ宿なんだ。日毎で部屋のお嬢さんたちが入れ替わるから、誰が相手してくれるか客にはわかんねえんだ。ギャンブルみたいで面白いだろ……おろ? そんなところで何やってんだよ、ラルス。お前も混ざれって!」


「……馬鹿馬鹿しい」


 だらだらと体どころか鼻の下まで伸ばしきった目の前の男に、軽く殺意を覚える。嫌な予感を抱えながらも小さな期待に唆されてのこのことついて来てしまった自分に対しても、やり場の無い怒りが湧き上がってきた。

 周りの女達にもだ。金を落とすならどんな男にでも甘える女達が酷く汚らわしい生き物に見える。寝そべる海賊の頬や髪を撫でるそのしぐさが、ラルスの神経を逆撫でするのだ。


「僕は先に帰るぞ。こんなところで無駄な時間をすごしてる暇なんて無いからな」


「あらぁ、そんなこと言わないでゆっくりして行ってよ。お兄さん、綺麗な顔してるから、たくさんサービスしてあげるわよ」


「そうよぉ、貴方、ここ初めてでしょ? 忘れられないくらい楽しい思いさせてあげる」

 

 両脇から猫のような甘え声で絡みながら、女達がラルスの腕を取った。背を撫でられ、胸を撫でられ、耐え難い不快感がラルスを襲う。

 たまらず振り払おうとすると、背中側にまわっていた女が動きを封じるように抱きしめてきた。


「大丈夫よそんなに怖がらなくても。ここにいるお姉さんたちは、みーんな優しいお姉さんばっかりだから」


「そうだぜラルス。楽しめよ! もっとこう……お前、肩の力抜いたほうがいいって! こっちに来て寝そべってみ」


「……」


 頭の中、ぶちりと不気味な音が頭蓋の裏側を伝って耳に届いた。

 暢気に誘うロレンの声に、ついにラルスの堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。抵抗を止めてすっと体の力を抜いたラルスを訝しげに見上げた女達の顔が一様に凍る。決して鬼の形相だったわけではない。むしろ、眉間にしわも寄ることなく、一見すれば何も感情の宿っていない真顔そのものだったはずだ。

 しかしラルスの片眼鏡の奥、アメジストの瞳には影が下り、見返す視線は殺気と呼ぶには生温いほどに恐ろしい気配を孕んでいた。

 そそくさと逃げ出してロレンの後ろに隠れた女達を一瞥して、ラルスは静かに部屋を後にした。出て行く後ろでロレンの声を聞いた気がしたが、そんなことはもうどうでもよかった。

 もう二度と奴の怪しい誘いに乗るものか。ラルスの足は暗い路地に硬い音を響かせた。背中から肩、胸にまで這い回る怒りを潰さんと歯噛みしながら、のぼせた頭を冷やすために当ても無くさまよっていた。


 そして今に至る。

 体に纏わりついた安物の香水の匂いが離れず、ラルスは服の匂いを嗅いでは眉をしかめた。これでは頭を冷やそうにも、匂いで怒りがぶり返してしまう。

 いっそ腹いせに何か爆破してやろうかと物騒な考えが頭をよぎった時、微かに悲鳴のような声がラルスの耳に入り込んだ。

 耳を澄ます。やはり途切れ途切れに、男の悲鳴と罵声が聞こえる。どうやら喧嘩のようだ。酒の席で諍いでも起こしたのだろう。

 普段なら他人の事情など全く気にも留めないラルスだったが、色々ともてあましている今、もしかしたら丁度いい腹いせの道具になるかもしれないと、その喧嘩の現場を覗いてみようと思い立った。少し足を速めて、声の主達を探してみる。時々立ち止まって声のする方を確認しながら進んでいくと、やがて港近くにある、大きな石造りの廃墟に辿りついた。声は先程よりも大きく聞こえる。間違いなくこの中だ。


『あるじ様。危のうございませんか? わたくし、何やら嫌な予感がいたします』


 ラルスの頭の中に声が響く。いつも肩にしがみついている使い魔の栗鼠、ラタトスクが語りかけてきたのだ。忠実な従者の空気を震わすことの無い声はしっかりとラルスの脳内に直接響いたはずだが、ラルスは歩みを進めた。


『少し様子を見るだけだ。危なそうならさっさと逃げる』


 声には出さず心の中でそう返事をしてやると、ラタトスクは何も言わなくなった。折れない主のために何があっても全力で守る覚悟を決めているのかもしれない。

 極力音を立てずに、盗みを働く猫のようにしなやかに廃墟に忍び込む。中は暗く、足元は小さな瓦礫がごろごろと転がっている。相当注意していないと足を取られてしまいそうだ。先程まで聞こえていた男達の声は今は聞こえず、外の雑音ばかりが耳にうるさい。もう喧嘩は済んでしまったのだろうか。

 あたりに気を配りながら壁に張り付いて息を殺し、じりじりと奥へ進んでいくと。


「うわ、あ、ああああああ!!!」


 急に男の悲鳴が上がった。同時に奥の部屋に明かりが灯る。ラルスがそっとその部屋を覗き見ると、四方八方、床に折り重なって倒れている男達の姿、そして何より部屋の中央で派手に燃えているそれに目が釘付けになる。


「ぎゃああああああ!!!」


 部屋の中央、周りに倒れた男達を照らしながら燃えているのは、それもまた男。火から逃れようと必死に手足をばたつかせているが、背の高い影に胸ぐらをつかまれて高く掲げられ、逃げようにも逃げられないようだ。

 男を掲げて自らの腕も火に焼かれながら全く身じろぎすらしない影は、男が騒ぐのを止めると手を離す。同時に影の腕に纏わりついていた火はふっと消えてしまい、床に落ちて未だ燃えている男の火が影の姿を浮かび上がらせた。


「脆いもんだねぇ。烏合の衆とはよく言ったもんだ。これだけ数がいても少しも楽しめない」


 緩くうねる深紅の長い髪、伏せた長い睫毛の下の瞳は照らす火と同じ色で、形のいい顎の下に視線を下ろしていくと、男達を魅了してやまないであろう豊かな乳房を窮屈そうにベストで押さえつけているのが見える。女だ。

 女は燃える男をしばらく見下ろした後、急に部屋の入り口に向かって…隠れているラルスに向かって声をかけてきた。


「そこにいる小鼠は何の用だい? 火鼠になりたいなら協力してやってもいい。なりたくないなら、さっさとこっちへ出ておいで」


 小鼠と呼ばれたことに少し腹を立てながら、ラルスは大人しく女の前に姿を現した。見つめる女はラルスよりも頭一つは背が高く、近寄ったラルスのことを興味深げに見下ろした。


「おや。随分と利口そうな坊やじゃないか。こんな時間にここで何してるんだい? 悪い奴らに絡まれちまうよ」


「……悪い奴ら……ね。床に転がってるのはその“悪い奴ら”なのかな。見たところ、こいつらは街のチンピラ連中のようだが……ご婦人に襲い掛かるとは見下げた連中だ」


 肩をすくめたラルスの言葉に、女は薄い笑みを浮かべただけだ。足元の黒焦げの“見下げた連中”の一人を足でつつきながら、女は窓の外を見やった。


「お前さんに少し話があるんだが、どうやらそんな悠長なことしてる暇は無いようだね」


「話……?」


 ラルスが聞き返そうと口を半分開いたところで、廃墟の入り口あたりが騒がしくなり始めた。複数人の走る足音と、怒鳴る声とが奥の部屋にまで聞こえてくる。


「ローストチキンのおかわりってところか。料理してやったところで後から増えてくるんだからキリが無い……とっととズラかるとするかね。坊やもついてきな」


「は?」


「言ったろう、話があるってね。ほれ、奴ら中に入ってきたよ。こっちだ、走りな」


 女は部屋の奥の通路から見える、大きな穴から外へ飛び出して行った。後ろではドヤドヤと殺気だった男達が家捜しをしている音が聞こえる。

 どうやら面倒なことに巻き込まれてしまったようだ、とため息を吐きながら、ラルスは女の後を追いかけて外へ出た。女と共に廃墟の裏から藪を抜けて路地に出ると、数人の柄の悪そうな男達が目ざとくラルス達を見つけて叫んだ。


「いたぞ!! こんなところにいやがった!!!」


 間の悪いところに出てきてしまった。丁度別行動でもしていたのだろう。叫ぶ男達の声を聞いて、廃墟に入り込んでいた男達も駆けつけてきているようだった。路地の裏に回りこんで様子を見るが、追っ手はしつこくあたりを探し回っているようだ。


「チッ 面倒だな……」


 どうせ群れているのは雑魚ばかり。幸い武器は携帯していることだしと、ラルスが腰に下げた鞭に手をかけた、その時だった。


「いよう! お困りみたいじゃないの、ラルスちゃん!」


 聞きなれた声が頭上から降ってきた。確認しなくても分かる、気の抜けたような男の声。ラルスが顔を上げる前に、その声の主は一段高くなった壁の上から飛び降りてきた。若草の長髪がばさりと音を立てる。ニマニマと締まりのない顔をしているのは、その笑顔の裏に狂気を隠した海賊。先程ラルスが呆れて置いてきたはずの、ロレンだった。


「相棒のピンチに颯爽と駆けつける俺。かっこよくない?」


「馬鹿なことを言ってないで、助ける気があるなら何とかしろ」


「ううーん、つれないね。もうちょっと感動しろって。わざわざ借りた部屋キャンセルしてまで来たんだから…」


「遊んでる暇なんか無いよ、坊やたち。じゃれるなら後にしな」


 女の言葉の通り、追っ手はすぐそこにまで迫ってきている。こっちだ、と先導するロレンについて路地をだいぶ走ったところで物陰に身を潜め、三人は一息ついた。


「はあ。とりあえず、ここまでくりゃ見失ってるだろ……それで、うちの船員が何かご迷惑でもおかけしましたかね? 白鷹のお姉さん」


 ロレンの一言でラルスは女を凝視した。白鷹といえば、青蛇、紅蜘蛛に並ぶ大物の海賊である。同じ船に乗る船員から噂は聞いていたものの、まさか目の前の女がその白鷹だとは思いもしなかったのだ。うっそりと笑う女には刺すような覇気など感じられず、ただ怪しさと艶かしさだけが彼女の周りを漂っているだけだ。


「なぁに、最初はただの偶然さね、“魔弾の射手ロレン”。いつかは会ってみたいと思ってはいたが……それよりも、ちょいと頼みたいことがあるんだがね」


「さっきの話というやつか?」


 ラルスが問う。しかし白鷹は首を左右に振った。どうやら事は少し複雑らしい。


「それはまた後だ。先に鬱陶しいチキン共を何とかしたいのさ。手伝ってくれないかね? もちろん、ただとは言わないよ」


 白鷹が言うには。

 先程から三人を追ってくる連中はこの街で暗躍するマフィアのような組織で、たまたま街にやってきた白鷹の首にかかった賞金が目当てで、こうして多勢で追い回しているという。初めは適当に捌いていたが、あんまりにもしつこく追ってくるため、そろそろ痛い目にあわせておきたいと。

 自分の仲間達を連れて真正面から向かってもいいのだが、できることなら大事な仲間達を余計なことで危険な目にはあわせたくないと言う。


「それで僕たちの手を借りたいというわけか。しかし分からないな……チンピラ風情、ほうっておいてさっさと航海に出てしまえばいいんじゃないか?」


「海に出るのも色々と準備が要るだろう。奴ら、ここいらの商人に裏から手を回してるみたいでね……とてもじゃないが、まだ出られる状態じゃないのさ」


「そいつぁ酷い話だね。白鷹の姐さんも可哀想だが、裏でいじめられてる商人の皆さんも可哀想じゃないの」


 そうは思わないか?と同情の泣きまねを交えつつ、ロレンはラルスの肩に手を置いた。それを軽く手で払いながら、ラルスは白鷹を見据える。


「確かにそれは難儀だろう。だが、僕らには関係のない話だ」


「おや、もう十分関係してるさ。お前さんたちも賞金首だからね。向こうからしてみれば、鴨に野菜と食器までついてきてるようなもんさね。おそらく、あたしの頼みを蹴ったところで奴らに狙われるのは変わらんだろう」


 ラルスが頭を抱える。横で、ロレンは相変わらずニマニマと頼りない笑みを浮かべている。どのみち追われるならば、協力して潰してしまったほうがいいのかもしれない。


「……どうするんだ、船長」


「どうもこうも、白鷹の姐さんの出港準備に邪魔が入ってるなら、俺たちの邪魔もしてくるでしょうし。とことん潰してやっちゃうか!」


 そう言ったロレンはガラクタが散らばった路地の更に奥、立てかけてある朽ちかけた木材に顔を向けた。


「どうだよジャーナル。いいネタ拾えたか?」


「―はい」


 木材が返事をした。……わけではなく、その影に立っていた人物が声を返したのだ。小柄なその人物は何故だか妙に印象が薄く、言われなければその場にいることすら気がつかないほどに陰に溶け込んでいた。ラルスもロレンが声をかけた時、初めてその存在に気がついたくらいだ。同じ船に乗る仲間だというのに、相変わらず正体のよく分からない人物だ、とラルスは首を傾げた。

 ジャーナルは懐から小さな紙を取り出すと、手に持っていた水筒の水を少しだけかけた。じんわりと文字と地図のようなものが浮かんでくる。


「組織の頭の名は“ユルゲン・シュミーデル”。かなりの業突張りで、一度決めたことは何があっても曲げないそうです。交渉は難しいかと……」


「交渉ができないってんなら、海賊の流儀で行くしかねえだろ! どうやら小金も貯めこんでいらっしゃるような気配ですし? 遠慮はいらねえな」


 ロレンの緩んだ笑顔は先程と違って、喉の奥から狂気を吐き出しているような、歪んだ享楽を求める悪党のそれだった。隣でそれを見つめるラルスの内にも、愉悦を望んで逸る心をやっと抑えている自分がいた。


「それで? 作戦はどうするんだ?」


「そりゃあもう、単純明快だろ。俺たちのやり方っつったら。なあジャーナル、お前のことだから、もう既に火薬衆には伝わってるんだろ?」


「ユルゲンの屋敷の近くに呼んでおきました。すぐに動けるように準備してくれてるはずです」


 さすがヴィーヴル海賊団自慢のジャーナル、とロレンは手を叩いて褒める。火器の扱いを任されている火薬衆を使うということは、おそらくはそういうことだなとラルスは察していた。自然とこみ上げてくる笑いを噛み殺したつもりでも、抑え切れない喜びが体に震えまで起こしているのがわかる。


「仕掛けは僕に任せてくれ。僕の専売特許だ」


「相談は済んだかい? ならさっさと仕留めて来ておくれ。あたしは別の用事があるから、ここで別行動だがね」


「へ? 別の用事?」


 聞き返す声に答えは無く、白鷹は何を考えているのか読めない笑みを残して走り去っていった。残された海賊達が呼び止める隙もくれず、女海賊は暗闇に姿を消してしまった。


「……まあ、心配はいらねえだろうけど……なんかひっかかるな」


「僕たちは僕たちの仕事をするだけだ。探りを入れるのは専門家の仕事だろう?」


 ラルスがジャーナルを振り返る。ロレンも苦笑いをしながら、ジャーナルに一言「頼めるか?」とだけ聞いた。ジャーナルはこくりと一つ頷くと、白鷹が走り去っていった先の闇に溶け込んでいった。あまりにするりと姿を消したので、まるで影の住人のようだな、とラルスはジャーナルが消えていった真っ暗い路地を見つめていた。


「よし、そんじゃま、俺たちも行くかね!」


「分かっているだろうがロレン、仕掛けが済むまで目立つ行動はしてくれるなよ。火薬はお前と違ってデリケートだから、速さばかりを求めていい加減な扱いはできないんだ。すぐに機嫌を損ねるからな」


「なにそれこわーい! なんかお高くとまったお姉ちゃんみたいじゃん」


 それなら慎重にならねば。まずその為にも早々に仲間と合流して目的地に忍び込むとしよう。そう確認しあって、ラルスとロレンは追っ手の男達に見つからぬよう細心の注意を払いながら暗い夜道を走って行った。





 家屋が並ぶ街の中心から少し離れた、木がまばらに背を伸ばしている平地。目的地のユルゲンの屋敷はそんな人が好んで来ることもなさそうな、静かな場所に建っていた。業突張りのならず者ならば、それなりに見栄を張って豪華な屋敷を建てているものだと海賊達は思っていた。しかし目の前にある屋敷は、大きさこそ一般的な家の三、四倍は優にあるものの、造り自体は実に質素なものだった。噴水や彫像のような金持ちらしい飾り物など一切無く、庭には申し訳程度に庭木が植えられ、屋敷を囲む黒い飾り鉄柵には雑草と思しき蔓が巻きついている。

 唯一その屋敷が街一番の悪人の家だと見て取れる要素は、入り口に物々しい雰囲気の大男が二人、見張りに立っていることくらいなものだった。


「あら。なんか予想と違うな……もっとこう、キンキラキンのすっげえ家だと思ってたんだけど」


「ふむ……意外と気の小さい悪党みたいだな。あんまり街の連中を煽るような事をしたくないだけだろう。力の弱い街人でも、大勢群れれば十分に脅威だ」


 ラルスの言葉に、そういうものかねと返したロレンはそれ以上屋敷については興味を示さなかった。

 ラルスとロレンは暗闇に紛れて少し離れた場所に潜んでいた火薬衆と合流し、早速屋敷にいるであろうユルゲンを倒す計画を練った。幸い、白鷹を追って手下の多くは出払っているらしく、屋敷の見張りは手薄。仕掛けをするには絶好のチャンスである。

 巣に篭った鼠を払うなら、火を焚くのが手っ取り早い。ラルスは己の指揮する火薬衆の面々と顔を寄せ合って作戦実行のための下準備をしていた。


「屋敷の裏と、ここ…それからここ、手順は今説明した通りだ。僕はロレンと共に中の仕掛けに行く。仕掛けが終わり次第、船に戻って残党の襲撃が無いか警戒してくれ」


「任せてください! 完璧にやってみせますよ!」


「あらまぁ、まるで軍隊さんみたいね。頼りがいがあるわー……そんじゃあ、あとはお前らに任せるぜ。無理はすんなよ」


「へい、お頭!」


 威勢よく返事をした火薬衆の面々と別れ、二人は屋敷の入り口側に回り込んだ。

 一箇所だけ、どうしても外の仕掛けでは届かない場所がある。その場所にだけは中から仕掛けを施して補うしかない。仕掛けが作動するのは三十分後。それまでに中の仕掛けを完成させて、屋敷を脱出しなければならない。短時間で細工が出来てそれなりに戦闘力もある潜入役というと、やはり火薬使いの錬金術師、ラルスが適任だった。こればかりは仕方ないと、ラルスは腹をくくる。

 目的はユルゲンをあぶりだすこと。そして、できれば殺すこと。邪魔になるなら消えてもらうのが海賊のやり方だ。


「ジャーナルの調べだと、ユルゲンはいつも屋敷の真ん中のでっかい部屋で酒飲んでるみたいだな……優雅なこって」


「とにかく、屋敷の中に仕掛けを施さないと……どうやって見張りの目を避けるかだな」


 正面の入り口の明かりの下には二人、壁のように屈強な魔法生物として有名なゴーレムと並ぶほどに立派な体格の男が仁王立ちしている。ロレンの魔弾ももしかしたら弾き返すのでは、と心配になってしまうくらいだ。

 悩むラルスの肩をつかんで、ロレンは自慢の魔銃を構えて笑ってみせる。


「なぁーに心配すんなって。俺様にかかればこれくらい……」


 魔銃になにやらゴソゴソと細工をして、ロレンは見張りに狙いを定めた。放たれた銃弾は普段よりもずっと静かに、かつ速さを失うことなくほとんど同時に一人は眉間、続けてもう一人のこめかみを撃ち抜く。無駄のないその技術に、ラルスはほうとため息を漏らした。


「暗殺用の細工もあったんだな、その銃」


「あると便利なんだよ……さ、ばれる前にさっさと終わらせちまおうぜ」


 足音を忍ばせて、二人は屋敷の中の様子を窺う。窓から覗き込んだ玄関ホールは、明かりは灯されているが人気はなく、入っても大丈夫そうには見える。このまま入ってもいいものかどうか、死角から敵が出てくる可能性は大いにある。ラルスが逡巡する横で、ロレンはためらいなくドアに手をかけた。


「お、おいロレン! まだ中に見張りが……」


 ロレンはラルスの静止を聞かず、ドアを開けて中に滑り込んでしまった。舌打ちをしてラルスも続く。

 運のいいことに、玄関には誰もいなかった。視界に入る廊下やホール二階に続く階段等にも人の気配はない。ラルスの横に立つロレンはきょろきょろとしきりに周り、特に外を気にしているようで、不用意に扉を開けたことに対して文句を言おうとしたラルスは首を傾げて、様子のおかしいロレンを見つめた。


「……どうしたんだ、何かあったのか?」


「……お前気がつかなかったのか? 俺が見張りを撃ち殺したあと……窓から中覗いただろ? その時だよ。後ろから……多分後ろからだったな。確かじゃねえけど……ものすごい殺気とか、なんかそういう気持ち悪い気配を感じたんだ」


 そう言うロレンは青い顔で冷や汗を流していた。ロレンの言うような不気味な殺気など、ラルスは全く感じていなかった。あっただろうかと思い返してみても、記憶には残っていない。


「俺の気のせいならいいんだけどさ。やばい奴が来ないうちにさっさと済ませちまおう」


 そう言ってロレンは警戒しつつ、目的の部屋を目指して足を速めた。ロレンの言葉に不安を感じつつも、ラルスには警戒以外の何もすることが出来ないのが歯痒く感じられた。どうすることも出来ずに苛立ちながら、ロレンの後を追うしかない。

 先のジャーナルの調べのおかげで、目的の場所までは真直ぐに進んでいける。途中に見張りがいるなどの障害もなく、すんなりと辿りつく事が出来た。

外の壁に接していないユルゲンのいるであろう部屋の壁に、仕掛けを施そうというのだ。


「特に何も邪魔はなかったな……逆にそれがこええんだけど」


「用心するしかない。ロレン、僕が仕掛けをする間、背中を頼む」


「合点承知の助!」


 早速廊下からちょうど死角になっている、大きな彫像の影に仕掛けをし始めたラルスをかばうように立ったロレンは、背後で目も耳も限界まで神経を張り詰めているようだ。

 時間はあまりない。急いて焦る気を落ち着けながら、ラルスが仕掛けに取り掛かった瞬間。


「あれは……!! 伏せろラルス!!」


 言うが早いか、ロレンがラルスの頭を床に押し付け、ほとんど寝転がるようにして何かを避けた。何がなんだか分からないラルスに分かったのは、床に押し倒された瞬間、頭の上をかすっていった何かがあったのと、それが屋敷の壁を破壊したということだった。壁は大きな音と共に抉られ、あたりに粉塵を撒き散らした。


「な……!? 今のはいったい」


「言ってる暇はねえ、逃げるぞラルス!!」


 ラルスを抱えたまま走り出したロレンめがけて、壁を破壊したのであろう何かが再び放たれたようだ。寸でで部屋のドアに体当たりしたロレンはそのままラルスと一緒に部屋に転がり込む。

 そこは例の、ユルゲンが好んでよくいるという部屋だった。


「ようこそ、ヴィーヴル海賊団の紳士方」


 男の声が聞こえる。張りのある、中年の男の声だ。床に転がったラルスが顔を起こして見やれば、部屋のほぼ中央、大きなシャンデリアの真下で、背の高い男がにやりと不敵に笑いながら立っている。


「我が屋敷はいかがかな? 船とは違った趣があっていいものだろう」


「あー……そうね。広くて使いきれそうにないところは羨ましいよ。おたくがユルゲンさん?」


 苦笑いをしたロレンの問いに、ユルゲンらしき中年の男は微笑みだけを返した。芝居がかった大げさな動作で礼をした男の背後に、なにやら不気味な影がゆらりと現れたように見えて、ラルスは目を細めた。確かに何かいるようなのだが、その場所だけ黒いもやがかかって見えない。


「せっかく来て頂いたというのに、私はもうここにはいられなくてね。代わりにいい遊び相手をご紹介しよう。君たちのような野蛮な海賊には、やはり同じ野蛮な人種がちょうどいいだろう」


「いやいや、そう言いなさんなって。俺たちはおたくに用が……」


 ロレンの口が止まる。ユルゲンらしき男の背後を見たまま、ロレンは身動きすらしない。何事かとその顔を見たラルスの目に、恐怖に呑まれて青ざめたロレンの横顔が映る。彼の視線の先、揺らめく黒いもやの中に立っていたものは。


「紹介しよう。彼は巷で有名な賞金稼ぎでね。名をヴァルナー……“死神”の異名を持つ優秀な用心棒だよ」


 黒いもやの中。白い滝が人の形に添って地に落ちている。骨の色をした滝は細く流れる人髪だった。隙間から覗く目は底のない井戸のように黒く、見るものに得体の知れない恐怖心を与えた。半顔を覆った眼帯には、呪術で使うような文様のようなものが描かれている。見るからに異様な雰囲気を放つその人物に圧倒され、ラルスもロレンと同じく、顔を青くして立ちすくんだ。

 目の前の人間は人間には見えない。紅蜘蛛や青蛇が持つ覇気とは全く異質の気配に押されて、海賊達は動けないでいる。


「ヴァルナー、あとは任せるぞ。……それでは紳士方、ゆっくりして行ってくれたまえ!」


「! ま、待て!!」


 走り去るユルゲンの声に我に返ったラルスが後を追おうと一歩踏み出したと同時に、またも何かが目の前をかすめていった。ラルスの目にその正体は映らない。映るはずもない。かすめていったのは不可視の刃なのだ。


「……あの剣か」


 刃を放ったのは、ヴァルナーと呼ばれ残された用心棒だ。その右手には、ラルスの見たことのない文様の描かれた、独特の形状の剣が握られている。


「……よう、アンタどこかで見たことあると思ったら、アレだろう。“魔弾の射手ロレン”だろう」


 ヴァルナーが口を開いた。生気のない外見とは裏腹に、若い男の強い声色だった。呼ばれたロレンは面食らいつつも、ヴァルナーに銃口を向けた。


「……だったらどうだって言うんだい? サインでも欲しいか?」


「いんや。俺が欲しいのは金さ。……船が要るんだ。どうしても先立つものがないと話にならんのさ。だから……」


 ヴァルナーが剣を水平に掲げる。周りを漂う殺気は濃さを増して、人ならざるものが住むという魔の国の瘴気のようだ。思わず顔を歪めて防御の姿勢を取ろうとしたロレンに、ヴァルナーは二足で吐息が感じられるほど近づいた。ほんの一瞬で、だ。


「アンタの首が要るんだよ」


 握られた剣が部屋の明かりを反射して不気味に輝く。薙いだ軌跡は確実にロレンの首を捉えていた、はずだった。

 間一髪、ロレンは床に引き倒されて、首と胴体が切り分けられるのを避けた。ロレンの長い髪の毛をつかんで、ラルスが真下におもいきり引っ張ったのだ。


「いっでええええ!!! でも助かった!! サンクスラルス禿げるかと思った」


「ふざけてる場合か!! 援護しろ!!」


 ラルスの武器、漆黒の火鞭が床を打つ。たちまち巻き上がる爆炎は、ヴァルナーにラルスに対する警戒心をもたらした。飛び退ったヴァルナーに向かって、ロレンの二つ名の元である魔弾が襲い掛かる。しかし、弾はヴァルナーの剣によって全弾防がれてしまう。


「ひょええ、なんだあの剣……こちとら魔法のかかった武器ですよ」


「簡単だ。向こうの武器にも魔法がかかってるだけだ」


 ヴァルナーの持つ剣にうっすらと白く煙のようなものが見える。どうやら刀身に冷気を纏い、魔力をこめて振るえば先のように見えない冷気の刃を撃ちだす事が出来る剣のようだ。ラルスが分析している間にも、ヴァルナーの攻めは止まらない。距離をとれば例の不可視の刃、ある程度近づけば斬撃で攻撃してくる。なるべくつかず離れず、ラルスは鞭を振るう。


「アンタの武器、おっかないな。俺は火が苦手なんだ。昔船を焼かれて怖い思いをした」


「貴様は船乗りか。なら何故陸で賞金稼ぎなんかしてるんだ」


 ラルスの問いに、ヴァルナーの攻撃の手が止まる。ふっと目を泳がせたヴァルナーは天井を仰いで、何かを思い出しているようだった。


「ああ……船が俺を置いて行っちまった。仲間が俺を海に落としたんだ。いつでも一緒の親友だったのに、俺だけ置いて行っちまった」


 ラルスの目には、ヴァルナーが泣いているように見えた。少し震えた声で放たれた言葉に、ヴァルナーの悲しみを見たのだ。海に生きる者の末路のようなものを垣間見たその時、背後から破裂音が響いた。

 ヴァルナーの左肩が弾かれ、鮮血が飛び散る。衝撃で床に倒されたヴァルナーを撃ち抜いたのは、ロレンの魔弾だった。


「なんだかよくわかんねえけど……あんたの事情で俺の命をくれてやるわけにはいかねえんだ。俺だってまだやることが残ってるんだ」


「……ああ、そうだろうな。俺の取ってきた首の持ち主は、みんな同じこと言ってたよ」


 ヴァルナーの殺気が膨れ上がる。ロレンを睨む目には激しい怒りと憎悪の影が揺らいでいる。負傷した左肩をかばいながら振るわれる剣は、先程よりも当然鈍い。もう冷気の刃を撃ちだす事は出来ないようだ。しかしその分、距離をつめて容赦なく斬り込んで来る。ロレンは腰帯に隠していたダガーで応戦していた。


「なあ魔弾の射手。アンタ魔の海って知ってるか? 俺はそこに行きたいんだ。仲間が俺を置いてそこに行っちまったんだ。酷い話だろう、俺が行きたかったのに、俺だけ置いて行かれちまったんだ」


 ヴァルナーの剣がロレンの首をめがけて振られる。それを躱しながら、ロレンもダガーを突き出す。ラルスは隙を見て、ロレンに攻撃が当たらないように爆破で援護をした。ヴァルナーは火を恐れてラルスには近寄らず、怪我のせいもあってだんだんと動きが鈍くなってきていた。


「魔弾の射手。それからそっちの……火鞭のラルス、だったか。なあ、俺は船が欲しいんだ。アンタたちの首があれば俺は船に乗れるのさ」


「知ったことか。貴様にくれてやる情などない!」


 ラルスの鞭がヴァルナーに襲い掛かる。かろうじてそれを避けたヴァルナーが、部屋の入り口の前に立った。同時に、屋敷のどこかから爆発音が轟いた。


「あ……もしかして、もう時間……?」


 ロレンが部屋にかかっていた柱時計を見る。ちょうど、外の仕掛けが作動する時刻を指して、時計は振り子を揺らしている。


「やっべえ!! ラルス、こいつに構ってる暇ねえぞ!! 火が回る前に外に出ねえと」


「わかってる!!」


 どうせなら、とラルスは仕掛けるはずだった火薬をヴァルナーに向かって投げつけ、自慢の鞭で着火した。鼓膜を裂くかと思うほど大きな音と共に、爆炎がヴァルナーを飲み込もうと覆い被さる。


「ああ……!! 火だ!! 火が俺を食いに来た!!」


 冷気の剣がとっさにヴァルナーを守ったようだったが、全てを防ぎきれたわけではなかったようだ。ヴァルナーは焼ける髪や服を振り乱し、部屋の外へ走り出て行った。これではもう、首を狙うどころではないだろう。とりあえずの障害は去った。


「急ごうロレン。ジャーナルと合流してユルゲンを探さないと」


「ああ……くっそ、金目のもの探してる時間もなかったぜ!! あ~くたびれ儲けだった」


 ぶちぶちと文句を言っているロレンを伴って、ラルスは屋敷の外へ転がりでた。火の脅威の来ない所まで走った二人は冷たく新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、大きなため息を吐く。


「さて……ジャーナルはどこに……?」


「白鷹を追ってったっきりだったな……と、噂をすれば何とやらだな」


 地面にへたり込んで肩で息をついていた二人に向かって走ってくる小柄な影は、少し前に別れたジャーナルで間違いない。その背後には白鷹もついて来ていた。見上げるほどの大女は、何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべて二人を見下ろした。


「よう、坊やたち。よくやってくれたようだねぇ。火はいいもんさね」


「そうでもないですよ姐さん。ユルゲンに逃げられちまった」


「ああ、知ってるよ。もう捕まえた。チキンと呼ぶには随分と臭い肉だったから、あれはローストビーフかねぇ」


 その言葉で全てを察したラルスは苦笑いをこぼした。今までの苦労はなんだったのか。それを考えるだけ無駄だと分かってもいるので、もうため息しか出てこない。ロレンも同じようで、へらへらと苦笑いを浮かべている。


「さて、もうここには用は無いね。港まで戻ろうじゃないか。駄賃も渡さないといけないしねえ」


「そうですね……そういえば、最初に僕と貴方が会った時に言った、“話”とは何なのです?」


「ああ……そういやそんなことも言ったか。道すがらで話そうかね」


 うっすらと夜明けの日が、港に向かう一行を照らし始める。白鷹は一歩前を歩きながら、ラルス達に話しかけた。


「火鞭のラルス。お前さんは確か、火薬に造詣が深いと聞いたが、合ってるかね」


「ええ、まあ」


「ならよかった。お前さんならコイツをうまく使えるかもしれん…あたしには用のないものだ」


 ラルスに小瓶が手渡される。透き通ったガラスの小瓶の中には、赤く輝く砂のようなものが入っていた。一見すると、紅玉を砕いて砂にしたようにも見える。


「これは? 石か何かを砕いたもの……ですか?」


「その通りだよ。これはあたしらの故郷じゃ“火竜の餌石”って言われててね。そのまま火薬の代わりになる石なのさ」


 日にかざした小瓶の中の赤い砂は、光を反射してきらきらと輝く。火薬と聞いて、ラルスの瞳もきらりと輝いた。普通、火薬は特殊は薬品を用いたり、材料の加工に手間がかかるものである。しかし、この石はそのまま何の加工も必要とせず、爆破に使えるというのだ。ラルスの胸が高鳴る。


「砕くのにちと注意が必要だが、そのまま使えるのは大きいだろう。それにね、コイツは水に濡れても湿気らないっていう利点があるのさ」


「そんな便利なものを何故僕に? 仲間に使わせたらいいのでは」


「あたしが火を使えるんだから要らないんだよ。妹たちにも火薬を使う娘はいなくてね。売り払おうかどうしようか悩んでるときに、ちょうど紅蜘蛛の坊やに会ったのさ。お前さんがたの話を嬉しそうにしていたよ」


 白鷹にとっては、紅蜘蛛も坊や扱いなのかと込み上げてきた笑いを堪えながら、ラルスは小瓶を見つめた。量は少ないが、研究用にありがたく貰っておくとしようと懐に収める。


「それでわざわざ僕に……」


「一度顔を見ておきたかったからね。それから、魔弾の射手の坊やもね」


「ひえ? 俺?」


 急に声をかけられて、ロレンの返事の声が裏返る。ぷっと吹き出した白鷹が前を向くと、道の先に女達が大勢、こちらに手を振っていた。ラルス達も見慣れた装備、服装の女達。おそらくは、船乗りだ。


「ああ、迎えに来ていたんだね。あれがあたしの可愛い妹たちさ」


「へえ! カワイコちゃんばっかりじゃないですか」


「待ちやがれ!! やっと見つけたぞ海賊ども!!」


 ロレンが嬉しそうに声を上げた後ろで、物騒な男の怒鳴り声が響く。振り返れば、夜中に散々追い掛け回してくれた、ユルゲンの手下達が武器を手にこちらを睨んでいる。


「手間かけさせやがって、覚悟しやがれクソ野郎共!!」


「アーララ……おたくら、まだ俺たちのこと探してたの? タイミング悪いにもほどがあるぜ」


「おや、そんなに遊んで欲しいって言うなら、仕方が無いね」


 白鷹が右の腕を上げ、拳を握る。瞬間、ごうと巻き起こった炎がその腕を包む。それだけに終わらず、楽しそうに顔を歪めた白鷹の額に、白く鋭い角がぱきぱきと音を立てながら姿を現し始めた。


「さぁて、どいつから丸焼きにされたいんだい?」


 笑んだ口には獰猛な肉食獣の牙、頭部の角、身を包む炎。鬼女そのものの姿の白鷹を見て、ユルゲンの手下達は泣きそうな顔で後ずさる。そして、我先にと逃げ出したのだった。


「おおう……おっかな~い……」


「なるほど……白鷹殿は炎鬼族だったんだな」


 昔読んだ書物の内容を思い出したラルスは、逃げ出した手下を見て大笑いしている白鷹の炎を見つめた。炎鬼族はどんなに熱い火でも平気でつかみ、溶岩ですら涼しい顔で踏みしめるほどに火に強いという。道理で、炎に包まれた男をつかんでいても平気な顔をしていたわけだ。


「やれ、まったく根性の無い連中だ。……ああ忘れるところだったよ。お前さんたちに駄賃をやってなかったね」


 笑うのをやめた白鷹の後ろで、女海賊達がふふと含み笑う。

 何やら嫌な予感を感じたラルス達は、ユルゲンの手下達同様、じり、と後ずさった。白鷹は今まで隠していた覇気でラルス達を捕らえる。簡単には逃がしてくれそうに無い。


「そう怖がらなくてもいい。あたしの妹たちの中には、お前さんたちに興味がある娘も多くいてねぇ……どうだい、酒の一杯でも奢ってやろうじゃないか」


 ラルスは夜中の宿のことを思い出した。目の前の女達はあの宿の娼婦と同じ艶かしさで、娼婦達の十倍は恐ろしい野生の目をしている。

 彼女達は海に生きる、飢えた雌虎なのだ。


「あ!! 俺そういえば船にちょっと忘れ物してきちゃったもんで、あの、できればまた今度ということで!! そんじゃ失礼しまーす!」


 だっと逃げ出したロレンに続いて、ラルスも走り出す。捕まったら無事では済まない事は考えなくても分かる。何せ相手は、賞金額だけなら間違いなく世界一の海賊なのだから。


「逃げた!! 追うのよ!!」


「待てー!!」


 背後に複数の足音を聞きながら、ラルスは死ぬ気で走った。隣のロレンやジャーナルも、必死の形相だった。


「うひゃああ! 勘弁してくれよー!!」


 すっかり日が昇って、白く眩しい港の石畳を睨みつけたラルスは、澄んだ空気の空に向かって一言、こう叫んだ。


「最っ悪だ!!!」





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海賊の夜 石壁モノ @otiyoshi

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