死。
エリー.ファー
死。
いつか君は死ぬだろう。そして、その死ぬ瞬間まで君は生きているだろう。
僅かばかりの希望すら打ち砕き、それでいて滑らかで恐怖など一切連れてこない死によって、君はこの世から去るだろう。
あっという間であったと心から思う事だろう。
過去も。
現在も。
未来も。
すべてなくなるその瞬間から始まる、死は。
おそらく別格だろう。
それだけ、人は死と共に歩んでいたし、死なくしては生きることもままならなかった。
君が死ぬよりも先に死んでいる者たちがいる。彼らもまた死に直面したのだ。
死を受け入れた、などという言葉は使わない。彼らは死を飲み込むしかなかった。
心が死についてどのような態度をとるのかなど全くの無関係であるし、そこに死が興味を示すこともない。
私たちは死の前に何もできない。
他にあるか。
死以外に、何もできないことが他にあるだろうか。
一つある。
生まれることだ。
生きていくことは自殺によってある程度コントロールすることができるが、生まれてくることはコントロールできない。
死と生を与えられる時。
命は無力である。
考えても、思考を飛ばしても、哲学を積んでも、その事象の前では風の前の塵である。
私はいつか死んでしまうし、君もいつか死んでしまう。
君が自殺という選択をすることもあるだろう。生きるという選択を連続してとることもあるだろう。
死は死者のものではなく、生者のものである。
影のようにのびていった時間は、過ぎ去れば思い出に変化しても、死からの距離を変えてはくれない。
いつか。
君が死ぬ時。
いや、生きている時でもいいのだが、できれば死ぬ時。
何を考えるつもりだろうか。
思考というのは生きているときの特権であるからして、死んでしまえばできることではない。つまり、それを失う感覚というのを知りたいのである。
結局は想像するしかないのだが。
でも、気になる。
命を失うのではない。
思考を放棄するのである。
私たちは何も考えない時間に耐えることができないから死ぬのではないか。
もう、考えることがなくなったから死を迎え入れるのではないか。
もう、考えたところで、何にも至らないと悟るから死ぬのではないか。
思考が死を連れてくるのではないか。
思考によって死を暴けないのは、死が思考の外にあるからである。
それを知るためには死ぬしかないが、死ねば思考を失ってしまう。
思考を放棄しても、死を知りたくなるから人は死ぬのか。
それなら。
死んでもいいか。
と思う人はいるのだろうか。
いつか死にたいですか。
という質問に。
死にたい、と答えたことはない。
死にたくはない、と答えたこともない。
死ななくてもいい、と答えたことはある。
死ぬことを恐れていますか。
という質問に。
生きていることと同様に、と答えたことはある。
「死ぬってなんだろうね」
「何が」
「いや、死ぬってどういう意味なんだろうなぁって」
「死は、死だろう。別に何もない」
「ほら、でも死って命にとっては重要じゃん」
「まぁ、重要だろうな」
「命と死は切り離せないね」
「切り離すと生きることもできなくなる」
「神が命に与えた義務が死なんだよ」
「神が命に与えた権利が死だ」
静かになるまで二度三度と携帯の画面を確認する。
兎と猫の被り物をして、拳銃を手の中で弄り回す。
十二分四十九秒後には、三発の銃声を鳴らし、一人の人質を抱え、七億円を確実に手にする。
「あたしたちってさあ、別に意識とかしてないけど、仕事の前には必ず死について話し合ったりするじゃん。それってなんでなんだろうね」
「単純だ」
「え、なに」
「暇つぶしだ」
死。 エリー.ファー @eri-far-
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