電脳彼女

識織しの木

「ときめきぷらす」

 「え、あんた暗くない?大丈夫?生きてる?あほみたいにやばいね。目ぇ死んでるよ?」

「……。」

 どうしてこんなことになったんだろう。


「遂に発売したな。お前チェックしてたか?」「予約しといた」「そうだよな。それが正解だ」「攻略速度で勝負だ」「わかってる」

 近くの席で、男子生徒二人が話していた。内容はつい先日発売した「ときめきぷらす」というゲームのことらしいと分かっていた。

 僕も予約してたんだ。

なんて言って入っていく勇気はなくて、何も聞いていないふりでミニトマトを静かに咀嚼した。もそもそ。二人の会話はどんどん盛り上がっていく。

 昼休みの教室。食堂を利用しない生徒のほとんどが教室内で食事中だ。仲の良い友人の席に椅子を運び、通路を塞ぎながら食べている者もいる。僕とはほとんど無縁に等しい談笑があちこちから聞こえてくる。

 どうでもいいことを話して、聞いて、笑って。それがきっと楽しいのだろう。そんなことをする相手も理由もない僕は、騒がしい教室の中で一人黙って弁当をつつく。

 午後の授業は午前と同様指されませんようにと祈りながら受けた。今日は運良く指されなかったが、悪いときは三回ほど指されたりする。

 掃除中、同じ班の人は喋ってばかりであまり手が動いていなかった。僕は手だけが動いていた。担当の教師が掃除された場所を点検して一言、解散と言った。こんなんでいいのか。まだこんなに汚いのに。隅に残った埃を見て、そう思った。でも今日は早く帰りたいので都合が良い。

 自転車に跨がっていつもより急ぎ気味でペダルを漕ぐ。家までの三十分が、今日はとてつもなく長く感じられる。まだこの信号か…。まだこのスーパーなのか…。まだ、まだ。

 ようやく家に着いた頃にはくたくただった。

 宅配物がくるまでにはあと十五分程度の余裕があった。気持ちを落ち着かせることに努める。

 知らない人に会うのは苦手だ。害が無いとわかっていても、恐い。配達員が来てからの行動を頭の中でシミュレーションする。

インターフォンがなる。スコープで確認してからドアを開ける。サインをするよう促される。従う。荷物を受けとる。配達員に頭を下げる。ドアを閉める。

 同じことを何回も頭の中で練習する。

 大丈夫。

 大丈夫。

 間違えない。

 相手は配達員。

 相手は配達員。

 何か心配事があると気が済むまでシミュレーションを繰り返す。そうやって不安を解消しているつもりだけど、逆に不安を大きくしている可能性もあるなぁと最近になって気付いた。

 だけどこれをしないと恐くて恐くて仕方ない。これは精神を落ち着かせるために必要な儀式だ。

 不意に、何度も頭の中で鳴っていたインターフォンが現実に聞こえた。帰ってからずっと玄関に留まっていたことに気付いた。大丈夫。

繰り返し想像した動作を、順を追ってなぞる。

「ここにサインをお願いします」

 繰り返してきた通りに、さらさらとペンを走らせる。

「ありがとうございます。こちらがお荷物になりますね。では失礼します」

 配達員は丁寧だったが、隠しきれない多忙さが滲み出ていた。感謝を込めて頭を下げた。ドアを閉める。

 手にしている小さなダンボール箱の中身は、昼休みに男子生徒二人が話し合っていたまさにそのゲームだ。

 自室に運び、勉強机の上に置いた。

そういえば、まだリュックも下ろしていなかったんだ。配達員の人から変に思われなかっただろうか。急に嫌な気分になった。

 そんなことより、ゲームだ。「電脳デジタル彼女を作ろう」というコンセプトで売り出されている話題の作品。

 ゲームの中の女の子ならどうせプログラムだろうから、何とかコミュニケーションを取ることができる気がする。これで少しでもコミュニケーション能力を養えたらいいなぁなんて思った時にはもう通販サイトで予約していた。

 椅子に座って、落ち着いて箱を開ける。シンプルなパッケージが気泡緩衝材によって包まれていた。

 携帯ゲーム機を机上から取り上げる。説明書はプレイしながら読もうと思って、ソフトをゲーム機本体の所定の位置に納め、かしゃんと蓋をした。

電源を入れる。画面が明るくなる。いささか眩しい。初めて見るアイコンを選択すると、本体がソフトを読み込み始めた。音がうるさく鳴る。ひょっとして壊れたんじゃないかといつも錯覚する。

じじじ…じじ…がー…。

 Now Loadingの文字が消え、「ときめきぷらす」とシンプルなフォントで映し出される。可愛らしくゲームタイトルを言う声が聞こえた。女の子たちは皆フルボイスらしい。

 説明書を開きつつ、スタートさせた。

 最初に設定を選んでいくようだ。

 何だか気恥ずかしいので偽名を入力した。一人称は「僕」。好きな色は黒。

 確定を押した。

 場面は高校の入学式から始まった。銘藤めいとう高校というらしい。

 初日は女の子との接触はなかった。

 二日目。登校。説明書には、接触できる女の子に会うとコマンドが出てくるとあるが…。

手当たり次第に女の子に近付いてみてもコマンドが出てくることはなかった。この学校にいる女の子は接触対象外なのか…?それとも何かイベントが起きないと駄目なのかな。

 僕の横を通りすぎていったセミロングの少女。可愛い!と思ったら口からも言葉が出た。

「え?何?」

「……!」

 コマンドは出てこなかったしどこも操作していないのに、その少女は振り向いて僕を見た。もしかしてさっきの声が聞こえてしまったとか?いやいやいや。ゲームの中に届くわけないだろ…。どういうことだ。

「え、あんた暗くない?大丈夫?生きてる?あほみたいにやばいね。目ぇ死んでるよ?」

「……。」

 これってゲーム、なんだよね?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る