第22話 二人の花火大会
さっきから、窓の外から花火の上がる音が、ベッドに横たわる私に耳に響いている。
今頃先輩は咲先輩と一緒に花火を見ているのだろうか。
二人が一緒に花火を見ている姿を想像すると、胸がきゅうっと縮まる。
電話なんて出なければ良かった。
あのまま自然に先輩から離れられれば、今もこんなに気にせずに済んだ。
少しだけ、先輩のあの優しい声が聴きたくなってしまった。そんなことをすれば自分が苦しくなるだけだってわかってたのに。
ずっと我慢してたのに、声を聞いたせいで、瀬良先輩との日々が走馬灯のように頭を駆け巡る。
私が瀬良先輩と同級生だったら、瀬良先輩と同じ中学校だったら、瀬良先輩を苦しみから救ったのが私だったら、なんてどうしようもないことばかり考えてしまう。
ベッドから起き上がって、部屋にかけてある浴衣を手に取った。
高校入学と同時に『彼氏と一緒に花火大会に行く』というバカみたいな目標を掲げて勢いで買った浴衣。
「来年は使ってあげるからね」
心なしか浴衣も残念そうにシワを寄せていたから、優しく撫でた。
瀬良先輩のことはいつか忘れられるだろうか。
北代先輩のことも忘れられたから大丈夫だよね。勘違いして北代先輩に告白してしまったけど、本気で好きになれたから大丈夫。きっとこれから先もっと好きになれる人が現れる。
瀬良先輩だって、私のことなんかすぐに忘れる。いっぱい迷惑かけたたし、私がいなくなった方が瀬良先輩もせいせいするはずだ。
これから瀬良先輩の隣を歩くのは咲先輩。
だから私も瀬良先輩のことは忘れよう。
大丈夫大丈夫。私ならできる。
瀬良先輩との記憶を消そうとしていると、一階からインターホンが鳴って肩がびくっと震えた。
そういえば、今日はみんな花火大会に行ってるから家にいるのは私だけ。
こんな時間に誰だろうか。
出るのが億劫だったが、やけにしつこくなり続けるので私は仕方なく階段を降りる。
「こんな時間に誰なの」
玄関を出たら、睨みつけてやろうと決心して、私は扉を開いた。
「よう、お前また振られたのか」
睨みつけるなんてできなかった。
そこにいたのは、私の王子様だったから。
だんだん視界がぼやけてきて、気づけば頬を涙が伝っていた。
本当に、せっかく忘れようとしてたのに、こんなの忘れられるわけないじゃん。
◆
「先輩……、なにしてるんですか?」
月宮は俺の顔を見るや否や、涙を流した。
「おい、そんなに俺の顔見たくなかったのか?」
顔見て泣かれるなんて初めてだぞ。さすがに少しメンタルやられそう。
「ちがう、違います。何してるんですかほんと。花火大会はどうしたんですか?」
涙を乱暴に吹きながら、心配そうに俺を眺める月宮に、持ってきた袋を押し付けた。
「花火大会なら、今からやるつもり。まあお前が嫌って言うなら帰るけど」
なんとなく気恥ずかしくなる。もし断られたらめちゃくちゃカッコ悪いじゃん。
そんな心配をしていると、月宮は袋の中身を見て、そっと俺に返した。
「すぐ準備してくるんで待っててください」
「お、おう」
それだけ言い残すと、月宮はものすごい勢いで自分の部屋へと駆けて行った。
月宮のいつもの笑顔を見たのはいつぶりだろうか。そんなに時間は経ってないはずなのに、何年ぶりかに見るような気がした。
嬉しいのか安心したのかどっちなのかはわからないけど、走って温まった体にまた別の温もりを感じた。
◆
女子の言う「すぐ」は長いなんて親父が愚痴っていたが、月宮のすぐは待っている方の予想をはるかに上回るほど早い。
あれから二分ぐらい経った時、準備を終えた月宮がすぐさま降りてきた。
しかも寝間着っぽいジャージから、もののみごとに浴衣へと衣装を変えている。
「浴衣ってそんなすぐ着れるもんなの?」
というか、そもそも一人で着れるもんなのか? 確かまつりは母さんに頼んでた気がするけど。
「こんな時のために私は毎日浴衣の着付け練習してましたから」
どんな時だよ。
月宮のことだから北代と祭りに行くシチュエーションでも考えながら練習してたんだろう。
「そもそもそこらへんで花火するぐらいなんだからわざわざ浴衣に着替えなくてもいいだろ」
「何言ってるんですか。せっかく花火するんですから可愛くしないと意味ないじゃないですか。そんなこと言ってると嫌われますよ。私に」
「言ってろ」
さっきまで泣いてたくせに、ほんの数分でこれだ。いつも通りうざったいが、なぜか心地よさを感じる。
月宮の家から五分ほど歩いたところに、滑り台だけが設置されている小さな公園があった。
俺たちの花火大会はここで行われることになり、俺はロウソクを立て火をつける準備をしていた。
「先輩、まだですか?」
「文句があんならお前も手伝え」
月宮はベンチに座って足をぶらぶらさせながら、風と戦う俺を見下ろしている。
「先輩がどうしても私と花火したいって言うから付き合ってあげているのに、手伝わせるなんて男が廃れますよー」
ロケット花火でも飛ばしたろか。
そうこうしていると、ようやくロウソクに火が灯った。
月宮はすでに手に二本の花火を持っていて、そのうちの一本を俺に渡すと、幼稚園児のようにうずうずとした態度で火を見つめた。
「先輩っ、早くやりましょう」
付き合ってあげているなんて言ってたくせに、お前が一番楽しそうにしてるじゃねえか。
「はいはい」
月宮から花火をもらって俺たちは二本の花火をロウソクに近づける。
自然と二人の距離が近くなり、肩と肩が擦れた。
街灯もほとんどないこの公園で、火に灯された月宮の横顔だけが白く光っている。少し前まで月宮とは毎日一緒にいたのに、こんなに近くでしっかりと月宮を見たのは初めてかもしれない。
いつもは性格のウザさだけが先行していたが、改めてみると月宮の端正な顔立ちに目を奪れてしまう。
シュワシュワという独特な響きが、俺の視線を花火に戻した。
「わあ! 着きましたよ先輩!」
月宮は立ち上がると、さっそく花火を振り回しながら空に円を描いた。
俺も立ち上がって、色とりどりの火花を眺めながら、さっきまで自分が考えていたことを振り返りながら、羞恥に襲われた。
「何考えてんだ俺」
嬉しそうに花火を手に持って走り回る月宮を目で追いながら、俺もぶんぶんと花火を振り回してみた。
すぐに火は消えて、もやもやと円を縁取る煙だけが火薬の匂いを漂わせながら残った。
その後も俺たちの花火大会はは滞りなく進み、残るは線香花火だけとなった。
「先輩、勝負しましょう」
もちろんそんなこと言い出すのは予想できていた。そして、俺が断ったところでそれが受け入れられないこともわかっている。
「それで、負けた方は何すんだよ」
「そうですね。じゃあ、負けた方はなんでも質問に答えるっていうのはどうですか?」
「いいぞ」
月宮はたいそう自信があるのだろう。勝ち誇ったように口角をクイっとあげて、線香花火を手に取った。
◆
もうこれ以上は膨らみきれないほどにぷくぷくと膨らんだ火玉は、突然襲われた人工的な地震によって短い生涯を終えた。
「ちょ、お前揺らすなよ! ルール違反だろ!」
「もう勝ちは決まってるんだからいいでしょ。だいたい! なんで先輩の線香花火だけ全然落ちないんですか! ドーピングですか? ドーピングですね? オリンピック出禁にしますよ」
「オリンピックにこんな種目ねえよ」
一回目の勝負は俺の圧勝。とりあえず好きな食べ物を聞いておいた。牛のしぐれ煮が好きらしい。おっさんか。
そして、二回目の勝負も俺の圧勝で終えた。
これは俺の数少ない自慢話だが、俺は小さい頃から線香花火勝負で負けたことがないのだ。
「それで、次の質問はなんですか?」
「じゃあ、好きな芸能人は?」
「なんですかそれ。合コンやってるんじゃないんですからもっと盛り上がる質問してくださいよ」
「もっと盛り上がる質問ねえ……」
正直月宮に聞きたいことはある。だが、その質問をすれば、俺たちの関係が変わってしまう気がして聞くに聞けない。
「えっちなのはダメですよ」
「しねえよ」
せっかく人が悩んでるっていうのにこいつは……。
「じゃあ、どうして今日あんな嘘ついたんだ?」
悩んだ末、俺は本当に聞きたいことは聞かないことにした。
こんなことは聞かなくてもわかっている。月宮がわざわざ俺に嘘をついてまで花火大会に来なかった理由。
「それは……」
「ああ、いや言いたくなかったらいいんだけど」
言葉に詰まる月宮を見て、フォローを入れる。
すると、月宮はカバンの中から一枚の写真を取り出して俺に渡した。
「……お前これ、なんで」
「ごめんなさい。初めてデートした日、つい持って帰っちゃったんです。ずっと返そうと思ってたんですけど……」
その写真には、中学の制服を着た俺と姫野が写っていた。
捨てたと思っていたが、月宮が持っていたのか。だからこいつは勘違いをして……。
「お前、本当やばい性格してるな。普通持って帰るか?」
「だからごめんなさいって言ってるじゃないですか。これは私も悪いと思ってます……」
自分の性格を批判されて、こんなに縮こまる月宮は初めて見た。
見たことないぐらい素直な月宮を見て思わず笑ってしまう。
「な、何が面白いんですか。私がこんなに悪いと思ってるのに」
月宮は顔を赤くして、唇をキュッと結んだ。
「そんなに素直に謝るお前を見るのが初めてだからだよ。でも別にお前のヤバさなんて慣れてるから大丈夫だぞ」
「全然フォローになってません!」
「まあそう怒んなって。お前がわざわざ嘘をついた理由はわかったよ。姫野からも話聞いたんだろ?」
「……はい。だから私は邪魔な存在だって」
「やっぱりな。月宮、お前勘違いしてるぞ。俺別に姫野のこと好きじゃないから」
「へ?」
月宮はぽかんと口を開けたまま動かない。
「だから、姫野のことは好きじゃない。確かに中学の頃は好きだったけど、それはもう過去の話だ」
俺の話が未だに信じられないのか、月宮は目をぱちぱちさせながら俺を見つめている。
「そういうことだから、お前に変な気を使われる必要はないんだよ。だいたい、いつも俺の生活の邪魔してるくせに、こんな時だけ自分の存在が邪魔とか……っておい、月宮なんで泣いてんだ」
ぱっと横を見ると、月宮が見開いたままの目から涙を流していた。俺がいうと我に帰ったように肩をビクつかせて、袖で涙を拭き上げた。
「あれ、なんで泣いてるんだろう」
「俺が聞きてえよ。なんか気に触ること言ったか?」
今日の月宮はよく泣くな。正直どうしたらいいのかわからん。ハンカチとか持ってないし。
「違うんです。多分なんか安心して泣いちゃったんだと思います」
「そ、そうか」
へえ、女子って安心したら泣くのか。ん? 何に安心したんだ?
そんなことを考えてながら、今はもう消えてしまった線香花火を見つめていると、頰に細い髪の毛が触れた。
「つ、月宮、どうしたんだよ」
肩に頭を乗せる月宮は顔をうずめたまま動かない。
「私、邪魔……じゃないですか?」
何かに怯えているような月宮の声は、俺の動揺を消し去った。
「邪魔じゃねえよ」
「先輩の隣にいてもいいですか?」
「まあ、お前に彼氏ができるまで構ってやるって約束してしまったからな」
正確には強制的に約束させられたのだが、それはまあいいだろう。
月宮の彼氏ができるまで、俺はとことんこいつのわがままに付き合う。
じゃあ、月宮の彼氏ができたら? そのあと俺はどうなるのだろうか。月宮に彼氏ができた時、俺は何を思うのだろうか。
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
肩から伝わる月宮の熱も、この消えてしまいそうな声も、無邪気に花火を楽しむ姿もいつかは俺じゃない誰かのものになる。
それはなんか……。
「先輩……」
呼ばれて月宮を見ると、月夜に照らされて艶やかな唇が近づいてくる。
「お、おい、月宮。お前急に何を」
月宮は俺の言葉など聞こえていないのか、どんどん顔を近づける。
今までになく艶かしい月宮を前に、とうとう身動きが取れなくなり、意を決して目を閉じる。
月宮の息が耳に吹きかかった。
「か弱い子羊作戦大成功です」
「は?」
その言葉だけ残して月宮の重みが体から消えていくのを感じる。
目を開けると、そこには悪戯な笑みを浮かべる月宮が俺を見下ろしていた。
「私が弱っているように見せたら先輩はどうするんだろうと思ってましたが、予想どおり引っかかってくれましたね。しかも最後なんで目つぶったんですか? もしかして何か期待しました? ぷぷっ」
恥ずかしさとか怒りとか、そういう負の感情が体を包み込んでいく感覚というものを俺は初めて体感していた。こんのクソアマ……。
「うううおらああああああああ」
「うひゃー。先輩が私を追いかけてくる」
言葉なんていらなかった。
俺はただただ、目の前に走る獲物を捕らえるために公園を走り回る。
「ちなみに録音もしてますからね。はい『お前に彼氏ができるまで構ってやるって』。どうですか?」
「づぎみやああああああああ」
「先輩こっちですよー」
結局、その後一時間ぐらい月宮を追いかけ、ようやく捕らえることができた。しかし、その時には怒る気力すら残ってなく、とりあえず録音だけ消させて、二人でしみじみ片付けをして帰った。
帰宅後、月宮から消したはずの録音が送られてきた。
俺と鬼ごっこをしている間にパソコンに送信してたらしい。あの女、抜かりねえ。
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