第21話 ずるい女
「……え?」
姫野の言っていることが理解できなかった。俺のことが好きだった? じゃあどうしてあの時……。
「怖かったんだ」
「怖かった?」
「そう、瀬良っちモテモテだったでしょ?」
「は?」
今日の姫野は俺の理解が追いつかないことばかり言う。俺は中学時代彼女がいたことはないし、ましてや告白されたことなんか今まで一度もない。彼女いない歴=年齢の猛者だ。そんな俺がモテていたなんて姫野は人違いをしてるんじゃないだろうか。
「瀬良っちは気づかなかったかもしれないけど、君めちゃくちゃ女子に人気あったんだよ。瀬良っちは誰に対しても優しかったし、勉強もそこそこできたでしょ? それにやっぱりサッカーすごく上手だったから、狙ってる女子なんていっぱいいたよ」
「……そうなのか。全然知らなかった」
それならそうと早く言ってくれれば、俺の中学時代はもっと華やかだったかもしれないのに。惜しいことをしたな。まあでも、あの時の俺はサッカーにしか興味なかったからあまり変わりはないけど。
「私もその一人だったんだ。そして瀬良っちが私のことをよく思っていることに気づいた時、私は怖くなったんだ」
「俺なんかしたか?」
「違う違う。女子の世界の話だよ。クラスの中に瀬良っちのことが好きな子がいてね。その子はすごい優しい子だったんだけど、その子の周りに女子からちょっと怖がられるような子がいてさ、ある日その子に呼び出されて問い詰められたの」
「そんなことがあったのか」
全然知らなかった。姫野は名前は出していないが、その『怖がれれるような女の子』が誰のことを言っているのかは想像がつく。そいつはいわゆるカーストトップに位置する奴だった。そんな奴に問い詰められるなんて、さぞ怖かっただろう。
「だから私は告白された時に嘘をついたの。自分を守るために、自分の好きな人を傷つけた。本当にずるい女だよね」
姫野の顔はよく見えないが、声がさっきよりもかすれている。
「別にずるいなんて思わないけどな。多分俺が姫野でもそうしてたと思うし」
女子の世界というものは、俺が思っているよりもはるかに複雑なのだろう。確かに振られたことはショックだったが、俺と付き合うことによって姫野の学校生活に亀裂が入るほうが、俺にとっては苦しかったと思う。
だから彼女は間違っていない。
「俺は姫野が救い出してくれただけで感謝してる。振られたことは気にしてないし、もう昔の話だから姫野もそんなに自分を責めなくていい」
俺が花火を見上げながら言うと、Tシャツの裾が引っ張られた。
「今でもずるいのは変わってないよ」
花火が止んだ。もうすぐフィナーレが始まる。
「私、今でも瀬良っちの事が……」
『北代せんぱーい、探しましたよ! もう花火終わりますよ』
遠くから聞こえたその声に反応するように、背後を振り返った。俺が突然振り返ったせいで、Tシャツを掴んでいた姫野の手が解ける。
目の先にいたのは、あの日月宮を振った男とさっき間違えて俺に声をかけてきた女の子だった。
確かに北代だ。同じ学校の月宮を振った、あの北代がいる。
だが、彼の隣を歩いているのは月宮じゃなかった。頭が混乱しすぎて思考が止まる。どういうことだ?
北代に向かって右足を踏み出そうとして、はっと横を見ると、わずかに歯を見せる姫野が俺を見つめていた。
「ごめん姫野、俺……」
「私のせいなんだ」
そう言うと、姫野は細めた目を伏せた。
「中学時代のこと、全部言ったの。だから瀬良っちに嘘ついたんじゃないかな。私って本当にずるい女だよ」
姫野は明確なことは何一つ言わなかったが、俺はそれだけで月宮の最近の行動が理解できた。
「お前はずるくなんかない。俺は少なくとも姫野に出会えてなかったら今頃どんな廃人になってるかわからない。お前があの時俺を見つけて笑顔を届けてくれたから、俺は今こうして笑ってられるんだ。俺にとっては救世主で、そして初めて好きになった人だから。だから、俺が好きになった人のことをずるい女なんて言わないでくれ」
姫野の目尻が提灯に照らされて光った。
「瀬良っち……、君もなかなかずるい男だね。早く行きな少年!」
「本当にごめん。ありがとう」
あの日、暗闇に閉じ込められた俺を引っ張り出してくれた彼女は、あの時と同じ笑顔で次は背中を押してくれた。
振り返らなかった。今振り返ってしまったら、彼女の強がりを無駄にしてしまう気がしたから。
雲に埋もれた月は、わずかな光を漏らしながら自分はここにいると叫んでいるようだった。
俺を見つけてくれた人がいる。俺が見つけてやらなきゃいけない奴がいる。
夜空の下をただ走り続けた。
◆
私はずるい女だ。
彼と彼女の優しさに漬け込んだ結果がこれだ。当たり前だよね。自分から離れておいてやっぱり自分のものにしたいなんって傲慢にもほどがある。
転校初日、彼と再会した時、止まっていた時間が動き出したような気がした。
でも、時間が止まっていたのは私だけで、彼の時間はもう進んでいた。
彼の中の私はもういなかった。
それをわかっていたのに、ずるい私はあの子の優しさを利用して、自分だけが幸せになろうとした。
やっぱり神様は見てるんだ。神様の言う通りにちゃんと待っていれば彼は私のそばにいてくれたのかな?
そんなことないか。私がどれだけ待ってても、彼は私を選ぶことはなかっただろう。
自分が悪いのに、私にはそんな資格はないのに、溢れ出る涙が止まらない。
彼に見られなくてよかった。最後はちゃんといい子になれた。私が泣いてしまったら、きっと彼は進めないから。
最後は、最後くらいはちゃんと我慢できたよ。でも、もういいよね。
「……行かないで」
もう見えない彼の背中に向かって、声を殺しながら呟いた。
「姫野さん? だよな? 大丈夫?」
ふと、しゃがみ込む私の上から低い声が聞こえた。
顔を上げると、そこには彼とよくしゃべっている同じクラスの野球少年がいた。
「泣いてる? あ、ああ、えっとこれ! これ使って!」
私のぐちゃぐちゃになった顔を見て、彼はパンパンに膨らんだリュックからタオルを一枚差し出した。
そのタオルを受け取って、目に押し当てた。
柔軟剤の香りからわずかに汗の匂いがする。懐かしい、中学時代の彼もよくこの香りを漂わせてたっけ。
そんなことを考えると、またぶわっと涙が溢れてきた。
「ご、ごめん! 汗臭かった? それ使ってないやつなんだけどリュックの中に入れてたからな」
「ううん、違うの。ありがとう百坂くん」
彼は安心したのか、わかりやすくホッと一息をついた。
「私ね、ずるい女だから振られちゃった……」
気がつけばなんの関係もない百坂くんに話していた。めんどくさい女だな、私。
「みんなずるいんじゃねえの? 俺だって、たった今ずるいことしてるし」
「百坂くんが? どうして?」
「今、姫野さんに駆け寄ったら俺の好感度上がってチャンスになるんじゃねえかなって思って。ずるいだろ?」
そう言って彼は、親指を突き立てて歯をきらんと輝かせた。
私は思わずぶはっと吹き出した。
「なにそれ。最低だろ!」
「だろ! 最低だ!」
私が肩をたたくと、百坂くんはがっはっはとおじさんみたいな笑い声を上げた。
きっとまだ彼のことを忘れることなんかできない。
それでも、少しだけ止まっていた秒針が進み出した音が胸に響いた。
ばいばい。ありがとう。さよなら。
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