第20話 花火

 祭り会場の最寄駅は、すでに多くの人で混み合っていた。中高生っぽい女子は大半が浴衣をまとっていて、カップルと思われる男女はお互いに浴衣を着ているが、彼氏の方は少し恥ずかしそうにしている。

 着慣れない浴衣を着てそうなっているのか、彼女の浴衣姿が眩しすぎるだけなのかはわからない。

 そんな燦然とした中で、白Tにスラックスというなんともシンプルな服装の俺は、重い足取りで待ち合わせ場所へ向かっていた。

 駅を出てロータリーを見回すと、左手に見えるライブハウスの前に人だかりができていた。

 みんなここで待ち合わせをしているのだろう。ちなみに神崎から指定された場所もここだ。ライブハウスの人もいい迷惑だろうなと思いつつ、目をらして見ると、見覚えのあるイケメンと美少女二人がいた。


「瀬良っち〜! こっちだよ」


 目と鼻の先にいる姫野が、まるで海岸越しにいる人に呼びかけるような声で大きく手を振り、浴衣の袖が揺れる。

 綺麗にアレンジされた髪は向日葵のかんざしでまとめられる。

 普段は見えない真っ白うなじが露呈し、真夏に咲く花のような彼女に、夜の色気が漂っていた。


「悪い、待たせた」

「私たちも今来たところだから」


 腰を上げてはたはたと浴衣をはたきながら、漆原が言う。

 漆原は姫野のようなアレンジはなく、いつも通りの髪型だが、彼女そのものの美しさがシンプルな浴衣と合わさることで圧倒的な美と化している。手を加えることが愚行であるかのように、凛とたたずむ彼女はまるで女神のようだった。


「ちょっと瀬良っち! みれぴょんに見惚みとれてんじゃないよ。私もいるのに失礼なやつだな」


 わざとらしく眉間にしわを寄せながら、姫野が俺の腕に肘をぶつける。


「別にそんなじゃねえよ。さすがだなって思って。姫野もちゃんと似合ってると思う」

「ちゃんとってなんだ!」


 次は強めに背中を叩かれた。


「瀬良くん、それはないわ」


 漆原がわかりやすく目を細めた。

 言葉のあやってやつだろ。てか誰だって漆原を見たらそう思っちゃうって。

 神崎は俺たちの様子を見ながら、腹を抱えながら笑いを我慢していた。

 神崎はどうやら私服らしい。ベージュのTシャツに少しゆとりのある青みがかったスラックス。いたってシンプルな格好だが、俺との完成度が違いすぎる。

 なに? なんでこんな違うの? あ、そうか。そのちょっとだけシャツから見えるベルトがポイントなのね。違うよね。問題はそこじゃないよね。わかってる、わかってるけど今度やってみよう。


「紬ちゃんは?」


 漆原の言葉にギクリとする。


「ああ、なんか用事あるみたいで来れないって。用事なら仕方ないよな」


 首の周りに触れながら、動揺しているのがバレないようにいつものトーンを心がける。


「ほんと?」

「嘘つく理由ないだろ。ほんとだよ」


 嘘はついていない。

 月宮は北代と花火大会に行く。だが、この様子だと月宮は彼氏ができたことを漆原にも神崎にも言ってないのだろう。それを俺が暴露するわけにもいかない。

 嘘はついてないし、むしろ俺は月宮を気遣っている。

 なのに、漆原と目を合わせることができない。

 逃げ場を探して神崎の方を見ると、神崎は呆れたような目を俺に向けていた。なんでそんな目で見んの? 俺なんかした? 

 逃げ場がなくなった俺はまた視線を移す。そこには、沈んだ表情で俯く姫野の姿があった。視線に気づいた姫野がはっと顔を上げて、ぎこちない笑顔を作る。

 姫野はそんなに月宮と花火を見たかったのだろうか。誘ってやれなくて申し訳なかったな。


「まあ用事なら仕方ないね。花火まで時間あるしとりあえず屋台まわって時間潰そう」

「うんうん。そうしよう! 私チーズハットク食べたい」


 漆原が提案すると、姫野がそれに乗じておどけてみせた。とにかく、月宮の件はうまく回避できたみたいだ。

 神崎も立ち上がり、三人の輪に加わると、俺たちは大勢の人たちが向かう方向へと流されるように歩き出した。

 この中に月宮も来ているんだろうな。ふとそんな考えが頭をよぎった。



 まさか、十七歳にもなって迷子になるとは思ってなかった。

 屋台会場に行くと、予想以上の人ごみができていて、俺はまんまと神崎たちを見失い、少し外れたところにある小倉城に避難していた。

 小倉城は高台に構えているだけあって、屋台の様子がよく見える。

 危うく『人間がゴミのようだ』なんて安直な言葉を口に出しそうになった。そんなゴミからもはじき出された俺はチリか何かか? 

 高いところにいるからといって、神崎たちを見つけられるわけもなく、俺はただ呆然と眩しいほどに明るい屋台会場を見下ろしていた。スマホの充電もタイミングよく切れてしまったので神崎たちと連絡を取ることもできない。

 あいつらは俺のことを探しているだろうか。せっかくの花火大会に水をさしてしまった。今からでも動けば合流できる可能性はあるが、見下ろす先に見える人ごみに飛び込んで行く気力もない。そもそも彼らもこんな混雑した会場で俺を見つけられるとも思わないだろう。さっきアナウンスで花火まであと三十分だと言ってたし、あいつらはあいつらで楽しんでくれるはずだ。

 花火が終わった後に駅で待っていれば神崎たちに会える。それまではとにかくここにいて一人寂しく花火でも見よう。

 城の前にはプレハブがあって、入り口には多くの人が列をなしていた。

 どうやらそのプレハブは祭りに期間だけ開催されるお化け屋敷のようで、不穏な空気を漂わせるための塗装が施されている。

 数分おきに中から悲鳴が聞こえてくるのでクオリティはそれなりに高いらしい。かと言って入る気もないのだが。


『会場本部迷子のお知らせです。行橋市からお越しのタケマツさま。行橋市からお越しのタケマツ様。白のTシャツに黒のズボンを履いたタケマツダイヤくんが本部にてお待ちです……』


 会場に迷子のアナウンスが響いた。ダイヤくん、俺と同じ格好じゃねえか……。俺も同じく迷子だぜ。悲しいよな。ダイヤくんの特徴を聞いて思わず迎えに行きたくなっちゃったよ。お母さんに会えるといいな、同士よ。


「もう、探しましたよ。先輩」


 突然誰かが俺の肩に手を置いた。

 聞き覚えのある呼び方に、体がすぐに反応して後ろを振り返った。

 息をぜえぜえと吐きながら、膝に手をつくその少女を見て、鼓動が早くなる。


「つきみ……」


 少女がはっと顔を上げた時、俺は言葉を留めた。


「す、すいません! 人違いでした。後ろ姿がそっくりだったのでつい……」


 走って来た上に人違いをしてしまった彼女の顔はわかりやすいぐらいに赤く染まっていた。


「あ、いや大丈夫です」

「本当にごめんなさい」


 ぺこぺこと頭をさげると、彼女はすぐにその場から去って行った。

 よく見ると髪の毛も長いし、目つきも全然違う。なんというか、月宮よりギャルギャルしい。そんな彼女を俺はどうしてあいつと勘違いしてしまったのだろうか。


「くそっ」


 月宮と最後に電話してから、胸の気持ち悪さがぬぐわれていない。今頃月宮は北代の隣を歩いているのだ。間下に広がる屋台会場をさっきよりもよく見てみたが、当然あいつを見つけることなどできない。

 またメンヘラを爆発させてないだろうか、少しは北代のことを考えて行動しているだろうか、嫌われるようなことはしてないだろうか、そして月宮は今、笑ってるのだろうか。

 そんなことを思っては、胸が冷たくなる。


「なんなんだよ……」


 自分の煮え切らなさに腹が立ち、体に力が入る。


「やっと見つけた! 瀬良っち!」


 背中から、聞き覚えのある声が聞こえる。

 俺のことを『瀬良っち』と呼ぶ人間を俺は一人しか知らない。ゆっくりと振り返ると、息を切らしながら向日葵のような笑顔を浮かべる姫野が立っていた。


「また、姫野か」

「おいおい、なんだよ! せっかく探したのに私じゃ不満なのかい?」


 言いながら姫野は俺の胸をぽこぽこと全く力の入っていない拳で叩いた。


「すまんすまん。ただ、姫野はいつも俺のことを見つけてくれるなって」

「ん?」


 姫野は俺がいっていることが理解できないのか、こくりと首をかしげる。

 中学の頃、俺に笑顔を届けてくれた姫野。それから俺を闇から連れ出してくれた姫野。姫野はいつも影にいる俺を見つけてくれた。

 今日だって、こんなところにいる俺を見つけ出してくれた。彼女の息の荒さから必死で探してくれていたことなど簡単にわかる。


「わざわざ探してくれてありがとな。でも神崎たちと見てけばよかったのに。見つけるのめちゃくちゃ大変だったろ?」

「いやいや、あんな美男美女カップルの中で一人だけにされる方がよっぽど悲しいわ!」


 険しい表情で手の甲を俺にぶつける。


「はは、そりゃ確かに。俺でも嫌だな」

「でしょ? それに……」


 姫野がふと、俺から視線を外した。暗くてよく見えない頰が、提灯に照らされほんの少し赤く染まって見える。


「瀬良っちと見たかったし、花火」

「……」


 恥ずかしそうにする姫野を見て、俺は言葉を失い、祭りであることを忘れてしまうような沈黙が生まれる。

 そんな俺たちの空気を打ち破るように、空に一輪の花が咲き乱れる。


「花火、始まったな」

「そう……だね」


 上がり続ける花火を横目に姫野を見ると、ちょうど同じタイミングで姫野も俺のほうを見ていた。しかも、姫野はいつのまにか肩と肩が触れそうな距離まで詰めていた。


「近くないですか? 姫野さん」

「と、遠いと声聞こえないし」

「そ、そうですか……」


 姫野の視線はもう花火に向けられていたが、その視線は花火じゃなく遠い過去を見つめるようなそんな目だった。


「ねえ、瀬良っち」

「ん?」

「私ね、ずるい女なんだ」

「なんだよ急に」

「歌じゃないよ?」

「わかってるわ。そのボケわからない奴にはわからないぞ」


 いや、思ったけど。バイバイありがとうさよならしか思いつかなかったけど。


「さすが瀬良っち」


 そう言って、姫野は拳を肩にぶつける。


「ずるい女だからさ、あの時瀬良っちを振っちゃたの」


 姫野は自嘲気味に笑いながら肩をすくめた。


「あれは俺が勝手に勘違いして……」

「違うの!」


 姫野の声が俺の言葉をさえぎる。


「私、瀬良っちのこと好きだったんだ」


 その言葉は、花火の音に霞むことなく、はっきりと俺の耳に届いた。

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