20th Century Phantom(二十世紀の怪人)
賀野田 乾
第1話
化人の影
友人と落ち合う約束を取り付け、銀座の路面電車を降り、久しぶりに浅草に足を踏み入れた瞬間から、私は奇妙な違和感を感じていた。まるで見知った筈のところで、得体のしれぬ場所に迷い込んでしまったような収まりの悪い感触と言うべきだろうか。それは戦争で焼けてからたったの四年で驚くべき復興を遂げつつある東京の姿をそのまま言っていると言う意味ではない。小さい子が十年のうちにすっかり成長して姿形が変わっても、人が触ったものには目に見えない指紋が残るように、どこかその人間が持つ面影は残り香のように残るものだ。昔、海外からのものを翻訳した本でちょうど似たような感覚を意味する言葉を見た気がする。知ってるはずの場所なのに、初めて来たような不思議な感触を意味する言葉。それは……
「イア イア」
そんな事を考えて居た私の思考と重なるかのように、突然そんな奇妙な声が聞こえた気がした。私はその声がした露店の方を振り向く。「イヤ イヤ?」何か嫌がるような事でもあったのか?
「なんでしょうか?」
振り向いた先には、別に目につくおかしな事はないようだった。市場の女性と視線が合った。何故その瞬間、私が内心ギョっとなったのかはよくわからない。そこに居たのは何の変哲もない露店市の売り子だった。なんでもありません。と詫びを入れ、そのまま立ち去る私に視線が集中しているような感じが、その露店市場を抜けるまで離れなかった。
「やあ、よくきてくれたね。お上がりなさいな」
事務所も兼ねているらしい下宿の玄関先の呼び鈴を鳴らすと、程なくして電報での誘いの主である黒柳君が出迎えてくれた。
一応は友人出る私がこんな事を言うのもなんだが、そのどこか爬虫類を思わせる雰囲気が、ここに来るまでの不気味な違和感に滅入っていた気持ちを逆に幾分持ち直させてくれた。私も人の事は全然言えないが、折り紙付きの変人の放つ紛れもない懐かしい雰囲気が、私をむしろ安堵させた。
そこいらの下宿に比べたら、まだ広さはありそうな部屋の中に隈なく積み上げられた本の山脈。日本語ではなく英語、どころからどこの国の言葉か私には判断できない言語で書かれた怪しげな帯までが確認できる。一応は掃除はしているのか、見た目の汚らしさほど埃臭い感じはしない。
「なんにせよ、犯罪の研究ははかどってるのかい?」
開口一番、懐かしさも込めて私は黒柳くんの職業であり、私が興味を惹かれている事でもある、犯罪の研究について尋ねた。戦前のまだ学生だった頃から、黒柳くんは研究を続けていた。研究者と言っても、医療や文学を研究するのとは違う。その研究とは、世の犯罪を研究する事だ。日本の古今東西の犯罪の研究はおろか、西洋の今昔すら問わずに、黒柳くんは人の起こす犯罪の記録とその背景を調べる事に精を出し、私がその過程で出会った時も大学での数少ない犯罪者の心理を研究する学問を目指していたほどだ。その熱意が叶ったのか、今は東京の大学に研究の席を持っているとも聞いた。兎に角、私のその質問に対して、黒柳くんは急にその細い眉を寄せ困った顔になった。
「そこなんだけどね」
若き犯罪学者はややオーバーに悩んだ仕草をしてから私の目を見て口を開く。
「実に困った事、いや研究者としては興味深い事なのかもしれないね」
黒柳くんはそう言って椅子から立ち上がると、そのひょろりと長い身体に似合わない軽快な足取りで、住処でもある研究室の空間と言う空間の中に敷き詰められている蔵書の山脈の中から、迷う事無く一冊の本を取り上げると、元の席にそのまま戻り、私の目の前にそれを広げて見せた。それはまだ新しい一冊の雑誌だった。学術書と言う訳でもない、むしろ戦前からあるアングラ色が強めの通俗雑誌だった。曲がりなりにも少なからず権威のある大学の教員が手にする本としては些かギャップを覚えてしまうものである。
「なんだいこれは?」
面喰いながら私はその雑誌を手に取った。『雑誌 宝石』とある。少し前、戦争が激しくなって来た頃には世の中がうるさくなってろくに目にする事もなくなった通俗雑誌だった。実のところ、私もそういう類の小説やコラムは結構な好物であり、暇があれば読んでいた事もある。
「この江戸川乱歩と言う作家の書いたコラムを見てみなよ」
江戸川乱歩。名前は聞いた事がある。と言うよりも忘れられない名である。
私が戦争前に東京で活動していた時は、この東京も中々に刺激と娯楽に満ち溢れたところだった。この乱歩と言う作家は、そんな東京で起きる怪事件を荒唐無稽な事件小説作品にして一世を風靡した小説家だ。しかしながら、戦争が激しくなるにつれて彼のような通俗作家は表現の場を国から追われる事になったのだった。戦後になり、またこうして名前が出るようにまでなったらしい。
「読んでみなよ」
頁を繰る私をまるで面白がって観察するような悪戯っぽい顔で、黒柳くんは私を促す。
「ラヴクラフト?」
『幻影城通信』と書かれた江戸川乱歩のコラムには亜米利加にいるらしい、ラヴクラフトと言う怪談作家の事が紹介されていた。
「そのラヴクラフトと言う怪談作家の書いたとされる話が重要なんだ」
私がその声で注意を再び黒柳くんに向けた時には、いつの間にか黒柳くんは手書きらしい原稿用紙の束をいつの間にか両手に抱えていた。
「これが今回君と久しぶりに会う気になった理由さ」
それは、どうやら乱歩氏がコラムで紹介していた怪談作家の小説を黒柳くん自らが英訳したものらしかった。どこで入手し、いつの間に翻訳までしたのかはわからないが、私は何故か素直に従い、その分を読み進めた。
「君がここに来るまでに感じた事に似ているんじゃないかな?
黒柳くんの指摘は図星だった。私が銀座に来てからバスや喫茶店に入った時に感じた違和感と同じ事が、この『インスマウスの影』と題のある怪談に似ていた。。
「この本に書かれている通りの事が、この東京でも起きているとしたら?そして、かつての帝都に現れた君みたいな怪人や怪奇犯罪が起きているとしたら?」
随分と荒唐無稽な話だった。もしくは荒唐無稽な事が東京にまた起き始めているのか?私は翻訳した目の前の黒柳智代女史の言葉に、何だか高揚する不思議な気分になっていた。
「または君みたいな怪人がこの東京に跋扈しているのかもしれないのだよ。
遠藤平吉改め、怪人二十面相くん」
どうやら、私のその名前が、再び仕事として東京に響く事になりそうだ。
イア!イア!
20th Century Phantom(二十世紀の怪人) 賀野田 乾 @inuitaku
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