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春嵐
Chillds' night.
夢を見ようと思って、眠る。夢があればいいなと思いながら、生きる。
そういう、人生だった。
夢のない生き方。目を閉じればすぐに朝が来るし、生活には目標も目的もなかった。ただ、消費されていく日々。
小さな、バー。だいたいは、ここで呑んでいる。酔えば夢が見れると思うのに、自分に酒は効かなかった。どこまで呑んでも、酔わない。
「聞いてくださいよお、マスター」
二つ左隣の席。悪酔いしている客がいる。自分の目の前にある意味のない酒を、すべて呑んだ。もともと、そんなに量が入っていたわけではない。
「仕事が。終わらないんですよお?」
机を指で、三回叩く。テンダーが、奥に引っ込んだ。かわりに、自分がカウンターに立つ。
こういうことも、できる。バーだけではなく、かなり多くの土地の権利も有していた。利権と資金洗浄が目的だった人間を、消していった、だけ。欲しくて手に入れたわけではない。バーも、たまたま近場を潰したときに勢力範囲内だっただけ。地権者が違法なことをしていただけの、別に普通の店。
「あれ、マスター」
何も言わず、目の前の酒を下げて、差し替える。ノンアルコール。
「ですから。とにかく、仕事がですよ。こう、山のように積まれてて。追いつかないんですよお」
正面に立って分かったが、女性。男性もののスーツに、ショートヘア。声も低い。見た目では分かりにくい。
「仕事仕事で。もう、いやになっちゃう」
延々と言葉を受け流し続けた。こちらからは、何も言わない。
こういう、誰かの何かを聞き続けるのは、簡単にできる。自分自身が、空っぽだから、だろうか。
そのまま時間だけが過ぎていって、やがて女性は眠った。
奥から、テンダーが二、三人出てくる。閉店の時間。午前二時。
「いい。俺がやる」
閉店作業。机を拭いて、扉を閉めるだけ。店員は裏から出れる。
「この客を移動させて、毛布を」
テンダーが、ふたりで客をソファに移動させた。この店のテンダーは、すべて女性。暇なときに体術を教えてほしいと言われたりするので、全員が使えない県警連中よりは強かった。用心棒も必要ない。
閉店作業を全て終わらせ、眠っている客の隣で、眠った。
夢を見た。
子供がいる。ひとりの部屋。おもちゃで遊んでいて、他には誰もいない。それだけ。おもちゃで遊び尽くしたら、少し眠って、おもちゃを片付けて、何かを待つ。そしてまた、おもちゃでもう一度遊び始める。
誰かを待っている。誰を、待っているのだろう。
そこまでで、起きた。
頭が、少しぼうっとする。生きていてはじめての、夢だった。ひとりぼっちの子供の、夢。
「あ、あの」
声。ソファのほう。
客が、目だけを開けて、こちらを見ている。
「見、ちゃい、ました?」
「何をですか」
夢のこと、だろうか。
「12500円です」
「あ、ごめんなさい。おかね払ってなかった」
客が起き上がり、財布を取り出す。
「あの」
「確かに受けとりました。領収書は」
「大丈夫です。いつもより、その、安くないですか?」
「途中からノンアルコールなので」
「え」
おかねを財布にしまった。財務省庁高官のテンダーがいて、仕組みはよく分からないが客からの費用は全て各人のお財布にしまうことになっている。もともと、このバー自体が利益のためのものではない。それでも、利益は無駄に出ているらしかった。この前見せてもらった納税額は、中規模企業のそれと同じ。
「あの。見ました、よね?」
「なにを」
「夢」
夢か。自分には、なかったもの。ついさっき、生まれてはじめて、見たもの。
「わたし。うれしかったです。あなたが、夢の中に来てくれて。いつも、ひとりだったから」
「あの子供か」
「はい。わたしです」
目の前の女性。さびしそうに、わらう。
「むかしから、ひとりだったので」
「ずっと、おもちゃで遊んでいた」
「あなたが何も喋らないからですよ?」
「俺が?」
「目の前にいるのに、何も話しかけないし、ただじっとしてるから」
そうか。夢の中でも、自分の姿は見えていたのか。
「もう行かなきゃ」
女性が、ソファから起き上がる。ふらふらしていた。抱いて支える。
「もう少し休んでいたほうがいい」
「いや、でも、仕事が」
昨日の言葉。
「警察関連ですか」
彼女。無言。
「いや、あなたが漏らしたわけではない。自分も似たような、ものなので」
彼女。耐えきれず、ソファに沈み込む。
「所属と、名前を」
彼女。まだ無言。
「俺の名前は、AR3です」
彼女。反応がある。
「あなたが」
「所属と、名前」
ほんの少しだけ、見つめあう。
「一課の、戌子です」
「おっと。失礼した。任務中とは知らず」
「あっ違います。普通に呑んでました」
戌子。居ぬ子の当て字で、内偵捜査担当。
電話を入れる。県警本部、監察と直通。
『はい。なんでしょうアルさん』
AR3だから、アルさん。
「うちのバーに今、一課の戌子が」
『それはとんだ粗相を』
「いえ。単純に呑んでいただけというのも分かっています」
『こちらからアルさんを調べることは』
「仕事が多いと、しきりに愚痴っていましたが」
『あ、はあ』
「大きなヤマでも?」
自分が知る限り、街は平和だった。
『ええと、もうしあげにくいんですが、アルさんのせいです』
「俺の?」
『あなたのつぶした勢力の、残務処理ぜんぶ戌子の担当なんですよ。本来潜入するべき先が、なくなってるので』
「残務処理」
『平和な街で、見つかりもしないような悪党を探す仕事ですよ。気の毒だとは思いますけど、まあ、役所仕事なもんで』
「俺のせいか」
『はあ。なんとも、こればかりは』
「仕事を減らせないのか?」
『いちおう、街に悪いやつなんかいないよとは囁いたんですけど、根が真面目らしくて』
「そうか。俺のせいか。ありがとう」
『私も近々呑みに行っても?』
「どうぞ。貴女よりも何倍も強いバーテンダーが相手をしますよ」
『ひええ』
電話を切った。
目の前の、彼女。静かに寝息をたてている。
いま、眠ったら。もういちど、夢を見れるのだろうか。
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