溺れる人魚

雪柳

第1話 海の魔女

 波は光のヴェールを弄び、陽気な人魚は今日も難しいことは考えず歌を歌っている。そんな光景を尻目に、外れにある洞窟は深い闇とともにじっとたたずんでいた。

ぷちっ

静かな洞窟で何かが弾ける音がした。破れた膜から人間の赤ん坊と同じぷくぷくとした手や少し大きめの頭が現れる。それに続いて1本2本……3本と計8本の脚がニュルリと洞察の床を踏みしめる。

「あぁ良かった、やっと会えたわ。ティア、私の可愛い娘。」

父母は歓喜に震え涙を流す。ここに「悪魔の子」がまた1人誕生した。


***


 「やだ、なによあれ。」「よくあの姿で外に出られるよね〜。俺だったら絶対無理。」「見て、あの8本の脚。まさに悪魔の子よ。本当に醜いわ。」

汚い囁き声の中をタコとエビの人魚が悠々と歩いている。

「ふんっ、アイツら全くわかってないわ。この海で一番美しいのは他でもないティア、アンタなのに。」

エビの人魚が周囲を横目に吐き捨てる。

「いいのよシュラウザ。言わせておきましょう。」

「なんでよ。アンタがなにも言わないなら、代わりにアタシがアイツらの狂った審美眼を叩き直してやるわ。ティアの青みがかった白い肌は透き通っていて、切れ長の目は吸い込まれそうな深い海色。豊かな白銀の髪は白波のように輝いていて思わず手を伸ばして捕まえたくなるわ。でも最も美しいのはその脚。8本あるから醜いなんて言うヤツがいるけど目が節穴ね。泳ぐことしかできない尾ヒレよりも自在に動く脚のほうがいいわ。アンタは他の人魚のように長いこと泳ぐのは得意じゃないけど美しく歩くことができる。その姿はまるで漆黒のドレスを纏った乙女よ。アイツらには絶対に真似できない美しさ。いったいどこが醜いというの?それに、」

「わかったからもういいわよ。誰がなんと言おうと私はこの海で一番美しい、あの人たちは敵わないんだから。ほら少し急ぐわよルゥルゥを待たせてる。」

興奮してまくしたてるシュラウザをなだめると、納得した様子でそうねとうなずいた。

 シュラウザの言う通りティアは美しく、そして強かに成長していた。もう16歳の彼女には他の誰にもない力がある。それは魔法だった。正確には彼女の一族が持つ力なのだが、ティアは抜きん出て魔法の才能があった。自ら様々な研究を繰り返し、強く即効性があり確かな魔法の力を手に入れた。彼女を海で一番の魔女と呼んでも過言ではない。

 今日は魔法薬を作るのに必要な材料を手に入れるため、はるばる西の海へやってきた。本当はティア1人でも良かったのだけれどシュラウザが「興味があるから連れてってよ。代わりに荷物持ちをするから、いいでしょ。」と言って聞かないので一緒に行くことにした。ティアはせっかく荷物持ちがいるなら家がある東の海では採れない物も手に入れようと思い、西の海まで来た。彼女も満更でもない。


 周囲が薄暗くなった頃「ルゥルゥ、ルゥルゥ〜!帰るから来てちょうだい。」とティアが声を張り上げる。隣のシュラウザは長時間の採取に疲れてぐったりとしていた。シュラウザの腕には持参した袋いっぱいの魔法石や海の怪物の骨などが抱えられている。1分もしないうちにルゥルゥはやってきた。

ボコボコッ

バブル音が鳴るのと同時に二人を巨大な影が覆った。影の主は二人に近づいてゆきその姿を現した。全長8メートルほどの巨大な女性の鯨の人魚。彼女こそがルゥルゥだ。

「ありがとう、ルゥルゥ。1日付き合わせちゃって悪いわね。」

そう言うティアに気にしなくていいと言うようにルゥルゥは首を横に振りふっと微笑んだ。ティアとシュラウザは長時間泳ぐのが得意ではないので、遠出するときはよくルゥルゥに連れて行ってもらっていた。二人が採取している間は特にすることもないので、付近をのんびり泳ぎ回ったり昼寝をしたりと自由に過ごしていた。側から見ればこき使われているようだが、ルゥルゥ自身そんなふうには微塵も思っていない。二人はルゥルゥの背中につかまり夜の闇へ消えていった。

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