平凡騎士と七人の薔薇の姫~普通を目指して実力を隠していた少年は、天使のような高嶺の聖女達に囲まれた~

@rabbits

クラスで一番の少女から

「……ふぅ」


 軽く息を吐きだした少年は仰向けのまま流れる雲を眺めていた。どこまでも続く青い空。風に吹かれてゆらゆらと揺れる雲は見ていて飽きない。


 見晴らしの良い屋上で寝転がっていた少年が億劫そうに体を横にすると、大きなコの字を描く建物が目に入った。


 窓から見えるのは必死に講義を聞く生徒達。


 ここは学園である。


 リエステラ王国が誇る名門――ルノワール幻装学園アカデミー。才能と家柄、全てを兼ね備えた紳士淑女が通う学園だ。


 夢見る子供ならば誰もが憧れこの学園を目指す。


 入学できればそれだけで箔がつき、卒業できれば人生バラ色と、誰もがそう思う――普通の人なら。


 そんな事を思い浮かべながら少年は再び息を吐きだした。


「バラ色ね……」


 国内に数ある幻装学園の設立目的は幻装騎士の育成に他ならない。そんな幻装騎士とは幻想世界イミテーションより現れる幻獣――いわゆる化物と戦う者達を総称したものだ。


 そんな輝かしい未来が待つルノワール幻装学園において少年は浮いていた。


 思い出すのは彼がこうなってしまった過去。


 高名な家系に生まれた彼は生まれた時から生活環境が普通ではなかった。


『幻聖の称号をとれ。それ以外は無価値だ』

『自分の価値を証明し続けろ』


 このリエステラ王国内で最高の名誉を二分する称号の一つ、幻聖だった父親に連れられレイは物心がついた頃には戦場が日常だった。


 修行の日々。


 父との会話は全て幻装騎士に関してのみ。母親は物心がつく前にはいなかった。そして、父がその理由を語る事も無く日々は過ぎ去っていった。


――その結果


 多感な子供時代を全て戦場や修行で費やされたレイ。


 幻聖の父を持ち、歴史を築き上げてきた家系。そんな少年を見て普通の人なら誰もが言うのだ――『羨ましい』と。だが、それは普通を知るからこそ出てくる言葉であった。


 レイは違う。


 生まれた時から普通とは程遠い生活。


 全てを幻想世界の為だけに生きてきた十数年。父親の大きな背中に憧れてひたすら努力し続けた。どれだけ傷つこうとも、どれだけ泥に塗れようとも目標の為にひたむきに努力。


『もっと強くなれば……褒めてくれるんだ。俺が弱いから……』


 父が持つ幻聖という肩書が発する重圧に押し潰されそうになりながらも必死に剣を握り続けた。才能の優劣など吹き飛ぶくらい愚直に努力した過去。


 例え父の向ける視線がレイの価値だけを見ていたとしても、見てくれるだけで嬉しかった。


(俺は父さんに褒められたかっただけなんだ……俺を見て欲しかった。家族に……)


 だが、そんな努力が報われる事は無かった。


 切っ掛けは単純。


 いつもは修行と父しか目に入らなかったレイが見てしまった。心が折れかけていたレイだからこそ今まで無意識に切り捨てていた可能性を直視してしまう。


 楽しそうに駆け回る普通の子供たち。父親に肩車されて騒ぐ子供の姿。母親と楽しそうに買い物をする姿。子供同士で遊ぶ姿。そのどれもが知らないものだった。


 子供たちは誰一人として、何度も何度も豆が潰れて固くなった自分のような手はしていない。


 誰一人として泥だらけでも無く、傷だらけにもなっていない。


 子供達は努力せず家族を手に入れていた。あるがままに暖かな家族を手に入れていた。何もせずとも……頑張らなくとも褒められていた。


 平凡でありふれた光景。


 そんな普通の光景を初めて見た彼は自分の世界が崩れていく音を聞いた。父親に褒められたいという目標に向かって努力で築き上げた土台が呆気なく崩れていく。


 普通・・の家族に憧れたのだ。


 普通・・になりたいと切に願ったのだ。


 それからというもの父と徐々に距離を置くようになった。


 努力の目標が消え失せ、なんの為に剣を握るのか分からなくなった。


 そして、レイに価値が無いと判断されたのか、戦場に連れて行かれる頻度も減っていく。月日が経つにつれて視線も言葉も何も交わさない希薄な関係に変わっていった。


 そして、そんな父からある事を告げられた運命の日――


『あと一年でお前も十五才だ。そうなればルノワール幻装学園アカデミーに入学し、確実に卒業しろ。既に話はつけている。これだけは有無を言わさん。分かったな?』


 王国に無数に存在する幻装学園の中で最高学府と呼ばれるルノワール幻装学園アカデミーの入学許可証をレイの目の前に無造作に放り投げた父親の顔は言葉通り有無を言わさぬものだった。


「……っ」


 幻聖の永世称号を持つ時代の英雄が放つプレッシャーを浴び、レイはゴクリと唾を飲み込む。


 そして、王国最強の一角を前にして、レイは意を決し口を開いた。


『相談なんだけど……家も父さんの事も伏せて入学していいかな?』

『なぜだ?』

『それは……家や父さんの名声無しで自分の実力で成り上がりたいんだ』

『家柄というものはそれだけで武器になる。それを放棄するということだな?」

「うん」

「ふん。ならばそのようにしよう。と言ってもそもそもそうするつもりだ。現時点でもお前の事を知る者は極少数。家柄に胡座をかかれては家の恥となるゆえな」


 それだけを言い残すと父は部屋から去っていく。


 こうしてレイは名門学園に入学する事となったのだ。





『最低ラインの成績をとりつつ……目立たず地味で平凡の学園生活を送る。父さんにバレる前に生きていく術を身につける。これが当面の目標……だったのに……』


 こうして地味で平凡な騎士となったレイは誰からも見向きもされず、彼が思い描いた普通・・の学園生活を送っていた。


 しかし、何故か憂鬱な感情が晴れる事は無かった。


「ああ、普通ってなんなんだろ……」


 ゆっくりと流れる雲を見つめながら呟いた。


 地味っぽくするために、わざわざ顔を覆うほどに長く伸ばした前髪を鬱陶しそうにかきあげたレイは寝返りをうつ。


「ん?」


 寝がえりをした際に不意にズボンの右ポケットからくしゃりと音が聞こえてきた。何の気なしに無造作にポケットから音の主を取り出したレイ。広げてみると、くしゃくしゃに丸まっていたものの正体は手紙であった。


「ぁ……」


 差出人【セレスティーナ・ルクレール】


 そんな差出人の一文を見たレイは何も見なかった事にしてそっと手紙を懐にしまう。そして、再び寝転がった次の瞬間、講義の終了を知らせる鐘が鳴り響いた。


 暫く空を眺めたまま固まっていたレイ。


「このままいけば退学かなぁ。まあ、それはそれで今の俺にお似合いかな……」


 自嘲気味な言葉を吐き出したレイは頬をパチンっと叩く。そして、憂鬱な気持ちを払拭しようと立ち上がった。


「帰りますか……ん?」


ガチャッ


「ちょっといい?」


 控えめな声で屋上に現れたのは少女だった。それなりに整った顔立ちをした少女には見覚えがある。同じクラスで何度か顔を合わせているルーナ・リーガルであった。


 クラスで一番可愛いと言われているリーガル。確かに可愛らしく、最近流行りの化粧で更に磨きがかかっている。自分の事を可愛いと認識しているのか堂々とした立ち姿だ。


(確かに可愛いんだけど……俺の基準がおかしくなってるのかな……)


 そんな事を考えながらも目の前の少女の真意を図ろうとするレイ。


 そもそも彼女に対する今までの印象からいって話しかけられるのが喜べるものではないのは確かだった。


「えっと……」

「単刀直入に言うわね。地味男と騎士契約をしてあげてもいいわ。私とペアになって幻装騎士になるわよ」


 内容を理解できずにルーナをきょとんと見上げる事しかできなかった。


「聞こえているの?」


 内容を咀嚼しようとの脳が働き始めるがやはり理解はできない。


「……はい??」


 騎士契約とは男女で結ばれる契約。幻獣を唯一倒せる武装。それは聖女と呼ばれる者のみが幻想世界から召喚できる幻装聖典である。そして、男はその幻装を操り幻獣を倒す事から騎士と呼ばれていた。


 騎士と聖女のペアを幻装騎士と呼ぶのだ。

 ようするに、幻獣を倒すには男女のペアが必要であった。


 そして今回のこのシチュエーションからしてみると……もしかするとそういう事らしい。


「えっと、俺とリーガルさんが?」


 レイに騎士契約を持ちかけられる覚えはない。


「このまま退学になるのは可哀相だからよ。それに……」

「それに?」

「もう何でもいいじゃない」

「いや……でも、キンバリーはどうするんだ?」


 脳裏に浮かんだのはクラスで最も成績が良いロイス・キンバリーだった。ルーナもまた聖女としての実力は高く二人の契約は皆が予想していたものだ。


「ロイス君とも話し合ったわ。学位戦が始まる前から退学は可哀相だって……あとは私自身もそうしたいって思ってたから……まあ、ちょっと負担になるけどね」


 そう言って笑みを深めるルーナ。


「ペアを二組作れるのか?」

「規則的には問題ないけど、そんな事をするメリットは無いわね。勝率が全ての学位戦アカデミーリーグでわざわざ対戦回数を増やして勝率を維持できる人なんて赤薔薇の煌姫セレスティーナ達みたいな薔薇の姫くらいよ」

「……そうか。じゃあなんでペアに誘うんだ?」

(セレスティーナ……いや……聞き間違いだ)


 レイはルーナの口から飛び出た名前を聞き流した。


「それは……とにかく!」


 もうじき全校生徒総当たりの学位戦アカデミーリーグが開催される事からペア決めは必然的な事であった。学位戦は全てにおいて根幹となる重要なリーグ戦。酷い結果を残せば退学処分が下される厳しい戦いだ。


「舞踏会の前に決まって良かったじゃない。それでいいでしょ?」

「……ありがとう」


 実力のある男子生徒達や優秀な幻装聖典を召喚できる女子生徒の取り合いになる熾烈なバトル――舞踏会を前にペアが決まった事はレイにとって歓迎すべき事だ。


 ルノワール幻装学園において、平凡な事は歓迎される事ではない。ルーナが名乗り出なければ酷い有様になっていたのは確実であった。


「よろしくお願いするわ」

「……よろしく」

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