灯りを消して。

平山圭

第1話

 ***


 究極の黒。

 この見出しが目を引いた。今月のNewtonの、見開き二ページ分の記事。今年七月、アメリカの学者たちが世界で最も黒い深海魚を十六種発見し、光を九十九パーセント以上吸収するそのメカニズムを解明した、とのことだ。記事には十六種のうちの二種の写真が掲載されており、なるほど、普通の写真では黒すぎて影のように見える。「ウルトラブラック・フィッシュ」と呼ばれるこの魚たちは、その黒さゆえ、深海での視認に通常の黒い魚の六倍短い距離を要するという。捕食者の目を逃れる色。生存戦略としての「究極の黒」。

 光の溢れる私たちの世界において、見えないこととは光を反射も吸収もしないこと、すなわち、透明であることだ。対して深海の闇の世界では、見えないこととは黒いこと、光を全て吸収することであり、黒こそが深海における透明なのだ。十六種の透明な魚たち。なんだかわくわくする話だ。満足して、私は誌面を閉じ、机の上に置いた。

 それにしても――部屋の電気を消しながら私は考える――深海とはどうにも人を惹きつけるところのある世界だ。人、という主語が大きければ、私、と訂正しよう。全ての生命の活動力が、最終的には太陽に帰結される私たち地上の世界と、光のない、地球内部のエネルギーを母とする深海の生命体系、暗闇の世界。そして両者の間には、何か壁のような物質的な境界があるわけではない。両者はただ海の深さによってのみ隔てられるのだ。曖昧に隔てられ、それでいて独立した二つの世界。隣接する異世界の、黒い、グロテスクな怪物たち。

 私はひととき地上の心配事を忘れ、暗い海の奥深くを静かに泳ぐ究極の黒に思いを馳せる。その晩私は、このごろ珍しい、穏やかな眠りについたようだ。(2020年9月)


 ***


 壁より北には何もない。南へ出れば海がある。波の穏やかな内海だ。国民のほとんどはそれを見ることなく生涯を終える。彼らは知識としてしか海を知らない。本物の海を知るのは、政府から認可を得た漁師たちと、一握りのならず者のみ。ただし、彼らの生涯はきわめて短い。

 南の壁には船のための門がある。残る三方にはない施設だ。門を出れば港がある。港を出るとすぐ、船は豊かな漁場に着く。国内の海産物のほとんどはここから供給される。あとは養殖だ。

 漁場を過ぎて、半日航海すると、一般市民の知らない陸地が見える。捨てられた土地。役人はそこを、暗黒大陸と呼んだ。


 Qは暗黒大陸に上陸した数少ない人間のうちの、さらに珍しい生き残りだ。十年前の当時、彼は傭兵だった。身寄りのない、ならず者のする仕事。壁を越える仕事の経験はあったが、海を見るのは初めてだった。彼を乗せた船は秘密裏に出港した。

 明朝、二十人の傭兵が上陸し、日没後、十八人が死亡した。船にたどり着いたとき、Qはほぼ無傷だったが、もう一人は発狂していた。意味不明の単語を繰り返し叫んだ。

 帰港してすぐ、狂った仲間は射殺された。Qのほうは、無傷で事態を切り抜けたその能力を評価した担当者の気まぐれにより、殺処分を免れた。彼はいま、〈消防士〉として働いている。


 彼は今でも、あの夜のことを夢に見る。街灯一つない、本土ではあり得ない暗闇。雲が星月を隠せば、辺りは本当に黒一色に染まる。仲間の悲鳴。謎のことば。骨の砕ける音。血の匂い。砂の味。そしてあの、黒いなにか。しかし一番強烈なのは、あの土地から見た自国の姿だ。想像していたよりも遥かに小さく、そして遥かに明るい。詩人の言葉は正しかった。あそこはたしかに壁の国だ。だが同時に光の国でもある。それも間違いじゃない。

 故郷、海の向こうの暗闇から見た故郷は、広大な大陸に屹立し、夜を突き刺す光の槍であった。


  *


 壁の国は光で満ちていた。それゆえ、公式には、国民は自国を光の国と呼んだ。壁の国という別名も一般に広く知れ渡ってはいたが、その使用を憲兵に見つかった場合禁固刑は免れない。この禁忌は光の国を貫徹する理念そのものでもあった。


 百年前、とある大国が、高さ十メートルほどの壁によって、この世のあらゆる荒廃と貧困を囲い込むことに成功した。少なくともそう宣言した。国民はこれ以降、患部を切り取って残った土地を国土として暮らすことになった。密封のため、内部への侵入はもちろん、壁への不要な接近も法によって禁じられた。周辺は憲兵や警官によって厳しく管理された。

 壁の国の理念とは圧倒的な光であった。国中を余すところなく照らす正義の光。嘘は暴かれ、秘密はなく、謎もない。公開、暴露、解明。白日の光。町中を覆う照明が永遠の昼を実現した。夜の暗闇は極めて私的な空間においてのみ許され、慎重に管理された。いつしか、大国は自らを光の国と呼ぶようになった。

 光の国という国名が公式に採用されてまもなく、ある著名な詩人が新作を発表した。題名は、『壁の国の子供たち』。詩の中で、彼は荒廃と貧困が壁の中ではなく壁の外にあること、すなわち囲い込まれているのは自分たち光の国の住人のほうであることを暴露した。とはいえ別に、彼が初めてこの事実に気づいたわけではない。建国当初から、ある程度頭の回る人間はみな気づいていたことだ。しかしそれを声高に歌い上げたのは、この詩人が最初でありまた最後でもあった。

 詩集の発表直後、詩人はテロ容疑で逮捕された。『壁の国の子供たち』は危険図書として発禁・回収という処分を受けた。これは建国以来最初の、公式の焚書であった。詩人は裁判のたびに罪状が増え、最終的には死刑になった。判決の三日後、刑は執行された。

 執行の前日、監獄近くの壁の上に細長い鉄の棒が突き立てられた。噂によると、その長さは詩人の身長と等しかったそうだ。翌日正午、詩人は警官と共に壁の上に立たされた。太く頑丈な紐が、詩人の首と、並び立つ棒の根本とを繋いだ。警官の発砲を合図に、詩人は壁の内側へと(彼自身の言説によれば、壁の外側へと)飛び降りた。彼が最後に見た景色は、北の裸の大地であった。詩人の死体は、国民には見ることのできない壁の内側(外側)に吊るされ、放置された。以降、この処刑法は慣行として定着し、今では夥しい数の棒が詩人のそれを取り囲んで林立している。ともあれ、この事件によって、詩人の考案した呼称はこの国における重大な禁忌となり、同時に、暗黙のうちの別名として定着した。それは公然の秘密であった。

 しかし実際のところ、人間は普遍的に、自分の定住する場所を内側、それ以外を外側と考える傾向にあるから、多くの国民が、自国を壁の中の国と呼びたい気持ちに駆られていた。これは大変不便であったから、人々は荒廃と貧困が閉じ込められた彼の地を暗黒界と呼ぶようになった。それによって内外という表現を避けた。この呼称は中央の独裁者たちにも気に入られたようで、公式に採用され、定着した。


 暗黒界と、光の国。この二項対立と、その境界たる壁への神聖不可侵な信仰。これらが、光の国を支える基本的な哲学であった。


  *


 〈外回り〉から戻ったQは、金属のトレイを棚から取り出し、その中で封筒を焼いた。今週の仕事はこれで終わりだ。彼は急いでコートを着た。ぎこちなく笑いながら、ボタンを全て留める。彼は勃起していた。

 封筒が灰になるのを見届けて、彼は事務所を出た。外は相変わらず明るいが、時刻はもう夜だった。冷たい風が吹いていた。

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