感情について

とても感情的な人間であると私は自らのことを評している。

しかし実際に私と対面したことのある人が恐らくそう思わないであろうことも予想している。

私はボソボソ話す方だしその反射神経も良い方ではない。言葉を選ぶのに慎重だという印象を抱く人が多いのではないかとも思っている。


若い頃はそうした傾向を「人見知りゆえに」と評していたけれど、でも実は多分正しくないような気がしてきている。

私は結構人との距離感がおかしなところがあって、同じ場に居合わせた全くの他人に話しかけてみようかな?と思うことが結構あるし、実際に話しかけてしまったことも何度かある。

また、初対面の相手でも訊かれたら自分のことはほとんど何でも話してしまう。根掘り葉掘り訊かれても全然それが嫌ではない(「コイツ、興味ないのに場を繋ぐためだけに訊いてきているな!」と思ったら腹立つが)。

多分こういう人間のことは人見知りとは言わないだろう。

他人は他人、という意識が強まってきている近年は特にそうだ。他人に自分のことをどう思われても仕方ないという諦めが強い。それなのにというか、それゆえになのか、ノリだけのコミュニケーションが苦手で深い話しかしたくない……というワガママな面も持ち合わせているので、まあ面倒な人間だなという気はする。




しかしじゃあこれが「常に感情を曝け出している」「常にありのままの自分で他人と接している」のか、と問われると恐らくそうではない。

他人と話す際にはそのための『構え』をどうしても取っているように思えるのだ。

昔からの親友と話す際でも、家族と話す際でもそうだ。相手によって無意識のうちにその形を微妙に変えながら『構え』を取っているはずだ。

自分の感情や思考や判断をそのまま言葉にして垂れ流せるわけではない。それは接する際の心構え次第とか、感情を開放していないせいだ、とかそういう問題ではなく、他人と話すという行為の際にはどうしてもそうなってしまう……というもっと構造的な問題だと思う。


文章を書く際も同様だ。

このエッセイ集と称した一連の文章ではほとんど自分のことを書いている。まあ私は内省的な性分なのでかなり赤裸々に書いていると思う人もいるかもしれない。またTwitter(X? 何ですかそれは?)ではもう少し粗野な言葉遣いもよくするので、よりその印象は強まるかもしれない。

でもやっぱり書く際には書く際の『構え』があるのだと思う。

どれだけ意識して精緻に文章を紡いでも感情すべてを表現するには足りていないように思うのだ。


じゃあ感情を100%表現出来ないとして、原理的に他人に表出し得ないようなものを存在すると言えるのか? という問いは正当なものだと思う。

しかし一般的に考えて、表現出来ない部分の感情は存在するだろう。

みんな大好きGRAPEVINEのボーカル田中和将さんがある雑誌のインタビューで言っていた言葉はとても印象に残っている。(自分たちの音楽は)「悲しみも怒りも喜びも楽しみも濃く含まれているが、全てが等しく含まれているが故に打ち消しあって一見無感情に見える音楽」というような評し方をしていた(大意を大きく損ねていたら申し訳ありません)。

まあ要は、私もこれなのではないか、と思っているわけだ。


原理的に他人と比べることは出来ない……という言い方を私はよくするので、いきなり矛盾した物言いではあるのだが、それでも自分は人と比べて割と感情豊かな人間なのではないか、と思うわけだ。

子供の頃は色々とストレスが強く、布団の中で泣きながら歯ぎしりして「今すぐ滅亡しろ世界!」と念じたことが何度もあった。私の感情の傾向の本質的な一面は間違いなくこれで、破壊的・爆発的な衝動を強く持っている。子供の頃は自殺の衝動がいつもあったし、特定の誰かを殺したいと思ったこともあるし、誰でもいいから殺したいと思っていた頃もあった。……ように記憶している。

むろんこれは一面に過ぎない。客が2~30人しかいない地下アイドル現場でライブを観て涙を流したことは数知れないし、ネコ様のご尊顔を拝見しては知能指数を半分以下に低下させた喃語で話しかける……というのもまた私の一面だ。

私は私のこうした様々な面を知っているから自分のことを感情豊かだと評するが、しかしまあ結局は他人とは比べようがないことなのだろう。

というか表出し得ない感情というものがある、ということを論じてきたのだから、他人の感情も見えている部分から推し量ることは出来ない……という主張をより強く裏付けることになるだろう。




人間にとって「自分を表現したい」というのは一つの普遍的欲求だろう。

私がこうして書くのも根源にはそれがあるのは間違いない。

でもその「自分を表現したい」という欲求は「自分の感情を表現したい」とイコールではないのだと思う。かなり違っているような気がする。

「表現したい自分」の内には感情だけではなく、能力・志向・思考・世界の捉え方・ルーツ・影響されてきたもの……その他自分を形作っている無数のものを込めたいと願っているはずだ。

そして先述したように、原理的に書くことでは感情を100%表現することは出来ないのではないかと私は思っている。


しかしそれでも感情を言語化することは有効だろう。

自分が抱えている感情を意識しておくことは自分と接してゆく際にとても役立つのだ。

自分の感情の傾向を把握して、今の自分の感情がどうであるかを量ることが出来れば、自分と付き合ってゆくのはより容易いものになってゆくだろう。


愛する誰かよりも自分と付き合ってゆく時間の方が長いのだから、なるべく自分のことも深く理解してあげてください。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る