家族について

たまには家族について書いてみたくなった。

まあ家族だから「10割大好き!」とか「100%大嫌い!」とか割り切れるものでないことは、ほとんどの人が同様だろう。

これは自分自身への態度と同様だ。

家族と会っていない期間は今現在で半年程度だが、今後会っても会わなくてもどっちでも良いと思っている。

これも自分自身への態度と同様だと思う。

つまり家族について振り返るということは自分自身を振り返ることと同義なのだと思う。




私は4人兄弟の末っ子として生まれた。

4人兄弟というのは今時珍しいだろうし、私の時代でも少なかった。

しかも上の3人姉弟は年齢的に固まっており、私だけがポツンと離れているのである。

一番上の姉とは17歳、真ん中の兄とは15歳、下の兄とも14歳離れているのである。私が物心ついた時には皆成人していたので一般的な姉弟姉妹とはだいぶ感覚が異なっているだろう。

「14年も経て、何で今さらに子供を作ろうと思ったん?」

と私の出生について親に尋ねてみようと思ったことは何度もあったが……まあそれを問う機会はついぞ訪れなかった。




父親は私が小6の時に亡くなっている。

夜中に突然苦しみ出し、そのまま亡くなってしまった。

いかにもおじさんという感じで、泥臭く、不器用で、私のことを猫っ可愛がりする父親のことが子供の時はあまり好きではなかった。しかし亡くなった時に「生前、本当にお父さんには良くして頂いてねぇ……」ということを本当に色々な人に言われた。それだけ人間的な魅力に溢れていた人だったのだろう、ということを外部の人を経て初めて気付いた。

そのような人との接し方に於ける美点を私はほとんど受け継いでおらず、不器用な点ばかりを受け継いでいる。


母親は一番長く接した家族だろう。

優しい部分もあるし、ユーモアの部分もあるし、いい加減な部分もあれば、神経質で厳しい面もある……母親のことはどう評したらいいのか分からない。多分自分と一番近い人間だからだと思う。良くも悪くも自分は間違いなくこの母親の子供だ、という事実をどう評価したら良いのか……それは「生まれてきたことが良かったのか?」と同レベルの問いかもしれない。




さて姉弟についてである。

3人の姉兄皆それぞれ中々面白い人物だと私は思っている。社会的に成功しているとはとても言えないという部分も含めてである。


姉は元々ガリ勉タイプだったのだろう。学級委員とかに自分から(しかも誰もやりたがらないのを見兼ねて本気の奉仕精神から)立候補して、クラスの男子から嫌われるタイプという感じがする。

学歴としては商業高校しか出ていないのだが、20代前半の時から宗教活動の一環としてポルトガル語を学び、ブラジル人コミュニティを主とした生活を送っていた……というのは、事情を良く知らない人からしたらまるで意味が分からないだろう。実際にブラジルにも半年ほど行っていた。通訳や翻訳の仕事も少しやっていたそうだ。

ブラジル人が不況等の事情により日本から減ってしまうと、同じ宗教内部で今度は英語のコミュニティに移り、インドネシアにも50歳近くになって行った。

「いい歳になっても勉強勉強の日々だよ」ということを言っていたのが、我が家系の努力に対する報われなさをとても象徴した言葉として印象に残っている。

外国人と接する機会も多かっただけに、コミュニケーション能力はまあまあ高いのだろうが、単にフレンドリーで誰とでも話せるというだけではない。

「派遣として行った会社で中々挨拶を返してくれない社員が居たので、その人の目の前まで行って『○○さんおはようございます!』と言ってやったら、相手はめちゃめちゃ嫌な顔をしていた」とか「電車でダベって床に座り込んでいる若者に対して『大丈夫ですか?どこか具合悪いんですか?』と話しかけた」というエピソードは、我が家系特有の攻撃性の表れたものとしてとても微笑ましい。


上の兄は全然タイプが違う。

元々は野球少年だったらしく体育会系のメンタリティが強いのだが、どういう経緯でなのか右翼・左翼といった思想問題に非常に造詣が深い。

とても理屈っぽく、会うと「日本の現状についてどう思う?」とか「お前はこれからどう生きていくんだ?」という議論を大真面目に吹っ掛けられるもんだから、ちょっと面倒臭くもあるのだが、まあその議論は芯を食ったものであるだけに中々興味深い。少し離れて見る分にはとても面白い人だと思う。

文才もあり小説を自費で何冊か出版している。小説的レトリックはあまり得意ではないのかもしれないが、一文一文の切れ味は鋭いものがある。私がこうして文章を書くようになったのも兄の影響を受けているのかもしれない。内容的には全然違うのであまり直接的な影響ではないと思うが……。

子供の頃は時々兄と会うのがとても楽しみだったし(私が物心ついた頃には兄は家を出ていた)、熱く核心を突いた数々の言葉に感銘を受けていたように思う。

でもいつからか、そんな兄の言葉を素直には受け止められなくなっていったような気がする。私が自分自身に対して厳しくなれなくなったことの表れなのかもしれない。


下の兄はまたタイプが違う。

姉と上の兄は、どちらかというと文系で人当りも良い(本質的に社交的な人間かというとそこは微妙だが)のだが、下の兄はどちらの部分も異なっている。

まずは圧倒的に非社交的だ。どのくらい非社交的かと言うと、ニートだとか引きこもりだとかいう言葉が社会問題として登場する前から、彼はニートであり引きこもりであった。時代の遥か先を行くパイオニアだったのだ!

まあずっと働いたことが無いという訳ではなく、一度仕事を辞めると次の仕事に復帰するまで何年も掛かるというだけなのだが……あれ、どのくらいの期間働いてなかったのかな?……とにかく私が小学生の頃から高校卒業するまでの頃で、働いていた期間はかなり短いように思う。ぎゅっと縮めたら1,2年なんじゃないだろうか?

……一応フォローしておくと東京に出てきてからのここ15年くらいはちゃんと働いているようだ。

だが不思議なのは能力が低いとは思えないことだ。

最終的な学歴としては、私と上の兄と同じ工業高校を中退しているのだが(上の兄も中退、私は卒業)、文系の姉、上の兄とは違いどちらかと言うと理数系の頭を持っている。細かい作業なども得意だし機械関係も強い。文系の私からすると理解出来ない頭の良さだ。

下の兄は引きこもり期間で接する時間が長かったこともあり(テレビは兄の部屋にしかなかった)、14歳離れてはいるが私にとっては遊び友達のような側面も強い。

私がサッカーを好きになったのは兄の影響だろう。ちなみに兄も私もサッカー部だったわけでもないのだが、近くの公園で二人でよくボールを蹴ったり1対1をやった。それも子供の頃だけでなく私が高校生くらいになってからも時々やった。

兄はドリブルが上手かった。普段は引きこもってテレビを観るか、テレビゲームしかしていない兄だから、高校生にもなるとフィジカル的には私の方が有利になるのだが1対1では結構やられた印象がある。ボールを足から離すタイミング、ほんの一瞬ずらす細かいフェイント……本当に純粋にセンスだけでやられた印象がある。色々な人とサッカー・フットサルをしてきたが、ドリブルの一番純粋にセンスだけの部分で言えば兄が一番かもしれない。

まあ昔から海外サッカーを観るのが好きだったようで、そういったところからセンスを吸収していったのだろう。私もサッカーを観るようになったのは間違いなく兄の影響だ。


書いてみると何だかんだ……姉弟3人のことは特に……結構好きかもしれないと思った。

我が家の人間ほど良い意味で変な人間とはあまり出会っていないように思う。無論私が、それだけ深く接する人間が今まで少なかったというだけなのだろうが。

滅びゆく家系であることが少し寂しい気持ちもする。






(了)

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