出産の記憶と誕生日

今日は8日。息子の誕生日だ。今年で16歳。長いようで、あっという間でもあった。

16年前の今日という日を考えてみる。


16年前、私は初めての出産のために入院する事になっていた。その年まで怪我や病気とも無縁だったので人生初の入院だった。ついでの手術の予定もあり、私は気持ちが昂っていた。戦に出る。そんな気分だ。戦に出る武士ってこんな心持ちだったのかな?とか思って。出産とは言っても、手術もある。大袈裟かもしれないけど、もしかしたら死んでしまうかもしれない。出産で命を落とすという人も、昔ほどではないがたまに聞く。自分にとっては命がけだ。どうすれば死なないで済むか。私は考えた末、体力を付けることにした。とりあえず、体力を付けるなら焼肉でしょうと安楽亭に行く。焼肉だったらちょっとやそっとじゃ死なないでしょうと。「最後の晩餐になりませんように。死にませんように」と祈りながら、私は出陣の意を心に秘めて体力を付けた。こんな一大決心をしていた事は、未だかつて誰にも言ったことはない。くだらないと笑われそうだ。夫も知らなかっただろう。


手術の記憶は麻酔のせいか、少ししかない。ただ数ヶ月間のお腹の重さと腰痛にほとほと嫌気がさして早く出したいと思っていた。身軽になりたいと。生まれたての我が子と初めて会った時は、やっと会えたという嬉しさもあったけど、「自分の中から人が出てきた!!」というなんとも不思議な感覚だったことも覚えている。感動と言うよりも、割と客観的に冷静にみている自分もいた。涙よりも不思議さが優ってしまっていた。


帝王切開は愛情が湧かないとどこかで聞いたことがある。普通分娩だった人が「帝王切開は楽に産めて良かったね。それに比べて普通分娩は長い時間の痛みに耐えて大変だからその分、愛情も沢山出るのよ」という事らしいのだけど、私はマウント取っているようでそれもなんだかなぁと思っていた。帝王切開だって手術なのだから当然痛い。でも、その言葉がどこかで引っかかっていて、そんな言葉に負けたくない気もしていて、私はある事を決めていた。術後の痛み止めはしないでおこうと。この痛みを耐えてこそ一人前なんだと。これは女の意地だ。でも、今思い起こすと、術後の数日の痛みは覚えていない。ある種のアドレナリンが出ているのか、痛み止めの注射をしなくてもあまり痛くなかった気がする。そんな事よりも、産後は授乳だとか沐浴の講習だとか、色々な育児の指導や講習会があって、そんな事言ってられなかった。術後数日で、病室をパタパタと急ぎ足で走り回る私を隣のベッドの人のご両親が「あのこ、元気だねぇ」と言っていたそうだ。あの頃は、私も若かったなぁ。回復が早い。今だったら考えられないだろう。


あの時に「自分から出てきた不思議な人」が今は16歳。横から見ると数字の3のようだった可愛いらしいプニプニしたほっぺは無くなってしまい、今は父から髭剃りを教えてもらうようになった。すっかりあの時とは違う生物になってしまったなと思いながら、微笑ましく髭剃りを見ている。息子よ、16歳おめでとう。

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