友達とは何だろう?

友達。友達はたくさんいるのが良いのか。少ないのが良いのか。沢山いると毎日賑やかで楽しいだろうか?少ないけど深く付き合える親友と呼べる程の人が数人いるのが良いのだろうか?私は最近分からなくなってきた。


もともとは沢山いる方ではなかった。全然いない訳ではないし、沢山とも言い難い。かなり仲の良いのが学生時代や社会人のそれぞれのステージにおいて、数人ずつ増えていく感じだった。でも、素がそれほど社交的ではないので、卒業すると会ったり遊んだりする回数が少なくなり、何年何十年も会わないとなってくる。年賀状のやり取りだけという人もいるし、たまにメールで話すとか程度の人もいる。境遇が同じや似ている人は今話すことがあるから会ったりも出来るけど、生活が変わりすぎて接点が見つからないと会ったとしても何を話せば良いのだろうと躊躇してしまう。相手が社交的な人なら良い。相手が沢山話してくれるから。でも、相手も私と同じタイプなら話が続かない。私は話を続けようとすごく頑張ってしまい、疲れてしまう。でも学生時代の楽しかった思い出があるからそのまま繋がっていたいとも思う。でも、ある友達から卒業してからもずっとやり取りをしていたけど、今年向こうから年賀状辞退の葉書が送られてきた。連絡先も無く、メールアドレスも無い。卒業後会った回数が数回という人だった。楽しい思い出もあったけど、全てがピッタリと合うわけでもなかった。生活もお互い変わりすぎてしまい、多分これからも会うことは無いだろうなと思っていた矢先のことだった。でも、切り方が実に寂しいものを感じる。



友達の中にとても友達の多い人がいる。彼女は友達を沢山作って友達をとても大切にする人だ。友達は人生の財産だと思っている節がある。色々な友達に会い毎日が楽しそうだ。彼女の母親もまた似たタイプだ。きっと母親似なのだろう。社交的で人懐っこく、朗らかだ。私もああいう風になったら良いかなと思った事が何度もある。彼女になったつもりで彼女の生活を想像してみる。でも、自分でやってみようとその生活をシュミレーションしてみるととても疲れるのだ。私にはやはり彼女の生活は無理そうだと結論付く。面倒臭い感じが大きくなって、嫌気がさしてくるのだ。でも少しするとまたやはり多い方が良いのかと思う。そうやって逡巡している自分がいる。



本来の私は1人で誰にも邪魔されずに自分の好きなことに没頭することに悦びを感じる。誰かに会ってワイワイ騒ぐことも嫌いではないし、その時は楽しく感じるのだけど、しょっちゅうそれをやりたいかと言うとそうでもない。その場は楽しいけど、後でかなり疲れている事に気付く。そして面倒くさいと思い、またしばらくはいいやと思ってしまう。でも、時々淋しくもなる。実にわがままだなと思う。

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