鰻丼の歴史

鰻丼の歴史を読んだ。前に一度読んだことがある本だったが、なんだか丼ものが食べたくなって、もう一度その本を読んでみた。




江戸時代、鰻は鰻屋が天然物の鰻を割いて蒲焼にして売っていた。当時は、酒のつまみに酒飲みの男性客などが注文していたそうだ。それだけでは、あまり売れないので、下戸の人や女性・子供を取り込むにはどうしたら良いのか考えた。当時、江戸の町には白米があったので、付飯という風にして白米ご飯を蒲焼とセットにしてメニューにした。結構売れたらしい。




その後、芝居小屋用に鰻飯という物が出来た。鰻飯は、陶器の器にご飯、鰻の蒲焼、ご飯と三重構造になっていた。鰻を真ん中に入れていたのは、冷めて味が落ちるのを防ぐためだった。保温効果らしい。蒲焼の甘い醤油ダレがご飯に絡まって美味しく、ご飯の量も多いのでかなりお腹がいっぱいになったそうだ。




明治時代になり、鰻の養殖が始まり、大きさが揃ったものが取れるようになった。関西の方と関東で鰻丼に違いも出てきた。関西の鰻丼はご飯、鰻の白焼き、ご飯という三重構造の物が有り、関東では大きい鰻の蒲焼をご飯の上に乗せて陶器の蓋をするようになった。関西では「まぶし」という名前に変わってきて、正岡子規が「まぶしはマムシみたいで嫌だ」と言うような事を言ったとか。関東者が関西の鰻屋で鰻丼を注文したところ、店が鰻を乗せ忘れたと思って、「うなぎが乗っていない!」と言って大騒ぎしたなんて事もあったらしい。蒲焼単品も、大、中、小と鰻の大きさによって値段が変わってきた。




その後、高級料理店では、鰻丼を重箱に入れる所も出てきた。それが今の鰻重らしい。




天丼が食べたいと思っていたけど、鰻丼の話を読んだら鰻丼が食べたくなってきた。けど、鰻は高いなぁ。今日のご飯は何にしましょうか。悩みます。






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