関ヶ原古戦場の幽霊がいなくなった

20年くらい前から関ヶ原の古戦場跡で幽霊を見なくなったという話を読んだ事がある。幽霊には寿命?があるのではないかということが言われているそうだ。寿命が400年だとすると丁度いまから20年前が2000年なので、それから400年前だとすると1600年で、丁度関ヶ原の戦いになる。徳川家康と石田三成の天下分け目のあの有名な戦だ。




400年の間に無くなるというのはどういうことなのだろう。考えてみた。生命体としてのエネルギーと言うものが魂というものだとしたら、それが燃え尽きるまで400年かかるのだろうか。落武者の霊とか白い着物の女幽霊とかはよく聞くけど、それ以前のものは聞かない。平安時代や奈良時代の霊は今は聞かないけど、昔の時代では怨霊とかもののけ、あやかしなどと言われていたものがその類いではないか。それも時と共に言われなくなり、そのエネルギーは消滅したのだろう。よほど強い怨念のエネルギーが残っているものは、神社などに祀られて神として崇められる。




幽霊は霊感の強い人に見えるという。幽霊がいるのだとしたら、幽霊は私たち生きている人間が見えている。見える人を選んで出てきているから、幽霊も霊感があるのだろう。霊感があるかどうかなんて霊感を持っていないと分からない事だろうから。幽霊になると霊感が付くのだろうか?また、幽霊同士はお互いの存在が見えるのだろうか?新しく幽霊になったばかりの新人幽霊は落武者幽霊をみたら怖いと思うのだろうか?「ヤバっ、落武者だ!逃げよ。」とか思うのだろうか。それとも「わあ、落武者、カッコイイ♡」とかなるのだろうか。意外と時代は関係なく友達になれたりするのだろうか?




400年でいなくなるということは、もしかすると転生があるのだとしたら、また現世に生まれ変わっているのかもしれない。そうでないと、地球上が幽霊だらけになり、生きている人間や動物よりもものすごく多くなってしまう。そうだとすると、現世にいられる人間などは個体数が決まっていて、それが増えると誰かが死にとして絶対数が決まっているのかもしれない。400年、魂の休暇をしてから、また現世に戻ってくる。こう考えると、幽霊と現世で生きているものは数が決まっていて、循環しているのではないか?




こうやって考えると、隣の人は徳川家康と室町時代の商人、弥生時代の農民、向かいの人はシーボルト、大正時代の教師などの転生を何度も経験してきた人かもしれない。ひょっとすると、あなたもきっと有名な誰かを一度はやったことがあるかも。


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