第2話 師匠とはじめて会ったときのこと
かつて、この世界では皇国とその隣国に位置する、帝国の間で激しい対立が起こり、その対立が極限まで達した時、それがさも当然であるかのように両国の間で戦端の火蓋が切って落とされた。
両国が互いに宣戦を布告すると、 それに同じた他の各国もどちらかの陣営に属して戦い、世界中が戦火に覆われることとなった。
その戦争のさ中で皇国軍に属する一人の闇魔導師が頭角を現した。
その闇魔導師は長く続く戦争の中で様々な伝説を残すこととなった。
曰く、帝国軍が使役していた巨大なドラゴン数匹を闇魔術を使い一瞬で屠った。
曰く、一度の戦闘で数百人の敵兵士を殺戮した。
曰く、全滅寸前の部隊の兵士を全員退却させ、暗黒神すらも使役して、たった一個小隊で攻め寄せてくる敵兵およそ数万人を退けた。
他にも様々な伝説が残っているが、あまりにも人間離れした活躍に、信憑性に欠ける噂も多かったが、闇魔導師の戦う姿を直接見た者は皆、それらの噂を信じざるを得ない心境になったという。
長く続いた戦争の中で闇魔導師は戦い続けた。そして、その戦争中に闇魔導師が殺した敵兵士の数と魔物の数は既に数えきれないほどにまでなった。
いつしか闇魔導師は皇国軍側陣営からは、守護神のように扱われ、帝国軍側陣営からは魔王のように恐れられた。
10年もの長きにわたって行われた戦争は、お互いに疲弊した皇国と帝国との間で協定が結ばれることによって終結し、それと同時に世界を覆いつくしていた戦火も徐々に消えていった。
戦後の皇国では、闇魔導師は英雄として扱われ、論功行賞によって莫大な報償金が与えられると同時に、皇国中の魔術師の中で最も栄誉ある名誉職の座に着くこととなった。
闇魔導師は長く続いた戦争の中で時を過ごし、終戦時の時の年齢は既に老境へと達していた。
しかし、地位と、名声と、莫大な富を得たはずの闇魔導師は毎日、何かを考え込むかのように鬱々として暮らしていたという。
そして、ある日、闇魔導師は忽然と姿を消した。
皇主たちは、闇魔導師を必死になって探したが、その所在は杳として掴めなかった。
闇魔導師がいなくなる数日前に、面会した人物によると、その時の闇魔導師は珍しく上機嫌で「クェックェックェッ」と笑っていたそうだ。
それから、およそ1年後皇国の国境近くにある辺境の街外れに、得体の知れない怪しげな闇魔術師が住み着いたという噂が流れたが、街の住民たちはそれが戦争の英雄である闇魔導師と関連づけて考えることはしなかった。
なぜなら、その噂を確かめようとした人々が見たその人物は、およそ自分たちがイメージしている伝説の英雄とはかけ離れた風体をしていたからだった。
□□□
「あなたは、父さんと私に望まれてこの世に産まれてきたのよ」というのが、死んだ母さんが口癖のように僕に言っていた言葉だった。
4年前に、10年間の長きにわたって続いた大戦争が終わり、僕が産まれたのはその戦争が始まって1年後だったらしい。
父さんは戦争中に徴兵され、そのまま帰らぬ人となったそうだ。
僕は時々母さんに「父さんはどんな人だったの?」と聞くと母さんはいつも少し悲しげな目をして言葉少なに「父さんは優しくてとっても素敵な人だったわ。だからあなたも将来は父さんみたいな人になれるわよ」と言っていた。
父さんのことを聞くたびに母さんは悲しそうにするので、やがて僕は父さんのことを尋ねるのをやめてしまった。
その母さんも3年前に働きすぎが原因で病気を患い、亡くなってしまった。
母さんは死ぬ寸前まで、僕が望まれてこの世に生まれてきたのだと伝えようとしていた。
孤児となった僕は大屋さんに長年間借りしていた古い部屋から追い出され、それからは自分の身を自分で養わなければいけなくなった。
僕の生まれ育った街は国境近くの辺境にある中規模くらいの街で戦争が始まる前は保養地として賑にぎわっていたそうだ。
でも、戦争が始まると国境という立地上にあったため戦火に晒され、その影響で街には未だに戦災の爪痕がいたるところに残っており、戦争が終わって4年もたつというのに復興作業は遅々として進まず、保養に訪れる人々もなく他に特別な特産品などもない、この街は貧しいまま取り残されているみたいだった。
僕はその街で、毎日のように働いた。必死になって探せば仕事は毎日のように見つかる。
僕は毎日色々なところに御用聞きに行き、犯罪以外のどんな仕事でもやった。
掃除、洗濯、お使い、鼠や害虫の駆除、様々な業者の小間使い等々。
それでも子供の僕が一日に得られる賃金はほんのわずかで、一日の終わりにはその日得られた収入を握りしめて肉屋に行き、そのお金で処分されそうな牛や豚などの端肉や不要な内臓を買い、朝、馬の世話をすることを条件に寝場所として借りている馬小屋に戻り、買ってきた肉を焼いて食べてから毎日の眠りについていた。しかし、仕事が見つからない日は空腹を我慢しなければならなかった。
その日も僕は、一日の仕事を終えると肉屋で牛の内臓を買い、馬小屋へと戻ろうとしていた。
すると、僕のことを遠巻きに見ながらニヤニヤと笑っている三人組の僕と同年代くらいの少年達の姿に気がついた。
彼らはいつも僕を目の敵にするようにからかい、僕が食べ物を持っているのを見るといつも三人で襲いかかってきて食べ物を取り上げて、それを地面に叩きつけて全員で食べられなくなるまで執拗に踏みつけるのだ。
彼らがいつものように笑いながら近づいてくるのを見た僕は牛の内臓を入れた袋を抱きしめて全速力で逃げ出した。
彼らも僕に罵声を浴びせながら追いかけてきた。
僕は相手が諦めるようにわざと街外れまで必死に逃げた。
ようやく、彼らの気配を感じなくなり安心したころには、いつの間にか今まで来たこともない暗い森の中に迷い込んでしまっていた。
遠くから野犬のものとおぼしき遠吠えがいくつか聞こえた。
野犬ならまだしもこの辺りにはゴブリンなども出るかもしれない。僕は恐怖のあまり悲鳴をあげて泣き出しそうな気分になったが、口の中は歯がカチカチと鳴りヒューヒューという呼吸をするのが精一杯だった。僕はそのままの状態で恐怖に震えながら何時間か過ごしていた。
そこへ、カンテラが照らす光が徐々に僕に近づいてくるのが見えた。
僕は安心したあまり、その光に向かって駆け出したが、そのカンテラを持っている人物の前まで来ると転んでしまった。
僕は顔を上げて、その人物の顔を見上げるとその人は、街外れの家に住んでいるという怪しい噂が絶えない闇魔術師の老人だった。
その老人の目付きは鋭く、鼻は鷲鼻で白い髭からわずかに見える口は偏屈そうに強く結ばれ、広い額を補うように後ろ髪の白髪は肩まで長く伸びていた。そして何よりも僕を怯えさせたのはカンテラの光に照らし出されている頬から口にかけてついていた大きな傷だった。
闇魔術師はボロボロのローブを身に纏った細身で長身の体を少し屈め、僕の顔を覗きこむようにして見た。
恐怖に駆られた僕が最初にとった行動は、横に落ちていた牛の内臓を取られまいとして、それを必死に抱きしめることだった。
闇魔術師は僕のその様子を見ると唇を歪めるようにして不気味に笑い出した。
「クェックェックェッ。そんなものは取りはせんよ」
僕はそれでも震えたまま何も言えなかった。
「儂が怖いか?」
そう問いかけられても僕は何と答えていいのかわからず、相変わらず無言のままだった。
僕の住んでいる街は辺境の近くにあるため、時々強力な魔物が出没する。
ところが、冒険者ギルドでは街の財政上それらの魔物に対して高額の報償金がかけられない。そのため強力な魔物を討伐に行く冒険者は極めて少ない。そういった場合には街の冒険者ギルドの関係者などが、この闇魔術師に安価でモンスターの討伐を依頼しているのだそうだ。
その戦う姿を見た者が皆声を揃えたように闇魔術師は悪魔のような手際で魔物を殺戮していたという噂を僕も街で耳にしていた。
おそらく、この闇魔術師の機嫌を損ねれば僕の命など一瞬で消されてしまうだろう。それにここは夜の森の中だ。ここで僕が殺されても街から孤児が一人消えただけでは誰も気にも止めないだろう。
相変わらず無言のままでいる僕を見ていた闇魔術師はため息を一つつくと、カンテラの中の火を吹き消した。
周囲一面が闇に包まれた。
「儂が怖いか?」
闇魔術師はもう一度聞いた。
「いいえ」
僕は怯えながらなんとかそれだけを答えた。
「クェックェックェッ。お主ぬしは嘘をついておるな。お主の心は恐怖に満ちている。嘘も時と場合によっては必要なこともあるが、あまり嘘をつき過ぎると心が闇に蝕むしばまれるぞ。今儂らは闇の中にいる、闇の中で恐怖するのは当然のことじゃ、何も恥ずべきことではない。だか、闇を怖がりすぎても心が闇に蝕まれる。それならば、どうすべきか、自らを闇と一体化し心の中に光を灯すのじゃ」
闇魔術師は一瞬沈黙した。
「どうじゃ? お主の中にある闇と光で儂を照らしてみればわかるのではないか? お主の前に立っているのはただの老人にすぎないことが」
正直に言って僕には目の前にいるはずの闇魔術師がどんな人物なのかわからなくなってきた。
すると今度は、闇魔術師は困ったような声で弁解するように言い始めた。
「イヤ、なんだ、儂も不本意ながら街で良からぬ噂を立てられておるのは知っておる。でも、儂はそんな、何というか自分で言うと少し傷つくが見た目ほど悪い人間じゃないんじゃ。それに、ほら、ここら辺には野犬も多いし、お主のその大切に持っている食料の血の臭いを嗅いで寄ってくるぞ。何よりもこんな夜更けに子供が一人でいると危ない。だから今回は儂を信用して、儂の家までついてきてくれんかのう」
その本当に困ったような言い方を聞いていると、僕は少し安心して、心の中に少しだけ光が灯ったような気がした。
「わかりました。闇魔術師さん、お言葉に甘えさせていただきます」
「そうか、それは良かった」
そう言うと闇魔術師は、カンテラに火を灯して、また唇を歪めるようにして「クェックェックェッ」と声を出して笑った。
でも、不思議なことにその笑い方は、さっき見たときほどには不気味には感じられなかった。
「それからのう、儂のことは闇魔術師ではなくて、闇魔法使いと呼んでくれ、なんというか、魔術師よりも魔法使いという呼び方の方が、魔法使いのおじいちゃんという感じで親しみやすい気がするんじゃ」
「はい、わかりました」
「ところで、お主の名前を教えてくれんか?」
「アルバート・シルヴィアです」
「そうか、アルバート・シルヴィア。儂の名前はグレゴリー・ブラッグスじゃ。短い間になるじゃろうが、よろしくのう。クェックェックェッ」
と言ってブラッグスさんは、嬉しそうにまた笑った。
これが、僕と師匠が初めて出会った時の話だ。
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