自転車の後部座席、そこにいたはずの彼女はもういない。
総督琉
自転車の後部座席、そこにいたはずの彼女はもういない。
僕はいつものように自転車をこいでいた。
汗も滲むような思いで坂道を上り、立ちこぎをしても坂道はやはり上りづらい。そんな思いをしながら坂道を上りきり、僕はやっと目的地へついた。
この町で唯一の駄菓子屋。
この店でお徳用アイスを買い、溶ける前に家に帰る。それが毎週月曜日の習慣だ。だが、その習慣を一人の女が破壊した。
アイスを買ってかごに入れ、そのまま自転車を走らせようとすると、何かが後ろに乗っていることに気づく。
振り向くと、そこには少女がいた。
「行かないの?」
少女は平然とそう言った。まるでそこに座っているのが当然かのように。
もちろん僕はしかめっ面を浮かべるが、それに呼応して少女は首を傾げる。
「アイス溶けるよ」
僕に妹などいたか?いいや、いるはずもない。
ではこの子は誰だ?まさか
「なあお前、誰だ?」
「もちろんはじめましてよ」
「は!?」
簡単なことなのに、理解するのに時間がかかった。
「だから私とあなたは、はじめましてよ」
駄目だ。
まるで自分の耳がガラクタになってしまったかのように、彼女が何を言っているのかを理解できない。
「ねえ、アイス溶けてきてるよ。速く家に帰らないと」
少女は母親のようにそう言った。
この時は気が動転していたのか、僕は不思議と自転車を前へこがしていた。ゆっくりと坂を下りる自転車に揺られながら、僕と少女は風に頬を愛でられ、その速度にジェットコースターのようば恐怖心を覚える。
「やっぱ気持ちいいね」
楽しそうに少女は言った。
僕は少女が落ちないようにと、少女の腕を僕の腰へと回す。
「落ちるなよ」
「解ってるよ」
やけに落ち着いたトーンで言葉を返され、僕はハンドルをふらつかせた。
「もう。ちゃんと運転してよ」
「解ってるって」
何もかも知ったような口調でそう言い、機転を返すようにして、
「ねえ。君はさ、学校、楽しい?」
「さあな。でも僕は正直つまんないと思ってるよ」
「ぼっちだから?」
「ああそうだ」
そう僕が言いきると、下っている坂道の中で、少女は驚きに包まれた。
「じゃあどうして学校なんか行くの?」
「結局、俺がいようがいまいが変わんないってことなんだ。じゃあ行かないって選択肢もあるけど、他人に左右される人生なんてつまらないって思うんだ。それにさ、俺が犠牲になっているから皆は楽しく会話をしているって思ったら、なんか、どうでもよくなっちゃうだろ」
「やっぱお前、面白いよ」
「そういうお前は学校とか行ってるのか」
「行ってると思うか?」
「その質問、ちょっと答えづらいな」
「優しいな。でもそれは私が行っていないって思っているのと一緒ってことだろ」
図星をつかれ、僕は感嘆に満ちた息を吐く。
「そうだ。だってそんな話をするってことは、少なからず自分もそういう立場にいるってことだからな。それに、こんな平日の真っ昼間から外にいる奴は、学校になど行っていないさ」
「私の相談、聞いてくれるか?」
「構わないさ」
彼女の言葉を聞いて解った。
彼女は、相談してくれる人を探していたんだ。きっと、誰かに悩みを打ち明けたかったんだ。
「私、学校には行ってないんだ。成績はいつもトップで友達も多い。けど、やっぱ足りないんだ。結局、私には足りないものがいくつかあった。そんな虚無感に襲われて、私はいつからか学校に行かなくなったんだ」
清々しい天気の中で、彼女は地球の質量よりも重い話をした。そんな話をして地球が重くならないか戸惑うが、どうやら僕は彼女の話を真剣に聞いていたせいか、そんなことは考えられなかったらしい。
「なあ、お前は学校、行きたいのか?」
「解らない。けど強いて言うなら、行きたいのかもしれない。でもやっぱり嫌なんだ。何もできない自分が、本当に嫌なんだ。だから私は……私が解らない」
まるで詩を読むように、彼女は静かに打ち明けた。
でも彼女の悩みは僕とは正反対だった。
僕は何も持っていない、いわゆる平凡だったから死にたくなった。何もなかったから学校に行くのを辞めた。
それだけのことだ。
けれど彼女は、何もかもあったから、それが息苦しかったから、きっと学校を辞めたんだ。
同じようで全く違う。
似ているようで別人だ。
僕と彼女は、同じじゃない。
でも、僕は相談を受けた以上は、最後まで彼女の相談に乗らなければ、そうでもしないと僕はただの無力な奴になってしまう。だから僕は、救いたい。
「なあ少女よ。お前はもう間違った道を歩みだそうとしている。それが今という結果にある。お前は本当は親友に悩みを打ち明けるべきだった。だがお前には"
まあ僕は友達すらいないがな。
「だからお前は偽りの笑顔でいつも自分を偽ってきた。だからお前は生きることがつい苦しくなってしまった」
坂道を下りきり、すぐそこにある我が自宅を通りすぎ、僕はある場所へと向かった。
「だが僕は何度も経験して解ったことがある。偽るのは意味がない。自分が苦しくなるだけだ。一時期の快楽に身を任せる、それは酒と一緒で、一時期の苦労を忘れるだけだ。だがその後には必ず負の連鎖がその者を蝕み、やがては廃人となって死んでいく。それが世界だ。それが結論だ。だがお前にはコミュ力がある。僕よりも圧倒的で、誰よりも優れた知識がある。なら話は簡単だ。あとは親友を見つけるだけ」
「親友なんて……」
「親友なんてどうせ見つからない。お前はそう言いたいんだろ。だが僕は知っている。周りが見えていない奴ほど、すぐ何かに期待してしまう。だからお前は僕に期待し、人生を変えてくれ、学校に行くための一歩をくれ、そうしてほしかったんだろ」
「私は……、」
何かを言い欠けたのだろうが、彼女の口からその続きが聞けることはなかった。
それもそうだ。
でも、あくまでこれは他人の人生だとしても、僕は彼女には失敗してほしくない、そう思ってしまっている。だから僕は、なんとしてでも彼女を救おう。
「少女よ。お前はどうしたい?」
「私は、自分が生きたいように生きる。もう他人には振り回されない」
「ああ。他人に振り回される人生ほど、つまらないものはないからな。だから少女よ、よく聞け。お前は僕よりもコミュ力が高くて、僕より年下のくせに僕より頭が良い。それに僕より勇気があって、だがその代わりに周りが見えていない」
「それは直すよ」
「僕よりお前は人気者で、僕より友達の多いお前。僕はそんなお前が大嫌いだ。僕は青春を楽しく生きている全人類が大嫌いだ。だからいつか壊れてしまえ。そう思っている」
「何それ」
「だが、お前だけは応援している。だから、進めよ。お前が進みたい道を」
僕がブレーキをかけて止まった場所は、この市に一つしかない小学校。
「どうせこの学校だろ」
「ありがとね」
少女はブランコから飛び降りるようにして自転車の後部座席から降り、そのまますたすたと学校の門の中へと入っていった。
「そういえば、名前、聞いてなかったね」
彼女は振り向き、数メートル離れた距離からそう言った。
初めて聞く彼女の大声に驚きつつも、僕は、
「どうせもう会わないだろ。お前が学校デビューするんだから」
結婚して親のもとから離れていく父親の気分を味わい、僕は自転車を漕いでその場を去っていく。
「ありがとね。私の大大大大大親友さん」
本当にお前は、良い奴だ。
あの夏から数年、もう彼女はそこにはいない。
振り向けばいつも少女がいたのに、もうそんな夏は遠くへと消えてしまった。
「あいつ、今は何してるかな」
そんな悲しい問いはあの時と同じように燦々と照らされる朝日に掻き消されるはずだった。だが、
僕は自転車の前かごにアイスを入れ、自転車を漕ぎ始める。だが、誰かが乗っているせいか、重たくて仕方がない。あの時よりも少し重くなっているその重さの正体を見るため、僕は振り返った。
そこにはーー
「大大大大大親友さん」
自転車の後部座席、そこにいたはずの彼女はもういない。 総督琉 @soutokuryu
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