第1話 姉と妹

 太平洋の真ん中に浮かぶ天空都市『エデンガーデン』に到着してから数時間。街の散策ということで家族三人で様々な場所を周った後、僕たちは最後にとっておきの観光名所である、中央区の展望台を目指していた。

 気が遠くなるほどの長い階段と断崖絶壁のような坂を上り終えた頃には、時刻はすでに十八時を過ぎ、展望台は夕日で赤く染まっていた。

 目を背けたくなるほどの眩しさに慣れ、やっとの思いで目を開ける。するとそこには――。


「はぁー…………」


 思わず感嘆のため息が漏れてしまうほど、美しい光景が広がっていた。

 隣の少女はたまらず飛び出す。


「ふぁあああっ。しきくん識くんっ。すっごい綺麗だねっ」


 軽いステップを踏みながら、語尾に『♪』が付きそうなくらい声を弾ませるのは姉の各務かがみ冬華とうか——冬華ねぇだ。


「冬華ねぇ、危ないからあんまりはしゃがないで」


 そんな僕の忠告に冬華ねぇは「ぷー」と頬を膨らます。


「えー、でもでも、本当に綺麗なんだもんっ」


 そう言いながら、冬華ねぇは僕の忠告を無視してひらひらと踊り子のように舞った。

 長い白銀の髪が夕日を反射し、きらきらと神々しく輝く。満開の花弁のような美しい笑顔に、その場にいた誰もが心を奪われる。


(そんな笑顔を向けられたら何も言えないよ)


 子供のようにはしゃぐ冬華ねぇに僕はため息交じりに苦笑いをすると、隣で一緒に傍観しているもう一人の家族に声をかけた。


琉夏るかは行かないの?」

「私は遠慮します。兄さんといます」


 そう淡々と言って、宝石ルビーのような深紅の瞳を向ける美少女が妹の各務かがみ琉夏るかだ。

 冬華ねぇと違って琉夏はいつも落ち着いている。それは僕ら家族でいるときも同級生と遊んでいるときも同じだ。

 

 そんな所を、他人から「大人っぽい」や「淡泊」なんて言われたりするけれど、それは違う。本当は琉夏も年相応の興味を持っていることを知っている。人よりも感情を表に出すことが、少しだけ苦手なだけだ。

 僕は、冬華ねぇを追う琉夏の瞳がいつもよりも爛々らんらんと輝き、どこか羨ましそうに見つめていることに気が付いた。


(本当は琉夏も冬華ねぇみたいにはしゃぎたいんだろうな。……よしっ)


 僕は意を決して琉夏の手を掴むと冬華ねぇの後を追うように歩き出す。


「に、兄さんっ!?」


 突然手を握られたのがびっくりしたのか、琉夏は声を上げた。


「あ、ごめん。嫌だった?」

「違いますっ。と、突然のことでびっくりしただけで……その……えと……むしろ…………」


 琉夏は語尾につれごにょごにょと声を小さくしていく。俯いた琉夏の顔は、夕日のせいか真っ赤に染まっていた。

 ぎゅっと強く握り返してくる琉夏の手に嫌がっていないことを確信すると、止めていた足をもう一度動かす。

 そうしてたどり着いたのは展望台の一番端。エデンガーデンの街並みと太平洋、そして沈みゆく夕日の見える絶好のスポット。


「……すごい」


 感嘆のため息をこぼしながら、琉夏はぼそりと呟いた。そして瞳をキラキラと輝かせながら、僕の方に向き直ると満点の笑みを浮かべた。


「本当に綺麗ですね、兄さんっ」


 琉夏のその顔の方がもっと綺麗だよ、と頭の中で呟く。


(さすがに気障きざ過ぎるかな。でもこんな笑顔が見れてよかった)


 琉夏の眩しいくらいの笑顔に僕は見惚れる。

 二人で見つめ合っていると、遠くから冬華ねぇが声を上げた。


「あーっ! 琉夏ちゃんだけずるいっ」


 びくっ、と僕と琉夏は肩を飛び上がらせる。

 琉夏は顔を真っ赤にして声を上げた。


「ち、ちちち違いますっ。これはっ、そのっ、あの……っ」


 琉夏は見るからにわたわたと慌てだす。

 そんな琉夏をお構いなしに、冬華ねぇは琉夏とは反対側へ回り込んだ。


「私も識くんと手ぇ繋ぐっ」


 そう言って冬華ねぇは琉夏と同じように僕の手をぎゅっと掴む。指と指を絡め合わせる――恋人繋ぎ。そしてそのまま体重をかけるように身体を密着させてきた。

 冬華ねぇのボリュームある胸がむにゅっと形を変えながら、僕の二の腕を包み込む。さらに冬華ねぇは僕の手のひらを太ももに挟み込んだ。冬華ねぇは、僕との間に隙間がないほどぴったりとくっつくと、にへらっと柔らかい笑顔を向ける。


「えっへへー。密着ぅ」

「ちょっ、冬華ねぇっ」


 その柔らかいの感触に、僕の心臓が急に暴れだす。

 そしてダメ押しとばかりに、冬華ねぇはおもむろに僕の肩に頬をこすり付けると、くんくんっと鼻を鳴らした。


「識くんの匂いだぁ」

「——」


 とろんっとした冬華ねぇの表情に、僕は声にならない悲鳴を上げる。顔が沸騰しそうなくらい熱い。くらくらする。

 そんな僕たちを見ていた琉夏が、壊れたロボットのように口を大きく開け目を大きく見開いていた。


「な、なななな――」

「る、琉夏?」


 琉夏は身体を小刻みに震わせ、そして爆発した。


「なにしてるんですかーっ! 兄さんの変態っ!!」


 琉夏の平手打ちが飛んでくる。

 避けようにも冬華ねぇにがっちりとロックされ身じろぎができない僕は、諦めた。


(せめて明日の入学式までには痕が残っていませんように)


 ばっちーん!!


 展望台に僕の頬をはたく音が鳴り響いたのだった。

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