04 2日目 heard & Love,

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「遺伝子を」


「遺伝子?」


「自分の遺伝子を、残したくない」


「なんのはなし」


「俺、拾い子なんだ。母親はいるけど、血が繋がってない」


 彼女の背中に、話しかける。こちらは、向かない。その姿勢を見て、本当に、捨てられたんだと、実感する。


 わけもない、きょうふ。感じた。感じるだけ。それだけ。何も起こらない。


「おかんには、いや、母親には、感謝してる。いい人だから。でも、まだ若いんだ。26で。連れ子がいると、結婚はおろか恋愛もできない。おかん、男性経験がなくてさ」


 その場に、しゃがみこんだ。立つのが少し、つらい。


「はやく自立しておかんのもとを離れないとさ、おかんを楽にしてあげないと。恋愛もできやしない。いい人はいるんだ。アルバイトしてる弁当屋のおやじ。身体が弱くてさ。でも、料理がうまくて。あれ、なんの話だっけか」


 めまいがしてきた。


 でも、力も根性もあるので、耐えられる。これは、身体の不調ではない。心がぐちゃぐちゃになっているから、めまいがしている。耐えられる。しゃがんでゆっくりすれば、耐えられる。耐えられる。自分に言い聞かせた。二度。


 耐える。


「そうだ。拾い子。俺は、拾われた子供だから。捨てられるのが、こわい」


 そう。こわい。


「こわくてさ。でも。だからといって、ずっと月何つきかに捨てられないようにって、負担をかけるのも、おかしいと思って」


 めまいが。なかなか消えない。


「だから、俺は、大丈夫だから。大丈夫。おれのことは」




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「私は」


 彼の、こと。


 何も知らない。


 何も知らなかった。


 何かが、崩れ去る音がした。


 振り返る。


 彼。


 倒れている。


 駆け寄った。


 彼にさわる。


 ゆする。


「ねえ」


 声をかける。


「ねえってば」


 倒れた。


 彼が。


 どうすればいい。


「あ、ああいや、ごめん」


 彼。


 すぐ起き上がる。


「大丈夫。ちょっとめまいがしただけ」


「何を、耐えてるの?」


「耐えてるって?」


 わからない。


「わからない」


 何もかもが。


「何もかもが」


 思ったことが、そのまま口に出ている。


「捨てられるのが、こわくて」


「いや、忘れてくれ。変な話をしちゃったな」


「待って」


 歩きだそうとする。彼。とまる。


「なんでそうやって、歩けるの?」


「なにが」


「いま倒れたんだよ。なんで」


「力と根性、かな」


「座って」


「いや、帰る」


「座って」


 彼。ベンチに、腰かける。


「飲み物買ってくる」


 走って、止まって。


 もうわかんない。ぐちゃぐちゃ。


「移動したら許さないから。動かないで」


 振り返ってそれだけ言って、走って飲み物を買った。彼の好きな飲み物がわからない。お茶と、コーラと、普通の水と。スポーツドリンク。


 買って、りょうていっぱい、4つ持って、走る。


 彼。


 ベンチに、腰かけたまま。


 安心した。


 彼がいたことが。


 動かなかったことが。


 こんなにも、安心するなんて。


 ベンチ。彼のとなりに、腰かける。


 彼の額に触れて。首の後ろに触れる。


 熱い。


 冷やさないと。とりあえず、持ってたドリンクを、血管の太いところに挟んだ。


「なにやってんだろ、私」


 彼が倒れて。うろたえて。


 その前のこともあって。


 自分で自分のことが、分からなくなってきている。


 彼。眠っている。


 周りには、誰も、いない。


「わたしね」


 今なら、喋っても、誰も気付かない。


「普通の性格で、普通の成績で。普通の顔で。普通の身体で。親との関係も普通で。友だちとも普通」


 普通。


「全部が普通なの。料理の腕も普通」


 教えてもらったのに。ちっとも、うまくならない。


「昨日は、急に泣いて、ごめんなさい」


 なんで、泣いたのか。


「夜ごはんのしたごしらえしてたら、いつもは遅く帰ってくる両親が、ふたりとも帰ってきて。いつも半年に一回ぐらいしか早く帰ってくることないのに」


 何言ってんだろう、私。


「わたし、自分が食べるはずだったごはんを二人に出して。自分はお弁当買ったの。それで」


 それで。なんで泣いた。


「唐揚げもらったのが、うれしくて。なんで泣いたんだろうね。わたし。わかんないや」


 そんなに唐揚げがうれしかったのか。また、泣いてる。


「帰ったらさ、いや、分かってたことなんだけど、両親同士は仲が良いから、ええと、その」


 これは言いたくないなあ。


「両親がそういうことしてたの。声が。その。うるさくて」


「親の声をおかずに一晩中いたしてたってか?」


「うわっ」


 起きてた。


 反射的に、手が出た。


 彼の顔を、叩く。


 びくともしない。


 彼の頬。私の手のひらの形。朱く浮き出る。


「いたい」


「あっ、ごめんなさい。つい」


「それよりさ、これ。なに」


「え、熱かったから冷やさないとって」


「脇と股間が冷たくて千切れそうなんだけど」


 彼。


 脇と股間の飲み物を、除去している。


「つめてえ」


「だって」


「もともとこれぐらいの体温ですが」


「そうだったの」


 知らなかった。彼にさわったことは、ない。


「聞いてた、よね」


「聞いてた」


 無言。



------


「いったんここでさ、落ち着こう。おたがいに」


「うん」


「俺は、たぶん、あと三十分ぐらいは、ここを動けません」


「はい。えっと。どうしてですか?」


「あなたが飲み物を挟んだからです。脇と股間がびしょびしょです。これでは乾くまではずかしくて動けません」


「ごめんなさい」


「扇がないでください。はずかしい」


「ごめんなさい。早く乾けばいいと思って。のどかわいた」


「あ、飲むんだ」


「え?」


「いえ。どうぞ」


「おいしい。飲みますか?」


「ありがとうございます。あの、なんでこんなにたくさん買ったんですか?」


「あなたの好みの飲み物が、わからない、ので」


「そうですか。水が好きなので水をいただきます」


「どうぞ」


「おいしい。でもちょっと複雑」


「股間に挟まってたやつだもんね」


「やめて。それは言わないで」


「ごめんなさい」


「なにが」


「今日私ずっと、下品なことばっかり」


「女子高って、そういうところじゃないの?」


「まあ、下品ではあるよね」


「知らなかったな、ぜんぜん。お互いのこと」


「うん」


「知っちゃったな」


「うん。知っちゃった」


「ひとつだけ。とりあえずひとつだけ、いいですか」


「どうぞ」


「おにぎり。毎回思うけど、おいしい。だんだん、上達してる。昨日のやつも。おかか二つだったけど、両方とも、均等におかかが配分されてた。おいしかった」


「ありがとうございます」


「もうひとつ。やっぱり、もうひとつ、いいですか」


「どうぞ」


「捨てないで、ほしい。捨てられるのが、こわい。めまいで倒れてしまうぐらい、こわかった。こわい」


「わかりました。捨てない。捨てません。ここにいます。私からも、いいですか?」


「どうぞ」


「捨てないで、ください。私を。おねがいします。おねがい、します。普通だから。私は。取り柄が、ないんです。捨てないで」


「似た者同士だったんだな」


「知らなかった、から。おたがい」


「今更知らなかったふりするのは、無理だろうな」


「できる」


「え?」


「捨てられたくないから。私は。なんでもする」


「じゃあ、ひとついいですか」


「はい」


「くっついて泣くのを、やめていただけると助かります。脇だけじゃなくて、胸もびしょびしょなんですが」


「あ、ご、ごめんなさい」


「知っちゃったけど。お互いのこと、わかっちゃったけど、それでも、知らないふりして、明日からも、いませんか」


「それは」


「分かってる。知ってるし、理解もしてる。それでも、たぶん。このままだと、お互いに、日常に、戻れなくなる」


「そう、かもしれない」


「だから、いったん、ここでストップして。日常に、戻ろう。いったん。応急処置で」


「わかりました。でも、次の予定だけは。おねがいします」


「わかりました。では、連絡先を交換しましょう」


「はい」


「そういえば、交換」


「してなかったね。私たち」


「なんか、ばかみたいだな」


「ほんとね」

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