02 1日目.
---『買奈月何、授業中』
普通の日常。普通の風景。
いつもの通学路と、いつもの学校。
普通の授業。真ん中よりちょっと下ぐらいの成績。
たぶん、これから先も、こんな感じ。
「今日さ、好きピとデートすんの」
「いいなあ。早く次の彼氏作りてえ」
両サイドで交わされる会話。
「どこ行けばいいかな?」
話を振られる。
行き先を決めてないのに会うことだけ決めるなんて。ばからしい。
「遊園地」
本音をなんとなく打ち消して、それっぽい答えを出す。
「遊園地。いいねえ。誘ってみよ」
「買奈に相談するのが一番よね、やっぱり」
両サイド。謎の感心。
どうでもいい。
「買奈は?」
「彼氏とか、できんの?」
「女子高でどうやって彼氏作んのよ」
両サイド。黙る。
漫画やアニメのようには、いかない。女子高ではクラスのほとんどが他校の生徒と付き合っている。最近ありがちな女の子同士とかのどうでもいい恋愛も、存在しない。
ただただドライな、女性になりきれない女子の集まり。それが、女子高。ここは漫画やアニメじゃない。誰も他人に依存しないし、頼ったりもしない。だから、いじわるしたりもしないし、べつだん仲良くもならない。
恋人がいることを簡単に隠せるのが、唯一、女子高の利点だった。
彼は、共学。こことは、違う環境にいる。
私ではない誰かと付き合うなら、それはそれで、よかった。嫉妬もしないし、束縛しようとも思わない。ただ単に、自分がその程度の女だった、というだけ。
---『将兵、授業中』
「おまえ、次のバイトの空きはいつだよ」
クラスメイト。たいして仲が良いわけでもないのに、よく絡んでくる。
「明日」
「うっそだろお前。早く言えよ。予定組む時間ねえじゃん。おい集合。明日、
恋人と最近会ってないので、予定が空いた。それだけ。
恋人は他校で女子高なので、共学のこっちとは事情がことなる。連絡先も、知らない。
「菅取くん、明日はどこ行こっか」
クラスの皆が、大挙して机を囲む。
「あんまり、おかね掛からないところがいいかな?」
適当な、答え。こういうどうでもいい関係に、あまり資源と時間を使いたくなかった。
共学じゃなくて、男子校にすればよかった。恋人から聞いた感じ、女子高は少なくともこういう面倒な横の繋がりは強制されない。
自分の顔目当てで群がってくる女子と、その女子目当ての男子。思春期特有の、異性を意識しているのに自分から近づけないやつらの言い訳に、自分が使われていた。
好きではないが、あきらめてもいる。顔は、どうしようもない。
できれば、もう少し、普通の顔がよかった。それでも、拾ってもらえて、ここまで育てられただけで感謝すべきことだった。
「さ、授業始まるよ。これが終わって放課後になったら、どこに行くか決めよう」
クラスの皆が、宿題がどうとかテストがどうとか言いながら散っていく。
生まれと、才能は、変えられない。
机に伏せた。せめて、少しでも眠ろう。今日もアルバイトがある。
---『買奈月何、放課後』
放課後。
遊びに行こうという友だちからの誘いを今日はごめんと断って、学校を出る。
一度、誰もいない家に帰宅して。着替えて。
高校生よりも上に見えるように、少し化粧をして。誰からも誘われない程度の、ラフな格好にして。
台所で、料理。
夜ごはんの下ごしらえと、ついでに、おにぎりを三つ。
鮭フレークを切らしていたので、おかかが二つ。梅がひとつ。
おにぎりを持って、家を出る。
テキストメッセージ。今日は、駅前でティッシュ配り。
駅前に出た。
そこらへんを、なんとなく歩く。ラフな格好にしてあるので、特に声はかけられたりしない。イヤリングも大きめのものを付けてきた。
なかなか、見つからなかった。あの顔なら、そこそこ人だかりができそうなものだろうに。
駅前。よくいるようなデザインの、マスコットキャラ。こちらに近付いてくる。
「あ」
手をひらひらさせる動き。
こいつだったのか。
裏に回って、人通りの少ないところの建物に入った。
「ふう」
マスコットの顔が、とれる。均整のとれた、彼の顔。
「ばかね」
「なにが」
「顔で釣るのがバイトじゃないわけ?」
「やっかみを受けてんだよ。バイトリーダーに」
「女性?」
「みにくいな、女ってのは」
「綺麗な顔の男が言うと、むかつくね」
おにぎりを、渡す。
「飲み物は自分で買って」
「ありがとう。助かる」
彼。おにぎりを食べはじめる。
無言。おいしいとは、言わない。
そうでしょうね。あなたが作るほうが、おいしいもの。時間がないから、私が作ってあげてるだけ。味ではなく、ごはんを作る時間と、ごはん代の節約。それだけ。
「じゃ。行くから」
詮索しない関係。深まりもせず、だからといって別れもしない、友だち以上恋人未満。
「ああ、明日」
「明日?」
---『将兵、放課後』
おにぎり。
旨かった。最初から料理ができた自分とは違って、日に日に、上達していくのが感じられる。
だけど、美味しいとは、口に出して言えない。詮索しない関係。それが、ふたりの間の、暗黙のルール。
「明日が、なによ」
彼女。派手な格好の上着と、大きめのイヤリング。
「こっちの高校の仲間内で、集まることになった。駅前のゲーセンとかカラオケ」
「あっそ」
彼女。立ち去らずに、立ち止まってくれる。すぐには、出ていかない。そういう、気遣いと配慮ができるところも、好きだった。
「抜けたい」
「勝手にすれば」
「駅前じゃなくて、森林公園。16時50分。来てくれるか」
「17時半にして。課題やりたいから」
「わかった」
「それだけ?」
「それだけ」
「じゃあ、明日」
彼女が立ち去る。
「その服では来るなよ。目立つ」
「わかってるわ」
彼女。手を、ひらひらさせるしぐさ。
自分のものが、移ったのだろうか。
バイトリーダーが、こちらに気付いたらしい。近付いてくる。
今のは誰かと、訊かれた。あさましい、嫉妬心。
「姉です。派手な格好なんで、人目につくとこでは会えなくて。めしを届けてもらったんです」
恋人を姉といつわり、バイトリーダーの恋心を利用して、バイトをこなす。
自分も、高校の同級生やこのバイトリーダーと同じぐらい。いや、彼ら彼女らよりも数段、あさましい。
恋人。おにぎり。彼女と彼女の周りのものだけが、俺に、やさしい。
---『買奈月何、夕方』
家に帰った。
誰もいない。
派手な上着を脱ぎ捨て。イヤリングを引きちぎり。水を顔にぶつけて化粧を落とし。
夜ごはんのしたごしらえを、続ける。宿題は、あとでいいや。
帰ってこなさそうだから、一人分で調整した。
恋人と出会うまでは、ずっと、近くの弁当屋の弁当だった。彼とも、弁当屋で出会った。たいした出会いではない。
注文した弁当を受けとるとき、レジ先の彼のおなかが、鳴った。それで、買ってた弁当のひとつ、自分の分を、渡した。次の日、弁当を注文したら、私のだけが彼の手作りになっていた。そしてそれが、旨かった。そこからの関係。
アルバイトの多い彼に、おにぎりを作るようになった。彼は、予定の埋め合わせや隙間の時間に、私に会うようになった。そこまでの関係。
「ただいまあ」
帰ってきた。母。
「あ、帰ってくるんだ」
「なによ。私の家よ?」
ひとりぶんしか、作ってない。
「ごはん、食べる?」
「食べる食べる。おなかすいた」
家族の関係すらも、普通。仲良くもないし、かといって仲がわるいわけでもない。
夜ごはん。最後の仕上げ。
料理も、彼に教わっていた。彼は、とても、料理ができる。きっと、レストランのアルバイトでも即戦力だろう。
「ただいまあ」
「あら」
父も帰ってきた。
「おとうさんおかえりい」
母。父に抱きついて、頬擦りしている。この溺愛が、うっとうしかった。
「ごはん、食べる?」
「食べる食べる。おなかすいた」
母と、同じ台詞。
最後の仕上げまでいっていた一人分の夜ごはん。半分に分けた。
とりあえず、それを出す。そして、また、もう一品、冷蔵庫から取り出して作る。
「おいしいおいしい」
父と母。ふたりとも、仕事ができる。違う会社で、両者ともエース級の働きをしている、らしい。早く帰ってくることは、ほとんどない。ほとんど自分が寝たあとに帰ってきて、自分が起きる前に出発している。ふたりが同時に早く帰ってくるのは、半年に一回ぐらいしかない。土日もいないような夫婦。
「はい。少ないけど、これで我慢して」
「ありがとう。おいしいよ買奈」
「さすが私の娘ね」
口だけは達者だけど。このふたりは、きっと毎日これよりも美味しいごはんを注文して食べている。
ふたりとも稼いでいるので、家には、金がある。自分も、使うおかねには困らなかった。アルバイトはしていない。これ以上勉強する時間が削られると、成績がさらに下がる。塾には、行きたくなかった。女子高だと分かると、他校の生徒が寄ってくる。面倒。
「ちょっと外に出てくる」
いつもの弁当屋、とは言わなかった。両親に自分が食べるはずのごはんを奪われたので、買ってくる、とは言えない。
弁当を買うこのおかねも、結局は両親の稼いだものだから。最低限の配慮。
弁当屋には、きっと彼はいない。
---『将兵、夕方』
「いらっしゃいませ」
「あ」
「お」
恋人が来た。
「普通のお弁当をひとつ」
いつものことだけど、彼女の注文のしかたはむずかしい。普通のお弁当という商品は、この弁当屋にはない。
適当に見繕って、弁当を作る。そして、出す。
「500円になります」
「はい」
「ありがとうございました」
「いいえ」
彼女が、弁当屋を出ていく。後ろ姿。
「あんちゃん」
弁当屋のおやじ。
「休憩しなさい」
「いえ、まだ」
ティッシュ配りのアルバイトからこちらに来て、まだ三十分も経っていない。
「いやいや。恋人は大事にしなきゃ」
弁当屋のおやじは、線が細い。なよっとしていて、いかにも弱そうな身体をしている。しかし、料理がとにかくうまい。自分なんか比べものにならなかった。
これでまだ、31。料亭でも働けそうな腕なのに、ここで小さな弁当屋をしてるということは、やっぱり身体のせいなのだろう。
「じゃあ、これ」
あやじが、唐揚げを渡してくる。
「これをサービス。渡してこい」
「ありがとうございます」
これなら、業務として彼女に会える。細かいやさしさも、このおやじの特徴だった。アルバイトも、かなり自由にやらせてもらっている。好きなときに来て、好きに手伝っていい仕組み。
弁当屋を出て、彼女を追った。
とぼとぼと歩いている、彼女。うつむき加減。
「
名前を、呼んだ。
彼女が、振り返る。
「これ。弁当屋のおやじから。サービスだってさ」
「ありがとう」
受け取った彼女。
急に、泣き始める。
音もなく、涙だけが頬を流れ落ちていく。
何か言おうと思ったけど、やめた。
詮索はしない関係。それが、彼女と自分の、最善の、距離。
---『買奈月何、夜』
涙が流れていることに気付いて、すぐに彼に背を向けた。
急に泣き出すのは、なんか、おかしい。
手をひらひらさせて、彼を見ないで別れのしぐさ。
家路まで、とにかく、ゆっくりあるいた。
着いてしまう。家。一戸建て。二階の端まで、聞かずに辿り着けるだろうか。
イヤホンをして、音楽のスイッチを入れる。耳をこわさない程度の、最大音量。
そのまま、家に入る。
広い玄関。広い廊下。そして、その先。
だめだった。靴を脱いでるうちに、もう聞こえてきた。耳がこわれそうになるけど、さらに音量を上げる。
廊下の先。寝室から。両親のまぐわう声が聞こえる。
邪魔をしないように、そうっと階段を昇り、自分の部屋に入って扉を閉める。
広い家だから、自分の部屋までは、声が聞こえない。
さっき出ていた涙は、もう、止まっていた。
両親が愛し合うのは普通のことだけど、それを想像したいとは思わなかった。どういう気分なんだろうか。
お弁当。彼からもらった唐揚げ。
彼だけが、私のなかで、あたたかい。
---『将兵、夜』
家に帰った。
「お、おかえり
「ただいま、おかん」
おかん。筋トレをしてる。
「アルバイトごくろうさま。めしは作ってあるよ。食うかい?」
「食う」
机の上。おかんの作った、めし。
「いただきます」
「どうぞ」
食う。
「微妙」
「微妙かあ」
「まあ、まずくはないから、いいんじゃないの」
おかんは、見た目通りのパワータイプ。繊細なことは、ほとんどできない。俺の名前も、強そうだという理由で、将兵。将と兵。
「拾ってもらったんだから、おかんの作ったもの出されればなんでも食うよ」
「飼い猫かい」
「似たようなもんだろ」
拾われた、子供だった。おかんと血は繋がっていない。
おかんは、男以上の腕と根性で、力仕事をしていた。腕と根性が必要だけど、女しか立ち入れないような現場や仕事が、あるらしい。そこで、仕事をしている。
給金は、少ない。女性だから。でもおかんは、めしと、寝る場所と、筋トレ用具があれば満足するらしかった。一軒家に、住んでいる。ローンはまだ残っていた。アルバイトから、自分も少し返済に出している。
「筋肉は鍛えればつくけど、料理の腕ってのは、鍛えてもてんでだめだねえ」
「細かい作業なんだよ」
「私だって機械細かく動かせるよ」
「機械は握ってもつぶれないからな」
つぶれた、お豆腐。そのまんまじゃないだけ、まだましだ。進歩している。
「彼女さんとの関係は、良好かい?」
おかんは、男性経験がない。だから、息子の自分の恋愛話を聞きたがる。
「普通」
拾われた子供。誰の血か分からない、自分。
それを、このおかんはまっすぐ正しく育ててくれた。
だから、おかんの訊くことにはすべて答えるし、いつわることもしない。拾われた身分で楯突こうなど。まったく思わなかった。名前は将兵だけど、楯も突きもしない。
「そういえば、弁当屋で会ったとき、泣いてたな、あいつ」
「なかしたのかい?」
おかんの血相が変わる。おかんは、怒ったりしない。自分も、叱られたことはないし、しかられるようなことは絶対にしない。
「理由がわかんないんだよな。唐揚げを渡したら急に泣き出して。おかん、なんで泣くか分かる?」
「ううん。泣くときはそりゃ、うれしいか、かなしいかだね」
「直情径行だな」
「何もないときに泣いたりなんかしないよ」
おかん。筋トレしながら、何か考えるポーズ。
「あ、目にごみが入ったら泣くね」
「そっか。それかもな」
おかんとの絆は、ある。拾われた子供と、拾った親。だから、かもしれない。おかんのことは信頼しているし、おかんも自分のことを信頼している。
だからこそ、自分が重荷になっているんじゃないかと、思うことは、あった。
「よっし。筋トレ終わり。酒だ酒だ」
おかんは、酔うと愚痴っぽくなる。たいてい、男性経験がないことへの愚痴。
その手の愚痴は、ちゃんといつも聞いてあげた。自分のせい、だから。
27で、連れ子持ち。貰い手などいない。道端で俺を拾ったのが、16のとき。中学を卒業して持ち前の力と根性で働きはじめて、すぐ。
そのときのことも、酔うとおかんは語りだす。
「あんたはね、籠に入ってたんだ。綺麗な箱でね」
その箱は、今も部屋の片隅に置いてある。中に、入ってあったものも。
「見たら、あんたがいてね。3才か4才ぐらいだったっけか」
見た目で雑に判断されて、7才判定。そこから、だいたい十年。
「あんたが言ったんだよ。7才ですって」
「覚えてねえんだよな」
昔の記憶は一切ない。ただ、たぶんそのときの自分は、他人に迷惑をかけまいと、7才と言ったようだった。幼稚園や保育園は、金がかかる。小学校なら、金はかからない。
「あんたは、頭もいいし、器量もいい。身体もできあがってる」
「たしかに」
出来はいい。どの大学にも入れる程度の、学力もある。
「でも、あんたはアルバイトまみれの生活なんだよねえ」
「好きでやってんだから、気にすんなよ」
自分が入っていた籠。その下には、札束が入っていた。警察によると、あまりよくないタイプの金だったらしい。拾得物扱いなので、全部自分のものになってはいるが、さわったことはない。
アルバイトまみれの生活。
捨てられるかもしれないという、漠然としたきょうふがある。捨てられたときに生活できるように。駆り立てられるように、今もアルバイトを続けている。
「はたらくのが、好きなんだねえ」
「おかん譲りだよこれは」
「あたしの育て方か」
「間違ってないよ。おかんの根性が俺にも受け継がれたのさ」
こう言うと、おかんは安心する。そして、それは事実だった。うそはついていない。
ただ、自分のきょうふについては、訊かれていないから、応えないだけ。そういうことにして、いつも、心の中にふたをしている。
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