あなたに逢いに

三日目村の送り火.

 三日目村。


 都市から歩いて四十分ほどのところにあるこの海沿いの村には、郊外なのに何もない。


 それは、この村そのものが墓地として作られたものだから。生きることにつかれた人がこの村に集まり、三日目に魂が浄化されて天に召される。そういう言い伝えがあった。


 だから、村には、温泉以外の娯楽施設がほとんどない。あるのは、広大な墓地と寺、そして病院。


 郊外に作られた病院には、国家の特例なんとかというやつで、最新の設備が全て整っていた。今では、しにかけの人間が三日で良くなって戻っていく村として三日目村は有名になっている。


 そして、もうひとつ。


 夏の夜に、灯籠流しがある。


 この村は丸く屈折した湾に沿って家屋が並んでおり、病院が鎮座する小高い丘がある。この丸い湾を、灯籠の灯りが埋め尽くす。


 目の前の景色。


 眼下に広がる、灯籠の橙。


 とても、美しい。

 あの灯りの分だけ、人の思いがある。そして、それは今も生きている。


「綺麗だね」


 隣の女の子。


「そうだね」


 ふたりで丘に座って、灯籠を、見ていた。


「わたし、もし指環がもらえるなら、あんな色の、オレンジ色の指環がいいな」


「売ってるかな」


 切なさで、胸が、しめつけられる。隣に気取られないように、くちびるをきゅっと縮めて耐える。


 この女の子のことが、好きだった。

 でも、それは、叶わない。

 彼女の指に指環がはめられることは、ない。


「勉強は、いいの?」


 女の子に聞いてみる。長く外に出るのは、良くないのかもしれない。


「いいの。もう」


 やっぱり。


 つらい。


 彼女。


 たぶん、もう、しんでしまったのか。


 笑った顔に、屈託がない。つらさとか、くるしさが、感じられない。


「あなたは。いいの?」


「大丈夫。一晩中、ここにいるよ」


 数日前に、ちょっとした事故に遭っていた。ちょっとまだいたむけど、そんなことよりも、彼女のところにいないといけないという気持ちが勝っている。


 簡単に帰るわけにはいかない。彼女のとなりに、できるだけ長く、寄り添っていたい。


 この村に生まれて、病院以外に遊ぶところがなかったので、いつも病院で誰かを探して遊んでいた。おじいちゃんおばあちゃんは話し相手になってくれたし、若い大人は勉強を教えてくれた。


 そして、そこで、女の子に出会った。


 342号室の、川南辺共加かわなべ ともかさん。


 同世代で、看護師を目指していた。この村でなんとなく生きていこうとしていた思春期の自分にとって、彼女の存在は大きかった。


 病の内容はわからなかったけど、看護師の勉強をがんばっていた彼女のことが、好きになった。彼女も、自分のことが好きだったと思う。


 なんとなく生きていこうとしている自分の緩さが、彼女にとっては救いだったらしい。彼女はよく、自分といると安心する、と言っていた。


 でも、目の前の彼女。


 儚くて、消えそうな姿。


 夜が、明けなければいいのに。


 灯籠と一緒に、彼女の魂も、ここからいなくなる。


「わたしね、看護師になりたかったの」


 彼女。灯籠を眺める目が、きらきら、している。


「看護師になって、いろんな人を、救ってみたい。お医者さんじゃなくて、看護師」


「なんで、看護師なの。それだけ勉強したら、お医者さんにだって、なれそうなのに」


 こちらを見て、ちょっとほほえんだ。その顔が、身体が、自分の心を激しく揺らした。


「私が救いたいのはね、人生。病気じゃないの。私がお世話をして、それで、残り少ないかもしれない人生が、すこしでもやわらかく、優しくなればいいなって」


 彼女は、やさしい。


「でね、この病院に転院してきて、あなたにあって、びっくりしたの。看護師じゃないのに、みんなに寄り添って、みんなの人生をやさしくやわらかくしてる人がいる。わたしのことも」


 だから、つらい。


 こんなにやさしい彼女が、あの灯籠の、向こう側にいってしまうのか。


「どうして、泣いているの?」


 しまった。涙が。


 抑えようとしたけど、止まらなかった。


「うう」


 止まれ。涙。泣いてどうする。


 急に、頬が、暖かくなった。彼女の息遣い。


「ここにいるよ」


 彼女の顔が、すぐ近くにある。手が、頭の後ろのほうに。頬と頬が、くっつく。


「あなたに逢えて、よかった」


 涙。止まらなくなってしまった。


 彼女に寄り添われるまま、泣いた。


 涙で、灯籠が、にじむ。綺麗でやさしく、やわらかな橙色。


「もう、落ち着いた?」


 どれぐらい、泣いていただろうか。泣き止んだのは、落ち着いたからではない。


 空が、灯籠と同じ色になってきたから。


 やさしい、オレンジ。


「夜が」


 夜が明けてしまう。


 彼女の姿。


「えへへ」


 朝日のやって来る前の明るさで、にじんでいる。


「待って」


「大丈夫。大丈夫だから」


 行かないで。


 ずっと泣いてたせいで、声が、出ない。


「私のことは、大丈夫だから。大丈夫」


 大丈夫なもんか。君がいなかったら。どうやって生きていけば。


 君がいないと。


「行かないで」


 振り絞って出した、声。かなしいほどに、小さかった。


「生きようっていう意志を、強く持って。大丈夫。あなたなら。大丈夫だから」


「待って」


「大丈夫。待ってるから。ゆっくり、来てね」


 朝日。







「うわあああ」


 起きた。生きようとする意志。


 そう。


 自分。


 自分だ。


 しのうとしていたのは、自分だった。


 事故に遭って。しにかけて。送り火の。


「生きようとする意志」


 大丈夫。持ってる。


 彼女が言ってた。


 ゆっくり来てねって。


 行くんだ。灯籠流しがあったのは、昨日なのか。一晩中寝てて、それで彼女との夢を見てたのか。


 病室を出た。


 342号室へ向かう。急いだ。走りたかったけど、身体中がいたくて、走れなかった。


 それでも、急いだ。


 彼女に、会うんだ。


 灯籠流しなんて知るか。


 彼女はまだ病室にいて、きっと、行けば、またやさしく笑ってくれるはず。


 階段を一段一段ひっしに上がって、重たくなる足を這いずるようにして、廊下を抜けて。


 342号室。


 開けた。


「逢いに」


 会いに来たよ。


 病室。


 誰もいない。


 妙に、整頓された病室。人のいた気配が、ない。


 おかしい。


 彼女は、ここに。ここにいるはずなんだ。


 名前のタグ。


 なかった。


 川南辺共加の名前が、ない。


 タグがない。


 しんだのか。あの灯籠の向こう側へ、いってしまったのか。


 誰もいない病室に、自分ひとりだけを残して。






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