α&β , luna&sol . (連結版)
ENDmarker.
月。見慣れていて、それでいてどこか、物足りない感じがした。少しだけ、欠けている。
三年前も、こんな月だっただろうか。
夜。
『ハードボイルド作品の主人公ってさ』
車に備え付けられた無線の先。ベータが喋る。
『無職だよね』
無線音が切れる。つまり、返答を待っている。
「違うだろ」
『え、そうなの?』
ハードボイルドという括りは、狭いようで広い。この前読んだ歴史ものも、ハードボイルドだった。しかし、それを説明するのも、面倒。
『私が読んだハードボイルド作品、全部主人公無職だったけど』
「んな馬鹿な話があるか。何を読んだ」
無線に乗って、漫画とドラマがいくつか挙げられる。
「同じ作者のものばかりじゃないか」
『え、だって帯にハードボイルドって書いてあるの、この作者だけだったし』
「こんど良い奴貸してやるから」
『え、やった』
「さあ、仕事だ」
月の明かりに照らされて。ふたり。倉庫に入っていくのが見える。
『こちらからも確認した』
「ベータは裏口を。俺は、正面と上を」
『裏口了解』
車を出る。
***/
夜。
車に備え付けられた無線を取って、話しかける。
「ハードボイルド作品の主人公ってさ、無職だよね」
私たち、みたいに。
言葉には出さないけど、そう思っている。
彼がアルファで、私がベータ。組織があった頃の、
組織にも隠れて、私たちは、恋仲にあった。組織内での恋愛は御法度。片方が捕まって尋問されれば、もう片方が裏切る確率が跳ね上がる。当然のことだったけど、それでも、彼と私は、愛し合った。
『そんな馬鹿な話があるか。何を読んだ』
彼の声。
会えなくなってから、もう三年が経つ。
組織がなくなって、三年。私も彼も、組織の崩壊を誰にも悟らせないために、三年という期限を作って任務を続けてきた。彼の発案。どうでもいい組織だが、なくなって抑止力の箍が外れるのは避けたい。そう言っていた。
彼に会いたい。声を聞きたい一心で、無線をつけて、こうやって話している。
「ええと」
彼の知っていて、それでいて主人公が無職である作品を挙げていった。
彼の好きな漫画家の作品は、みんな主人公が無職。それに、ハードボイルドという括りは、狭いようで広い。男性が主人公で、女性が保護の対象で、闘う描写がある。それは、読む側が勝手に決めた理屈だった。実際には、歴史作品でもハードボイルドな作風は存在する。
『同じ作者のものばかりじゃないか』
というか、主人公が無職じゃないハードボイルドを探すほうが、難しかった。組織の構成員やヒットマンが主人公の作品なら、それらは全て、区分上無職ということになる。
『こんど良い奴貸してやるから』
「え、やった」
貸してくれるだろうか。歴史もののハードボイルドを。その作者の作品は私も好きだった。私にとってのハードボイルドと、合致する。
ハードボイルドに必要なのは、索漠。文体でも暴力でもシリアスでもない。索漠とした、何か。
『さあ、仕事だ』
月の明かりに照らされて。わるい奴がふたり。倉庫に入っていく。
「こちらからも確認した」
そう。こういう気分。
私たちも、ハードボイルドの中にいる。絶対に交わらない、線の上。その交わらない線の中で、愛し合う。
『ベータは裏口を。俺は、正面と上を』
「裏口了解」
車を出る。
この任務が終われば、私は、用済みになる。
たぶん、彼が殺しに来るだろう。そのときに、やっと会える。
***/
倉庫の扉に、もたれかかった。
月が見える。満月には、やはり少しだけ足りない。
「いい月だ」
組織がなくなった日も、こんな夜だった。
耐えられなくなっていた。彼女に会えない日々が。
会えなくなるほどに、彼女を愛してしまう。それが、情けなかった。
組織には、彼女の存在を人質に取られていた。彼女を危険な任務から遠ざける代わりに、自分が酷使される。
自分には、
月を、眺め続けた。
あの日も。
月を眺めていた。
組織は自分を危険視し、その生命線である彼女を死地に追いやろうとした。そして、それを知った自分は、組織の全てを消した。
殺して。
奪って。
消した。
それまでの自分に正義感があったと知ったのは、最後のひとり、何も知らない組織の通信担当を殺したときだった。通信端末からデータを逆流させて、情報ごと脳を焼いた。
そしてまた、自分は悪なのだと、そのとき思い知った。
今までは国という後ろ楯のある組織の庇護を受けていて、気付かなかった。誰を殺しても、人のためになると思っていた。
違った。
自分は。
何も知らない人間すら、殺せる。
月に映る。人影。
扉が閉まって、裏口も使えなければ、大体の人間は窓から外に出ようとする。
ふたり。
銃を構えて、狙いを定める。
***/
月を眺めた。
あの日も。組織がなくなった日も、こんな月だった気がする。満月ではない、少しだけ欠けた月。
組織が急襲されたという連絡を受けて、私は組織を裏切った。管理されていた人質と、何も知らない下請けを逃がした。
逃がした人のリストと逃がした先は、私しか知らない。そして、おそらく彼は。アルファは。私を殺すために、私の前に現れる。
組織自体は国の後ろ楯を得ているだけの成り上がりで、そこらへんの野良犬とあまり変わりはなかった。そんなものに捕まって、なんとなく殺される人たちが不憫だというのもある。
それに、彼の腕に抱かれるとき、綺麗な自分でいたかった。彼の首筋にキスをして、胸に顔を埋めるとき。そのときに、自分がはずかしい人間でないように。それだけを、心掛けた。
私にとっては、それだけが、全てだった。正義も悪も、関係がない。ただ、彼が私を抱いたときに充足感を得る、そのためだけに、誰かを助ける。わるい人を殺す。
組織の人間は大半が悪だったので、壊滅してもいい。ただ、通信や雑務担当とか、殺してはならない人間もいた。
そういう人間は、全て、組織を壊した相手に知られない形で逃がしている。最後のひとりは、時間がなかったので死亡を偽装したりもした。通信担当だっけか。
もともと、たいした才能は持っていない。
組織に入ったのも、満足する働き口が見つからなかったから。自分の能力と評価が合致するところなんて、そんなもの、どこにもない。
でも、彼の腕の中では違う。
彼は、私をやさしく抱きながら、何も言わずに、問いかける。おまえは、俺に見合う女なのか。おまえの腕は、綺麗なままなのか。
私も、彼の背中に腕を回しながら、応える。あなたに見合う女になるために、私は。わるい奴を殺しました。いい人を助けました。私の身体は、綺麗です。
月に照らされる。影。
ふたり。
このふたりは、わるい奴だった。水を奪おうとしている。システムに潜り込み、大雨の日にダムが決壊するシステムを仕込んでいた。発動すれば、町が地図から消える。
銃を構えた。
月の光。
目を閉じて、そして、開いた。
銃から、硝煙の匂い。
私を殺す彼に。抱かれるときに。応えるんだ。今日も、ふたり、殺しました。わるい奴でした。私の身体は、腕は、綺麗です。そう応えるために。
殺した。
***/
殺そうとした瞬間に、死んだ。
月に照らされた、ふたり。どうでもいい、インフラハッカー。
なぜ。
ベータが。彼女が、殺したのか。
屋上から出てきたところを、自分が殺そうと思っていたのに。
車に戻らず、端末から、無線の呼び出しを使う。彼女は、車に戻らないと無線が使えない。自分は違う。
『こちらベータ』
「裏口と上は、俺の担当だった」
『もうしわけありません。つい手が』
お前が手を下すほどの奴でも、なかったのに。出かかった言葉を、かろうじて呑み込んだ。たかが、町ひとつ、地図から消えるだけ。
「よくやった。おまえのおかげで、町がひとつ、救われたぞ」
『ありがとう』
無線の先。
ちょっと、残念そうな、声。
『三年目だね』
「ああ。そうだな」
『ちょっと待っててね』
無線が、切れた。
まずいな。車に戻らないと。
***/
車に戻ったら、彼が助手席に座ってて。
そして、彼の腕に抱かれながら、殺される。
そう思いながら戻ってきたのに、車内には誰もいなかった。
かわりに、無線の呼び出し音。
「こちらベータ」
『裏口と上は、俺の担当だった』
彼の声。声色に、少し、苛立ちを感じる。
「もうしわけありません。つい手が」
今夜は、私だけを殺してほしかった。あんなわるい奴は、私の体を綺麗にするのにちょうどいい。
『よくやった。おまえのおかげで、町がひとつ、救われたぞ』
無線の先。なぜか、残念そうな、声。あんなわるい奴を撃った銃で、私を殺すのか。
「ありがとう」
私に、生きる意味をくれて。さあ。私を殺しに来て。私は、綺麗なまま。あなたに殺される。
「三年目だね」
『ああ。そうだな』
私も、もう用済みだね。出かかった言葉を、かろうじて呑み込んだ。
自意識過剰かもしれない。
彼が、私を殺しに来てくれて。彼に抱かれながら、死ぬ。そう、彼が言ったわけではなかった。私が、そう思っているだけ。もう三年も経った。彼は、私が一人で死ぬのを、待っていたのかもしれない。今日、この任務で。
生き残ってしまったし、わるい奴は、撃ってしまった。
無線の先。無言。私の声を、待っている。
私から、行ったほうが、いいのかもしれない。
『ちょっと待っててね』
やっぱり、最後は。
彼の腕の中で死にたい。
「三年が経ったら、私。あなたが殺してくれると思って。待ってたのよ」
車の中に、声をかける。
「会いたかった」
ブラインドミラー。中の様子は、分からない。
「顔を見せて。いつものように、私を抱いて」
ミラー。動かない。
「あなたの腕の中で、死にたいの」
動かなかった。やはり。自分なんて、彼の中では、もう、いらない存在だったのかもしれない。
「ばかね。私。本当に」
自分のこめかみに。銃を当てた。
本当はあなたに、殺されたかったけど。
あなたが求めるなら。
私は、綺麗なまま、死ねる。
それだけで。
ブラインドミラー。何かが、反射した。同時に、叫び声。
その方向に銃口を向けて。
撃った。
***/
車の側に。
彼女がいる。
三年。三年間。会えなかった。いや、会わなかった。
怖かった。悪に染まっていく自分を、見られるのが。
彼女の顔。瞳の線が、また、強く、美しくなった。
車に向かって、何か話しかけている。
そして。
自分のこめかみに、銃を。
「ベータ」
叫んだ。死ぬな。
彼女が、振り向いて、こちらに銃を構える。
反射的に自分も銃を構えて。
撃った。
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