第18話 「マーキングしてこい」「はい」


「あのさぁ。お前なんなの」


 試合後、敗者と勝者が形式ばかりの握手を終える。

 体育館端でクールダウンしていた颯太のもとに、たった今、颯太らに試合で負けたばかりの垣野内がやってきた。


「何ってなんすか」


 クールダウン中に声をかけられた颯太は、試合後に高ぶっていたせいか、上級生相手とわかっているのに苛立ち混じりに答える。


「付き合ってんの? 花茨の何なわけ?」


「……後輩っすけど」


「はあ?」


 それ以外に、垣野内に言うつもりは無かった。

 実際は多分、命の恩人で、バレーのコーチで、他称わんこだ。


「ふざけんなよ。なんでただの後輩に、あの花茨があんな笑ってんだよ」


(あのってなんだよ。知るかよ。いつだって笑ってんだろうがよ、あの人は)


 篠のことを決めつけて話す垣野内に苛立ちが募る。


「さぁ。元々、よく笑う人だったんじゃないんすか」


「はあ――? まじで喧嘩売ってんのかよ。じゃあなんで”いばら姫”とか呼ばれてると思ってんだよ、おめーはよぉ!」


 体育館の壁を蹴りながら、垣野内が怒鳴った。周りにいたチームメイトが「おい止めろって!」と垣野内を止める。


 颯太は垣野内の怒声で、以前聞いたことのある単語を思い出していた。


『あの美人の先輩教えてるんでしょ。”いばら姫”とか呼ばれて調子にのって、バッカみたい。あんな何考えてるかもわかんない顔、気持ち悪いだけじゃん』


 あの時、人違いだと思いろくに取り合わなかったが、もしかしたら思い違いをしていたのは自分なのかもしれない。


「ナラ。喧嘩か?」


 竜二が二年を睨みながら、颯太の隣に立った。竜二はこういった時に、さりげなく颯太の味方でいてくれる。いつも元気で陽気な竜二はすぐに手を上げそうな見た目をしているが、その実慎重で面倒見がいい。

 手を出せば部活に迷惑がかかるため、颯太も竜二が心配しているようなことをするつもりは無かった。前に立つ竜二の肩に、ぽんと手を置く。


 垣野内を止めに、二年が慌ててやってきた。一人では足りないと思ったのか、今度は三人いた。


「いやいや、ごめんね一年君」

「こいつ花茨のことずっと好きでさ。いやー無理だから諦めろっつってたんだけど」

「こないだ――そっち、背の高い方。お前、教室来てたじゃん?」


(俺が、二年の教室に?)


 二年の教室に行ったのは一度だけだ。

 篠が忘れたスカーフを持っていった時。


「普段全然、男子とか相手にしない花茨が笑ってんの見てからさ、垣野内ずっと機嫌悪くて」


 あの時、篠の前に座り、話しかけていた男子が垣野内だと、颯太は思い出した。


 教室の窓を眺めていた篠は、驚くほど冷めた表情をしていた。

 そして、篠を見て「可愛い」と騒ぐ颯太のクラスメイトにも、随分と素っ気ない態度をとった。


 容姿を言及されたから不機嫌になっただけだと思っていたが、もしかしたらあれが、篠の男子に対する素の対応なのかもしれない。


「やべ、先生来た」

「じゃあ。そういうことで!」


 二年が垣野内を引きずって行く。こちらに向かってくる体育の教師を見つけた竜二が、慌てて颯太の腕を引き逃げ出す。


「お前なあ、問題起こすなよ!」

 体育館の玄関ロビーで、教師に隠れながら竜二がこそこそと話しかけてきた。


「手は出してねーだろ」

「騒ぎだけでもまずいって」

「つっても、なんか勝手に怒鳴られただけだし」

「わかってんだけどさ。いつもなら先輩に言い返したりしないじゃん、ナラ。どうしたよ」


(どうしたよって、俺こそ自分に聞きたいわ)


 ああいう時は、内心どう思っていようとも、「はい、すみません」と言っておけばいいのだ。そんなことで一々減るプライドなんて持っていない。


 なのに垣野内の、自分の知る篠以外は篠では無いとでも言うかのような、ふざけた態度に我慢ならなかった。勝手に決めつけて、勝手に自分が作った『花茨篠』を押しつけている。


(あの人は、どんなあの人だってあの人だろ)


 むすっとして返事をしない颯太の隣に周り、竜二は壁に背をもたれた。


「なあ。前に徳谷が言ってたこと覚えてっか?」


 徳谷とは、初めて颯太に「いばら姫」という単語を聞かせた女子だ。つい先ほど思い出していたため、颯太は小さく頷いた。


「あん時俺もお前も、何言ってんだってまともに取り合わなかったけど……多分あれ、まじなんだろうな」


 実感が湧かなかった。

 初めて会った時の青ざめた顔はともかく、その次に会った時にはすでに、篠は笑顔ばかりを浮かべていた。


 何度か真顔の篠を見たことがあるが、人間誰しも、いつも笑顔でいられるわけがない。そういう瞬間だってある。その程度にしか考えていなかった。


 けれど女友達と笑い合う時以外、いつもあんな顔なのだったとしたら――特に、男の前では、自分の周りを茨で囲い、笑顔を見せないように気をつけていたのだとしたら。



(じゃあなんで、俺にはいつも――)



「いーなー。あん時、俺が助けてたらよかった」



 ハッとして、竜二を見た。


「俺も横にいたのになー。俺が助けてたら、俺に懐いてくれたのになー」


 竜二が何を言っているのか、一瞬わからなかった。そのくらい、自分の中であの時――階段で篠を助けたのことは、もう過去になっていた。


(俺が助けたから、彼女は命の恩人だと思ってるから――俺に懐いてる)


 あの時助けるのは、颯太で無くてもよかった。竜二が助けていたら、きっと竜二に懐いていただろう。湿布を持って行くのも、昼にバレーを教えるのも、弁当を作る相手も、全部竜二だったに違いない。


(考えたら、わかることだろ)


 当然のことなのに、颯太は何故か苦しくなって、頭をガシガシとかきむしった。




***




「颯太ー」


 球技大会も終わり、下校の途につく頃、夕日に照らされた篠が走ってやってきた。 校門までのんびり歩いていた颯太らは、立ち止まって篠を待つ。篠の揺れる髪の毛先が、オレンジ色に染まっていた。眩しくて、思わず目を細める。


 久々に、制服を着た篠を見た。こちらの方が見慣れていて、なんだか少しホッとする。


「え……『颯太』って、え……??」


 隣にいた竜二が口元に手をやり、はわわっと狼狽えている。そういえば、昼の件から、篠には「颯太」と呼ばれるようになっていた。


 伝えるようなことでは無いと思い黙っていたが、竜二は目を白黒させて、颯太と篠を見比べている。うるさくなりそうな予感がしたのか、直史が竜二の口を手で覆った。


「あれ? 今日、部活は?」

「球技大会なんで、休みです」

「そうなんだ。あ、颯太、森尾君。二位おめでとう」


 球技大会で颯太達はいいところまで残り、あと一勝というところで敗れた。

 篠らのクラスは、三回戦で敗退した。負けた時に残念がってはいたが、篠にとって満足のいく結果だったのは晴れやかな笑顔からして間違い無いだろう。


「ありがとうございます」

 直史に口を塞がれたままの竜二は、ふがふがと涙目で礼を言う。


「……森尾君は、どうしたの?」


 直史に羽交い締めにされた竜二を心配した篠が、ぱちぱちと瞬きをして尋ねる。竜二に問うたのに、直史がにっこりと笑った。


「なんか竜二、歯が痛いみたいなんですよね。俺ちょっと歯医者連れてってきます。んじゃ、俺らはこれで。ナラ、またな」


 明らかに無理矢理な理由をつけて立ち去る直史と、直史に連れて行かれる竜二を、颯太と篠はぽかんと見送る。


 二人が校門を出て曲がったのを見届けると、颯太は篠の方を見た。ポニーテールの解かれた頭には、いつも通りのつむじが戻って来ている。


「……篠先輩、もう帰りますか?」

「うん」


 篠が「ほら」と言うように、手に持っていた鞄を見せる。颯太は駐輪場を指さした。


「チャリ取ってきていっすか。送ります」




***




「颯太、これ」


 ようやくL1NEのIDを交換し、自転車を押しながら篠を家まで送っていると、篠が紙袋を差し出してきた。


「なんすか?」

「コーチのお礼に」


「え――弁当、もらってましたけど」


 そもそも、お礼を目当てに教えていたわけでは無い。颯太が軽く拒否すると、篠は眉を八の字に下げた。


「もらってくれないの?」

「……いただきます」


 ハンドルから片手を外し、篠から紙袋を受け取る。篠は嬉しげに紙袋の口を持って開いた。


「気持ちいいって言ってくれたから」


 どうだ。とでも言うように、篠が目を輝かせて颯太を見ている。手渡された紙袋の中には、昨日颯太が篠に借りたのと同じタオルが入っていた。


「ちゃんと新しいの買ったから」

「ああ、いえ」


 じっとタオルを見ている颯太に、篠が焦ったように弁明する。


(あんなふわふわしてたし、篠先輩のなら気になんねーし、別に昨日のでもよかったけど)


 タオルを見ながら考えたことに気付いて、颯太はハッとした。


(やべー……きもい。ものすっげ、きもい……。何考えてんだよ、変態かよ)


 自分の思考を誤魔化すように、颯太は丁寧に礼を言う。


「ありがとうございます。大事に使います」

「大事にとっとかないでね。いっぱい使ってね」

「はい」


 颯太が頷くと、篠は嬉しそうに笑った。





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