143話 眠さ相まって幻100倍
「ねむい」
そう、眠い。そしてレイは機嫌が悪い。
最悪の朝といっても過言ではないだろう。
されど準備はできた。
後輩は先に外で待っているらしい。
まだ準備ができていない俺を見てぐちぐちと何か言っていたがちゃんとは聞いていない。
だってその時にはレイをなだめるので精いっぱいだったから。
まだ目をこすって眠そうにしているレイの手を引っ張りながら、玄関へと向かう。
「もうお帰りですか?」
玄関には柔らかな笑みを浮かべるおかみさんが正座で待っていた。
昨日も寝るのが早かったわけではないだろうに、その表情には微塵も眠たさや疲れは感じさせない。
さすがプロというべきか、なんというか。
「お世話になりました」
「いえいえこちらこそ。あの子たちはいたずらしませんでしたか?」
それはもう盛大にいたずらされましたよ。
しかも見えないから余計にたちが悪かったですよ。
昨日の話を聞いたうえでそんなことを言えるはずもなかった俺は、とりあえず笑みを作って返しておく。
「……迷惑かけたようで申し訳ありません。知らない人が来るとついいたずらしちゃうんですよね」
俺の渾身の愛想笑いはおかみさんには効果がなかったようだ。
すぐにばれてしまった。
おかみさんも苦笑いを浮かべていたが、俺の手をつかんでいる眠気眼のレイに目をやると、また優しい笑みへと戻った。
「あなたたちもどうか仲良くしてくださいね。余計なお世話かもしれませんけど」
こうしてレイとコミュニケーションが取れている俺は幸せなのかもしれない。
ここにいるかもしれない幽霊たちもおかみさんと何かやり取りがしたくて、泊りに来た俺たちのような客に、おかみさん自身にちょっかいをかけているのかもしれないと思うと、可愛げも出てくるものだ。
眠たいものは眠たいけど。
「せんぱーい。何してるんですかー? 早くいきましょー」
おかみさんと俺の間に挟まるレイ。
そんな奇妙な状態の中流れる沈黙を破るように後輩が玄関の扉を開け放ち、大声で声をかけてくる。
「それではお気をつけて」
おかみさんの丁寧な礼を受けながら俺はレイの手を引きながら旅館の外へと出た。
いくら観光地とはいえこんな朝早くから起きて電車に乗る人は少ないのか、昨日のバスの混雑具合を見れば実に閑散としている電車を降り、駅を出る。
駅から出るとすぐ目の前に鳥居が見える。
「びっくりするぐらい人が少ないな」
「それでもこの時間からちらほら人がいるんですから、人気ですよねえ」
確かに言われてみればこんな朝早くでもちらほらと人がいる方が珍しいか。
赤い鳥居を目の前にすると、いささか威圧されているようにすら感じる。
いや別に神社に入れないほどやましいことは特にしてないんだけどね。
まあレイを連れていることがやましいことと言われればそうなのかもしれないけど。いや別に変な意味ではなく。
レイはというと電車の中で眠りこけていたからか、今は目はぱっちり開いて目が覚めているように見える。
まあいつまでも鳥居の前で立ち往生してても仕方ない。
俺は目の前を歩くレイを尻目に鳥居の前で一礼してからくぐる。
それをレイが見ていたのかわざわざ鳥居の前まで戻ると、俺の真似をするように深々と頭を下げ、俺の隣に戻ってきた。
うん、可愛いね。
すでに一回鳥居くぐった後にやってるし幽霊だから意味があるのかは分からないけど、可愛いから関係ないね。なんでもいいよね。
「あまりにも鳥居が有名だから千本鳥居の後に本殿がありそうなイメージありますけど、先に本殿があるんだから意外ですよね」
「え、来たことないの?」
こいつのことだから日本の有名どころなんかとっくに全箇所回ってると思ってたけど。
京都なんか特に私の庭だって言われても違和感ないのに。
「来たことあるに決まってるじゃないですか。先輩のレベルに合わせて発言してるんですよ」
……ナニコイツハラタツ。
「だっていやでしょ? この先にあれがあってこういくのが最適解で、みたいな話ずっとされると」
なるほど? 後輩なりに気を遣ってやってると。そういうことが言いたいわけですね?
その割に昨日は最効率を求めようとしてたと思いますけど?
「そういう割に昨日は最効率求めようとしてたって言いたげな顔ですね」
ジト目でこちらを見ながら俺の心の中を読んでくる後輩。普通に怖い。
ほんと最近エスパーにでも目覚めたの? それともそんなに顔に書いてるの?
「あれは回るところが多すぎたので仕方なかっただけですよ。今日は特にここ以外に予定も決まってないんだから、のんびりでいいんですよ」
そういうもんかね。まあ昨日は確かに怒涛だったし、後輩のおかげでバタバタしながらもしっかり観光できた気はするけど。
そんなことを話しながら本殿でお参りをしていよいよ鳥居の方へと向かう。
人が多くなる前に来れたのはよかった。
雰囲気をじっくりと味わえてこの場所の良さがより際立つというものだ。
まあ俺ごときでは空気澄んでるなーってことくらいしかわかんないけど。
「おー……」
もうすでにいくつかの鳥居をくぐり、他の神社とは違う独特の雰囲気は味わっていたものの、やはり千本鳥居を前にすると思わず声が漏れる。
左右に並べられた鳥居が目を向けるだけでも奥に続いていて、朝の淡い日差しに照らされて紅く煌めいている。
思わず鳥居をくぐる手前で足を止めてその光景を呆けるように見ていた。
そんな光景の中に白い光が紛れ込む。
それがレイだと気づいたのは目の前を走り回る白い光を数秒見つめた後だった。
紅く染められている景色の中に一つの白い光が輝く。
朝日に照らされたレイの姿が、鳥居の鮮やかさに取り込まれてしまいそうで。
日の光に紛れてその姿が霞んでレイの姿が見えなくなる。
ここから消えてしまいそうな気がして思わず自分の手をレイの方に伸ばしていた。
「どうしたんですか? 先輩」
後輩の声ではっとする。
伸ばした手の先にはレイがいて、鳥居に手を付けながらこちらを不思議そうに見ていた。
「いや、これは……」
途端に恥ずかしさがこみあげてきて、その手のやり場に困る。
無意味にこぶしを握ったりするが上げた腕を下ろそうにも行き場がない。
「あ、分かりますよ。気持ちいいですもんね。伸びしたくなる気分になりますもん」
後輩は俺の様子など気にもしていないのか隣で大きく両手をあげて伸びをし始める。
俺もそれに合わせるようにぎこちなく腕を自分の頭の上にあげる。
よかったこいつがあほで。というか鈍感で。
「さとる?」
後輩に気を取られていて気付かなかった。
レイがいつの間にか俺の目の前まで来ていて、その首をこてんと横に傾げていた。
そしておもむろに両手を伸ばしてくると、俺の顔を包み込むように頬に手を当てる。
そのまま俺の目元に指を添えてまるで涙を拭くような仕草を……。
そこまでされてようやく気付いた。
俺はなぜか泣いていた。
「いや、これは、ちが……」
なぜ泣いているのか。
レイが朝日に、鳥居の中に吸い込まれて消えていきそうで、そんなことを錯覚して、勘違いして。そんなことをレイに言えるはずもない。
「大丈夫。私はここにいるよ」
レイが何を考えていたのかは分からない。
でもやけに大人びた笑みを浮かべて、でもいつもの調子で声をかけられて。
その言葉は俺の中にすんなりと溶け込んでいくような気がした。
レイの手に添えるように自分の頬に手の平を持っていく。
程なくして手は熱く温まっていく。
それがレイの手の体温ではなく、自分の頬の熱さだと気づき、それがやけにもどかしかった。
「……進むか」
「うん!」
「行きましょー!」
一瞬見えた大人びた様子はどこに行ったのかレイは俺から離れ鳥居の中を走り始める。
何も知らない後輩も伸びをしたままこぶしを振り上げ、そのまま鳥居の中へと歩き始める。
俺は二人にばれないように目元をこすり、レイが先にいることをもう一度確認してから二人の後に続いて鳥居をくぐった。
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