92話 一夜の非日常が過ぎ去り、いつもの日常がやってきた

 「ふわあ……」


 朝です。おはようございます。

 二日酔いもなく、昨日の出来事が嘘のようにさわやかな朝を迎える。


 さて、ここで問題です。

 人を招いたとき、一番めんどくさいことはなんでしょう。


 そう、片付けです。

 自分の部屋を抜け出しリビングに入ると山積みになっているシンクが目に入る。


「うげぇ」


 思わずうめき声が出るほどにひどい惨状。

 空いた缶はいつのまにか後輩か先輩が持って帰ってくれていたみたいだから、それは片づけなくてもいいんだけど、なにより洗い物がめんどくさすぎる。


 昨日はさすがに眠気と酔いで頭回ってなかったから、そのまま放置して寝ちゃったんだよなあ。


 多分今日片づけをやらなければ一生やらない。

 そんな謎の自信すらある。

 ……あきらめて片づけを始めようか。



 洗い物をはじめて数十分後、シンクがある程度片付いたところでふと視線を感じ、リビングの入口のほうに目を向ける。


 そこにはパーカーが着崩れて、肩がもろだしになってしまっているレイがぽけーっとした顔をして立っていた。


「ぽけー」


 なにその効果音。なんで今口に出して言っちゃったの。

 やだかわいいんだけど。抱きしめたい。


 俺は内側から湧き上がる衝動を必死に抑え込みながら、レイの服を正してあげる。

 触れてる間隔はないのに、ちゃんと肩が隠れているこの感じはさすがにいつまで経っても慣れそうにないな。


「…………おはよう」


 ぽけーっと口からよだれをたらさんばかりにあけている口から、小さな挨拶が漏れる。


 昨日庭で感じた大人びた気配は消え失せ、その様子はいつもの知性が足りてないレイって感じだ。

 悪口じゃないからね? むしろ褒めてる。


「プリン食べる?」


「……ぽけー」


 返事になってないから。その効果音別にそんな便利に使えないからね。

 俺の横を通り過ぎてゆっくりと冷蔵庫に向かうレイ。


 あ、自分でとるんですね。しかもその手に持ってるのプリンじゃなくてアイスだし。


 プリンじゃなくてアイスのほうが好きになっちゃったの?

 たまにはプリンもどうですか。食べないなら俺食べちゃうよ?

 いいんだね? 食べちゃうからね?


 そんなことを念で必死に送っても、すでにレイは机の上に体育座りでアイスをほおばっている。

 ……俺もプリン食べよ。ちょっと休憩。休憩は大事だからね。


「あいつら……」


 冷蔵庫を開けてまず目に入ったのは、大量のアルコール缶の束だった。


 ……そうだった。結局十数本買ってきたけど、結局飲んだのって四本くらいでしょ?

 五本でも余ってるじゃん……。どうするのこの大量のアルコール。


 俺もう一年くらいは酒飲まなくていいかなって思ってるんだけど。

 思わず漏れ出るため息を吐きながら、プリンを取り冷蔵庫を閉める。

 とりあえずあの酒たちのことは考えないことにした。


 現実逃避ではない。いったん思考を放棄しただけだ。

 あとでちゃんと考えるから。多分。きっと。


 レイはそんな俺の悩みなど知る由もなく、相も変わらずアイスを口に含んでもぐもぐしている。


 しかし見れば見るほど昨日の面影はないというか、むしろいつもよりもいっそうのことボーっとしているようにすら見える。

 まあこっちのほうが安心するというか、いつものレイって感じがするからいいんだけど。


 でもどうしても彼女を見つめていると昨日のことを思い返して考えてしまう。


 この様子を見る限りだと彼女がいった『大好き』って発言は、恋愛とかそういうんじゃなくてむしろ家族とか友達に向けたりするそういった類の意味だったんだろう。


 例えそうだとしてもレイが自分に対して好意的な感情を持ってくれていることに変わりはない。

 ちょっとずつ近づけばいい。そう思う。


「さとる」


 名前を呼ばれて顔を上げるといつのまにか体育座りから正座へと変わっていたレイが、こちらに両手を向けている。


 すでにその手にも口の中にもアイスの姿は見えなかった。

 結構な時間考えてたかな?


「どうした?」


 優しく微笑みかけるように彼女に尋ねる。

 今日はどんな話をしようか。何をしようか。どうやって二人の距離を縮めようか。


「ちょうだい」


 ………………。


 とりあえず差し出された両手に向かって顔を近づけると、全力でレイは腕を引いた。


 いや、今までちょっと感動的な流れじゃったじゃん? きれいに『fin』手文字が見えそうな感じだったじゃん?


 え、結局一口も食べてないよ。このプリン。


「ちょうだい?」


 小首をかしげながらつぶらな瞳をこちらに向けてくる彼女。

 俺はあきらめてレイの手の上にプリンを置いた。


「ありがとおー!」


 完全に目が覚めた様子の彼女は勢いよく立ち上がり、受け取ったプリンを頭上に掲げ、くるくると回りながら自分の部屋へと戻っていった。


 ……あの子、なんか後輩の悪い部分に影響されてない?

 これは週明けもう一回後輩に説教だな。拒否権は与えない。



 手をついて天井を仰ぐ。


 一夜の非日常が過ぎ去り、いつもの日常がやってきた。


 そんな感じがした。




 ……もう今日は片付けしなくていいですか?

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