90話 一般女性はやらかし、そして物思いに耽る

 先輩と話していると成り立っていない会話のはずなのになんでか笑えて、先輩が放った一言の前後の頭の中の先輩の独り言を想像して、それが当たってたらなんでかうれしくなって、とにかく先輩への興味は尽きなかった。


 そんな私のしょうもない皮を破った先輩と一年くらい一緒に働いていた時ふと思った。



 私は先輩のことをどう思っているんだろう。

 


 思えばこれまでこんなにも他人のことが気になるなんて思うことはなかった。

 人に合わせて会話をするくらいなら、その時間をいろんな建物をめぐる時間に充てたいと考えていた。


 でも先輩と話していてそんなことを考えることはない。

 むしろもっと話してみたいとすら思う。 

 それはなぜなのか。

 先輩の生態が謎だから? 先輩が頭の中で何を考えているのかもっと知りたいから?



 ……私が先輩のことが好きだから?

 


 そんなことを考えるけど、どうしても先輩と私の関係に『好き』という感情を交えると、違和感を覚えてしまう。

 何かもやもやして自分が何を考えているのか、先輩のことをどう思っているのかわからなくなってきていた。

 だから先輩と腹を割って話せば、何か答えが出るんじゃないかと思った。


 元来私は物事を深くまで考えることに向いてない。

 気になった物があれば、特に考えずに現地に向かって確かめるし考えてもわからないことはとりあえず思考放棄する。そういう性格だ。


 だから先輩とも休憩の時間だけじゃなくてもっとがっつり話す時間があれば、この気持ちにも説明がつくんじゃないかって思った。


 家を提案したのは最初は純粋な好奇心からだ。

 むしろその時は先輩よりも先輩が住んでいる場所のほうに興味があった。


 先輩に指摘されてから初めて、どうして私は一人暮らしの男の人の家に行こうとしているのにこんなにも拒否感も、警戒心も抱いていないのだろうと疑問に思った。


 結局それもわからずまたもやっとした。

 まあそれもいけばわかると思って気軽に考えることにした。


 先輩を説得する流れで、同じ部署のもう一人の先輩もついてくることになったが、私は特に気にしなかった。

 私は先輩と話す時間があればいいだけだし、同じ部署の先輩であれば私の性癖のことはばれている。


 だから必ずしも二人きりである必要はなかった。

 普通好きとかだったら、なんで二人じゃないのかと思ったりするのだろうか。

 


 当日になって緊張なのか何なのか、テンションがおかしくなってしまった私は飲めもしないのにお酒を大量に購入してしまった。


 そしてとうとう来てしまった先輩の家。

 まあ特にいうことはないなんてない普通も部屋で、特に何も思わなかったかな。


 失敗したという雰囲気を醸し出してるカレーもいただいたけど、普通に食べれたし。

 一緒に来た先輩はせきこんでたし、作ったはずの先輩は一口も口にいれてなかったけど。


 するつもりもなかった話もした。

 その時も先輩は初めて話したあの時みたいに真面目に返してくれた。


 そんな先輩の言葉はやっぱり私の心の中にすっとしみ込んで、びっくりするくらいすんなり受け入れることができた。


 普段はまともに話すら聞いてないくせに、そういう時だけそんなことをする。

 そんな先輩がずるいと思いつつ、なぜか照れ臭くなった私はお酒以外の理由で火照った顔を見られたくなくて席を外した。


 

 お手洗いから戻った時目の前で広がっていたのは予想だにしない光景だった。

 もし私が先輩に『恋』ってやつをしてるんだとしたら、到底受け入れられないであろうそんな光景。


 でも私はそれを見ても特に何も感じなかった。


 またなんかやってるよこの人たち。そんな風にちょっとあきれてすらいたかもしれない。

 だから私はその時思った。

 あ、私別に先輩のこと好きじゃないんだって。

 それなのに、それなのに……。


「なにやってるんだろうなあ……」


 空には満天の星空が広がり、だいぶ夜も更けていることを教えてくれている。

 冬に近づいている外はやっぱり肌寒くて、リビングのほうに目を向けるといつの間にか起きていた先輩が心配そうにこちらを見つめてきていて、ちょうど目が合う。


 私を庭に置いてけぼりにした張本人である先輩は背を向けてこちらを見ようとしない。


 あの時出た言葉は思わずついて出てしまった言葉だった。

 そんな言い方をすると本当に私が軽い女みたいな感じになるけど、本当に思わずって感じ。


 酔いで火照った体を覚まそうと庭に出たときに、ふと先輩の顔を見たとき、心がざわついた。


 その時先輩が見せていた表情は見たことなくて、でも私もよく知っている。

 そんな表情をしていた。


 先輩も誰かに恋をしてるんだな。そんなことがすぐにわかるような顔だった。

 そこから先輩にあんなことを口走っていた。


 口から出た後にすぐに後悔した。私はいったい何を言っているんだろうか。

 そんな風に思った。私だったらあんなことを言う女なんて嫌いになる。


 もしかしたら先輩はそれを冗談だと思って、まじめに受け取らないかもしれない。

 そんなことを思って先輩の顔を見ると、彼は真剣に何かを考えているようだった。


 その瞬間、私は怖くなった。


 私の発言に対して肯定されることも拒否されることも、その答えがどちらだとしても聞きたくなかった。


 だから、私は逃げた。

 先輩が口を開く前にその場から逃げた。

 ……まあその結果割と本気で先輩を怒らせてしまったわけだけど。ま、当然か。


 冷たい夜風が私の体を冷やして、どんどん頭は冷静になっていく。

 先輩の家に来て話をすれば何かわかるかもしれないと思ったけど、結果変な暴走をしてしまっただけ。


 先輩を怒らせたとはいえ、うまくごまかせたんじゃないかと思う。

 でも自分の気持ちはごまかせていない。


 自分が先輩のことをどう思っているのか。

 結局この気持ちにこたえは出ていない。


 もしこの気持ちに名前があるならだれか教えてほしい。

 私が一番この気持ちの答えを知りたいから。


 『好き』とも『尊敬』とも、もちろん『嫌い』とも違う。


 どうしてかそんなあいまいでたまに苦しくて考えればモヤっとしてしまうこの感情を、どこか心地いいと感じている自分もいた。


 もしかしたら私はこれ以上の進展も後退もしてほしくないのかもしれない。

 今の先輩後輩の関係が一番心地いいのかもしれない。


 口から吐き出る白い息を眺めながら、私は自分にそう言い聞かせていた。

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