80話 社食並みに美味しいは誉め言葉ではなく、侮辱だと思ってる。傷つくよ?

 テーブルに並んでいた完璧な料理、通称コンビニ飯は脇に寄せられど真ん中にはカレーもどきが位置している。

 もう何を言っても無駄、この人たちの押しには勝てないと悟った俺はカレーを温める機械と化し、そして思考放棄したままそれをテーブルに置いた。


「なんか……酸っぱい匂いしません? 気のせいですかね?」


「そうか? 私はあまり感じないが……」


「え、私だけ!? もしかして妊娠してる?!」


 大げさに片手で口を押えながら自らのお腹をさすり始める後輩。

 いや、先輩。疑うような目でこちらを見ないでいただけますか。そんなことあるわけないでしょう。

 後輩の妄想ですよ妄想。あるとしても想像妊娠でしょ。


 それにどちらかといえばこの酸っぱい匂いが感じ取ることができない先輩のほうがやばいと思いますよ?


 俺はなるべく息を止めながらカレーのような何かをそれぞれの皿に入れていく。

 他の二人に食べさせるのだから、俺だけ食べないというのはどこか礼儀が鳴ってないような気がするので、一応俺の皿にも入れる。

 まあ二人よりも圧倒的に量は少ないが。


「どうぞ召し上がれ」


 俺は失敗していることを思わせないようになるべく満面の笑みを顔に貼り付けて、二人に提供する。


「わーい。いただきまーす!」


 後輩は特に疑う様子もなく、ご飯と一緒に大量のカレールーをすくうとそのまま口の中に入れた。

 いや俺があれだけ渋ってたんだから、もうちょっと疑った方がいいと思うんだけど?


「うっ!!」


 狭い部屋に後輩のうめき声が響く。

 俺は警告したからね? 食べない方がいいよって言ったよね? あれ、言ったっけ?

 言ってないとしてもそんな雰囲気は醸し出していたからね。


 先輩も大口を開けたまま後輩の方を凝視している。

 そうだよね。突然自分が今から食べようとしている物と同じものを食べた人が、うめきだしたら警戒するよね。


「大丈夫か?」


 一応声をかけてみるが、後輩は目を見開いたまま口をもぐもぐと動かしている。

 別に無理して食べなくてもいいから。吐き出した方がいいんじゃない?


「……美味しいですねこれ! なんか今まで食べたことない感じの味がします」


 ……うそぉ。


 口の中のものを飲み込んだ後輩の第一声がそれだった。

 ……大丈夫? この子の舌。やっぱりバグってるよね。


 それとも食堂のご飯で鍛えられすぎて、これぐらいなら余裕とか?

 後輩の感想を聞いて安心したのか先輩もほっとしたような表情を浮かべて、スプーンに乗っていたカレーを口の中に運ぶ。


 先輩の感想を待つかのように、部屋の中が一瞬の沈黙に包まれる。


 しかし先輩は俺たちの注目に構っている暇はなかったようで、軽く咳き込むと近くにあった酎ハイの缶を開け、そのまま口の中に流し込み始めた。

 うん、そうだよ。それが正常な反応だよ。


「……はあ、はあ。な、なんというか……すべての味覚を刺激するような味をしているな。……うん、実に芸術的な作品だと思う」


 そういい終えると、再び缶を煽る先輩。

 いや無理して褒めようとしなくてもいいんですけど。ていうか褒められてる?


 別に俺どこぞの食堂みたいに料理に個性的で芸術的感性は求めてないんですけど。

 あれ、あんまりうれしくないぞ。


「なんか私これどこかで食べたことある気がするんですよねえ。どこだったっけなあ……」


 後輩はカレーをパクパクと口に運びながら、首をかしげていた。

 こんなカレーを売っている店はもうすでにつぶれてるんじゃないかな。

 こんなものが売れるはずがない。


 そして後輩よ。なぜ当たり前のようにそんなに食べられるんだ。

 見てみろよ先輩の顔を。この世のものとは思えないものを見ているかのような顔でお前のこと凝視してるぞ。

 多分俺も似たような顔してるんだろうけど。


「思い出しました! 会社の社食で食べたことある味です! すっきりしたー!」


 おい、それは褒め言葉じゃないぞ。

 料理人に対する最大限の侮辱といってもいいかもしれない部類に入るぞ。

 全然嬉しくない。


 いや俺は料理人でもないけど、なんで少し傷つくんだろう。

 後輩はすっきりしたのかもしれないけど、俺はまったくすっきりしない。


 心がもやもやだよ。

 もう霧がかかりすぎて目の前がにじんできたよ。泣いてなんかないからね。


 後輩はニコニコしながら、酒を飲みそしてカレーを食らう。

 先輩もそんな後輩を見ていてお残しはよくないと思ったのか、涙目になりながらカレーを食べ、そして酒でそれを流し込んでいた。


 そうだよな。こんなの吞まなきゃやってられないよな。

 俺も端に追いやられたハンバーグをつまみに、ちびちびと缶酎ハイを飲む。

 味はうまいがやっぱりこのアルコール感が苦手なんだよな。

 普通のレモンジュースが飲みたい。


 なんか先輩が俺のことを睨んできているような気がするが、そんなことは気にしない。

 別に俺は食べろって言ってないからね?


 先輩が体裁を気にして食べてくれているだけだから、それは個人の自由だ。

 俺はこのカレーは今日はチャレンジする元気がないから、美味しさが約束されているハンバーグを食らうのだよ。


「ところで後輩よ。結局今日なんで家に来たんだっけ? なんか相談があったんじゃなかったっけ?」


「そうでした!」


 パンと勢いよく手を叩く後輩。スプーンはすでにカレーが入っていた器の上に置かれていて、その中身は空になっていた。


 よく全部食べたね。すごいよ、もはや尊敬する。そのバカ舌に。

 ていうかそうでした。ってもしかして忘れてたの? 今日のメインイベントでしょ。

 このままだとただ俺の家にただ飯食いに来た人みたいになっちゃうよ。


「でももう答えは出たようなものなんですけどね」


「というと?」


 先輩も後輩の意味不明な発言についていけなくなったのか、首をかしげながら問い返す。


 それより先輩。もう一缶空いてますけど、ペース早くないです?

 顔色が一切変わってないのが、余計に怖いんですけど。


「いやあ、ずっと気になってたんですよね! 男の一人暮らしってどんな感じなのかなって。つまりはそういうことです!」


 手を高く振り上げそう宣言しながら、もう片方の手で缶を傾ける後輩。

 その表情は実に清々しいものだった。



 ……いや、どういうこと?

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