39話 だから血文字ってもっと怖いことが書いてあるんじゃないんですか?
いつもよりちょっと気持ちが落ち込んでいて、自分の調子が悪くて。
そんなタイミングの悪いタイミングでからまれてイラっとして、いつもなら気にしないのに何でよりによって今日なんだよって勝手に怒って。
それはちょっとした綻びから生まれたすれ違いで、今までこんなことはなかったけれど、いいことではないとわかっていて。
「あーー!!」
分かってる、分かってるよ!
いくら言葉を並べたって、それっぽいことを言ったって俺がレイに八つ当たりしたのが悪くて、レイのことを考えなくて行動した結果、こうなったってことは十分わかってる。
乱暴に頭を掻きむしってもいらいらは収まらなくて、そのままの勢いでベッドにダイブする。
ベッドの堅さが全身に伝わってきて地味に痛い。
俺が疲れていて、それでも絡んできたレイに怒ってるんじゃない。
自分の感情に任せた子供じみた行動にイライラしてるんだ。
あーくそ、怒りそのまま言葉を発するとか子どもかよ、反抗期かよ。
部屋に入ったとたんに周りが静かになって、それでようやく冷静になって、自分がいかに愚かな行動をしたかを顧みて、そして後悔する。
過去のことをいつまでもうじうじ抱え込んで、言い訳をして逃げてそのあげくに今近くにいる人までもないがしろにする。
「あーなんだ俺……最低じゃん」
あおむけになって腕で顔を隠したところで、さっきの事実が変えられるわけでもないし、逃げられるわけでもない。
今俺がやるべきことがたった一つなのはわかっている。
それを実行することが怖くて逃げたく今もこうやってベッドに倒れている。
「……あほか。行くぞ」
俺は自分の体に鞭を入れて立ち上がる。
まだスーツのままだけど着替えている時間がもったいない。
俺は自室から出るとリビングの扉を開けてレイの部屋へと向かう。
決意したはずなのに体は固くなって、部屋の扉を開けるのに戸惑ってしまう。
花火の音はとっくになくなっていて、家の中には静けさだけが満ちていた。
……トントン。
「あー……なんだ……レイ、さっきは俺もイライラしてたっていうか、それでもそれをお前にぶつけるのは間違ってたと思う……」
扉を開ける勇気がなくて、一枚扉を挟んで部屋の中に向かって話しかける。
…………。
帰ってきたのは静寂。
「おい、レイ?」
そうだよな。顔も見ずに謝るなんて礼儀がなってないよな。
ここはちゃんと顔を見てちゃんと謝らないと。
俺はそう思いなおし、レイの部屋の扉を開けた。
「……あれ?」
いつもなら部屋の隅っこで体育座りでいるはずのレイの姿がない。
気が抜けて全身の力が抜けると同時に、俺のこの決意を返してくれとちょっとだけ思ったり思わなかったりした。
洗面所を覗いても風呂場をのぞいても、トイレの中を見てみても彼女の姿も、気配すらどこにもなかった。
「……もう知らん。寝る」
よくわからない体の内側にあるざわざわにまたイライラして、俺はそのざわめきを無視するようにふて寝することにした。
結局俺はいつまでたっても子どもだった。
次の日の仕事も結局身が入らないまま、一日が終わってしまった。
挙句には先輩にも同僚にも体調不良を心配されて早帰りするかとまで聞かれてしまった。
それはさすがにさぼりと変わらないので遠慮したが、そのあとも俺が集中することはできなかった。
え、後輩? あいつはいつも通り、今日は法隆寺の画像を眺めながら「この絶妙なバランス造形がたまらん!結婚したい!」とかわけのわからんことを言っていた。
結局昨日はあの後寝たからレイとはあってないし、朝も俺がバタバタしてたっていうこともあるけど、姿も気配もなかった。
まあ朝は基本的に出くわしたことがないので特に気にはしてないけど。
「……はあ」
なんか最近俺ため息多くない?
確かため息一つすると幸せが同じ数だけ逃げていくんだっけ?
やばいじゃん、ただでさえ少ない俺の幸せがこのままだとマイナスになっちゃうよ。掴まえなきゃ。
……あ、そんな変な人を見る目で見ないでください。別に変な人じゃないので。俺はまともなので。
ただ幸せを逃がさないように吐き出したため息を空中でつかんでるだけですから。
「……はあ」
あ、やばい。また逃がしてしまう。
そんなことを繰り返しながら家につき玄関を開ける。
…………。
「……なんだよ」
なんか違和感があるなと思ったら最近帰ったらいつもレイの「おかえり」があったから、それがないことにおかしいと思ってしまったんだ。
いつの間にかあいつの労いに慣れてしまっていたのかなあ。
「おかえり、ただいま」
しょうがないので久しぶりに一人挨拶をして靴を脱ぐ。
そして顔をあげると玄関先のリビングとレイの部屋に通じる廊下には衝撃的な光景が広がっていた。
『ばか』『あほ』『まぬけ』
『なす』『ぷりん』
『アイス』『ぼう』
壁一面に広がる血文字で書かれた悪口のオンパレード。
びっしりと書かれたそれは壁の色が真っ赤になるほどに、でも文字は読める絶妙な塩梅で書かれていた。
というかリビングに近づくほど、もう何かレイの食べたいものリストみたいな感じになっていて、悪口ですらなくなっている。
むしろレイからプリンとかアイスとかって言われることって誉め言葉なんじゃないだろうか。
……それはないか。
そんなことを考えながらも、徐々に俺の頭にまた血が上っていくのを感じる。
上等じゃねえか……。
「俺は消さないからな! 自分で掃除しろよ!」
俺はリビングの扉を開けながら家全体に聞こえるようにそういうと、リビングへと入った。
結局その日もレイの姿を見ることもなく、気配も寒気も物音がすることもなく、俺は昨日買っておいたプリンを食べて眠りについた。
一応アイスのストックも確認したけど、減っているような様子はなかった。
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