第三章 光はプラスマイナスで進む その4 さらなるネット問題と帰国までの騒動

通し番号十五

ーーミュンヘンへ移動、とんでもない離陸ーー


その後は楽しみにして思い切って買ったテレビに悩む日々が続きました。待望の大型4Kなのにチャンネルは山ほどあるのに、リモコンは使い勝手が悪くすぐに接続できませんと言ってくるし、かと言って叩くには薄すぎるのでソケットを抜き差ししてみて、それが意外にも当たりだったりして、さて調子が良くて見ているとさっぱり聞き取れない。耳が悪いのか機械が悪いのか。日本語だったら笑える微妙な言い回しがわからず面白味がないなど、時たま出会う大自然などの画面に吸い込まれそうな例外を除くとがっかり現象でした。


もちろん、6月25日という最初の離陸予定はフランクフルトのルフトハンザに電話して30日に延期してありました。こんな重大な話でもあたしが電話するという情けなさ、それが何とか通じてしまうので、JBが電話上手じゃないかなどと抜かすのでした。


ともかく、今回はスーツケースの数が少なかったので車椅子介助のみ申請して、23日にもうミュンヘンへ列車の旅となったのですがここでもフランクフルトで乗り換えがあり、待っていると何と接続列車が運休になったというのです。もちろん介助の優秀なおじさんおばさんが無線を使ってちゃっちゃっと車椅子専用座席を確保してくれました。JBは黙ってじっと断髪の髪を晒して座っています。すると色白の彼がご婦人に間違われたりする始末。


ミュンヘンについたものの、ホテルが駅のどちら側なのかそれが問題でした。タクシーを使うには決まっているが、どちらの出口か、昔から知り抜いているはずのJBはぼさっとしています。

ホテルの名前を聞いたおじさんが思い当たるらしく、よし、このまま押してゆこうとさっさと先にJBを運んで行きます。悔しいことにスーツケースを持っているだけではなく、もう足運びの遅いあたしはとてつもなく遅れてしまう有様でした。おじさんが時々待っていてくれます。実は本当に目の前だったのです。

そんな便利なホテルを私は選んでいたのでした。まさに若い旅行者のための一夜限りのホテルです。ここに連泊というのは珍しい。



翌日はまた銀行との予約、というか住所などの変更の確認作業。昔を思い出しながらちょっと車椅子散歩などするともうあたしの手首が痛んでたまらずお腹で押して行くのです。


夕食は、普通あたしが道路を渡って駅構内でこれまで食べるチャンスのなかったミュンヘンらしい食べ物を買ってきたり、あるいはJBがうまく目覚めていると昔美味しかったイタリアンアイスを食べに言ったり、豚の足を食べに行ったりやや旅行者気分を味わうのでした。


その間はもちろんのように唯子さんが付き添ってくれ、はとこの知人に借りていた車椅子を一緒に返却するのまでついて行ってくれました。空港リムジンバスで乗って行くときも彼女が付き添い、旅行慣れしているので世話を焼いてくれ、写真もとったりして、普通にじゃあね、バイバイと別れたのでした。



ところで、実は、ホテル内ではあたしはネットを使いっぱなし、というか電話しっぱなしでした。というのも、30日のその変更便が車椅子介助など本当に頼めているのか、次第に心配になり、サイトで確かめ、大丈夫らしいと見て取り、翌日もう一度見ると今度は全く予約が取れていないではありませんか。


そんなバカな、昨日は確かに書いてあったのに!!!

帰れなかったら大変です。3ヶ月の旅行ビザが切れてあたしはドイツで逮捕されてしまう。JBは一人で残ってしまう。

またフランクフルトに電話してルフトハンザで尋ねると何が何だかわからない様子なのです。

たまらず日本のルフトハンザに電話、しかし時間が7時間ずれているのでその具合の悪さと行ったらありません。

しかし、一筋さんという練達の人に当たり、やはり予約されていないので、新たな便を探したが直通はない、デュッセルドルフで乗り換え、羽田ではなく成田着を提案してきました。

乗り換えは本当に困るのだけど仕方ない、と承諾。

「あした朝9時一番で電話してきてくださいよ、支払いの話をしましょう」 

ところが老いのいい加減さ、眠り込んでしまい、遅くにネットで確かめようとすると、何とまた予約が取れていないではないか!!!


もう真っ青、日本の翌日を今か今かと時計とにらめっこで待って即電話。

一筋さんはまだきてないが、クレジットカードの支払いをすれば確定して見えるようになります、と言う。そうか、フランクフルトの予約もそこまで詰めなかったので確定しなかったのだ!!!


日本で予約したときにちゃんとクレジットカードで支払ってあるので、いくばくかの追加料金がかかるとしても自動的に連携されるものと、はっきり考えていたのではなくさっぱり考えていなかったのでした。



そういう経緯の飛行機に搭乗するために唯子さんと別れたのでした。

そうデュッセルドルフヘまず発つのです。うまく座れました。

でも機械が具合悪いので検証するとか、待たされました。

そして珍しいことに飛ばないということになりました。


車椅子なので全部の乗客の最後に降ろされ、代替便は手遅れで、もう誰もいないガランとした空港内を介助の女性に押されてあちこちカウンターを周り、結局決定した便は、何という神の愛情か、羽田へ直通という理想的なものでした。


その前のはミュンヘン~デュッセルドルフ~成田とは大違いの便利さだったのです。

何と何と、やるわね、神様、と思って座っていると間も無く電子機器が使えなくなりそうでした。はっと気づく。

幸雄だ、もう今ごろは起きようとしている、私たちを成田へ迎えに行こうとして!! 

これでは全く会うことができないではないか。

電話、とりあえず幸雄に電話だ、できた、できたではないか、しかし彼は寝ぼけている、話が通じそうにない。

そうだ唯子さんの電話を待つようにと言う。成田ではなく羽田だと。


次はミュンヘン住まいの唯子さんに電話。東京よりはまだ通じやすい。

「唯子さ~ん、お願いがあるの、幸雄に電話して、番号はこうこう」

「えーまだそこにいるの。何してるの」

「飛行機が飛べなくなって羽田まで直航便よ、時間は云々」



ピン、と禁止のランプがちょうどついた。すれすれだ。


数年前の旅行の帰国時にもトラブルがあったなあと思い出す。モスクワ上空で理由は言わずに急にミュンヘンにユータンだと。クリミヤ半島関係で飛行機が消える事件が続いた頃だったかしらん。最後まで理由は告げられなかった。

おかげで一流のホテルに無料で泊まることができました。湯船が大きかっただけで大した違いを感じなかったのは、あたしたちが貧乏性だからでしょう。



(6/24 この身を包む聖霊、叡智よ、一つ一つの課題を超越しつつ「苦境をも楽しむ」の元、予定の日が無であったとも知らず、しかしMrひとすじを遣わされ最適なはずの思わぬ僥倖として頂くことになろうとは。多くの波紋をくぐり抜け、不安を宥め無視しつつ、また呟く「苦境もない、本気にするな」この身は光)



羽田に着くと、息子が待っていました。

あたしたちには円がありませんでした。

口座にも入っていないのでまた息子に十万円借りました。

そして車で連れて帰ってもらいました。


家の中は、ドイツの話など知らぬげに、これまでの生活そのままが残っていました。庭はもうもうと草木が茂っていました。近所中が帰ってきたかやっぱり、という顔をしていました。このまま移住するとは誰も知らないのです。


(6/30 光よエネルギーよ、帰国までの三日間見事なまでに暗転と好転を複数回繰り返し、人々の好意により、得たよりも一段と最適な航路へと手渡されて帰ってきました。ドイツが帰すまいとしているようにも見えた程に。美しい言葉を思い出すけれどもメモできない時が残念です。その一つを温めています)


この項 終了

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