第三章 光はプラスマイナスで進む その1 羽田離陸 ニュルンベルク キリストの絵

前著からの通し番号十二


既刊「時は流れているか バートミュンスター まで」で、神様気取りで半ば夢物語といったものを書いてしまいましたが、その中で実際の旅の成り行きについても数ページを割いています。今回小説気取りから離れて、起こったことを起こったままに綴っていきます。


ここに書いてある道のりは、決心するまではどう考えても無理!という一言に尽きるようなことを実行し始めて、ではなぜに決心したかというと無理強いもあり状況がより可能にもなり、未決定状態にうんざりしたこともあり、自分の得に引っ張られたりもしたからであり、その結果、案の定と他人は言うだろうが本人としては落ち着いて案の定などと思う暇もなく、引き摺り回され、解決に奔走する日々でありました。

渡独のために準備した日々は記憶にも残らないほど意味を失っていますねえ。そりゃ歳相応のガタがガタガタ出てくるのに対処を迫られるようなことはありましたけども。主に関節や背骨のヘルニア摩滅によるものと不整脈。



ーー離陸前後あわやーー


時は2018年4月2日、貸家で古家、平屋、ガラス戸と庭周りに特長のある、と言うか要するに外から丸見えと言う欠点を持った住まいを、ろくに片付ける暇もあらばこそ、スーツケース大小と高価なパソコン2機、歩行不能のドイツ男と責任者の半白髪の女が、帰国便に一年の余裕のある格安航空券を名古屋の小さな旅行会社からクレジットカードで購入して、さていよいよ羽田空港の全日空側に立ち現れたのでありました。


象の脚、といえば象も怒るでありましょう、赤黒く傷だらけで皮膚は鱗さながらに覆われて、自分の体内水分を抱えるだけで精一杯という、心臓の無いも同然という初老の男の運搬に加え、スーツケースを詰めること締めること運ぶこと、全てにょうぼのあたしのすることという前提なのであります。知っていますとも。


有難きかな、三十数年前に産んでおいた末の子が家族ともう来ておりました。ごった返した空港ビルを身障者カウンターまでスイスイと誘導され、調子よく、これから時間のある限り彼らとつまり、孫の友理と最後かもしれない二時間の逢瀬を楽しめるはずでありました。

係の女性らの親切で手慣れた仕事ぶり、搭乗券も手に入り、さて突然、誰が叫んだのか、わかりません、「インシュリンを忘れた!」 糖尿病者にとっては命綱、責任者のあたしには大失態。血の気が引くとはこのことでした。最後の瞬間まで冷蔵庫で保存するのだと男が頑張るので、そうしていたら案の定、出発の朝は冷蔵庫ごと忘れ去っていました。


そして、今、出発か諦めるか、今決めなければならないという時でもありました。車を買って間もない息子が二時間あれば往復できると家の鍵を受け取って、走り出し、嫁は近くの薬局へ念のためインシュリンを買いに走り、孫はあまりコンタクトのない父方の祖父母と残され、それでも様子を理解して黙っていました。


時が来て嫁と孫とあっさり別れ、荷物検査ののち、JB、夫の名前ですが、JBの車椅子を制服の女性に任せ、長い長い廊下を、検査場のカゴに腕時計を置き忘れたとも知らずに、肩にめり込む手荷物に喘ぎながら歩いて行きました。搭乗口についたところで制服を着た女性が銀色の冷蔵弁当箱を持って走って来たのを、物珍しく見たあたしは愚かでラッキーでした。それこそ息子が家からとって来てくれたインシュリンだったのです。

勿論、という言葉を使うのは自分でも不審なのですが、ふと時計をしていないのに気づき、JBにはまだ言わずに(うるさいので)ちょっと、とだけ言ってあの長い道を飛んで行きました。まあ、問題なく保管されていて返してくれました。その時に搭乗券やパスポートを見せたかどうか、今は全く覚えていません、ともかく問題がなかったことだけ。


全日空機だけれどもルフトハンザなので、ドイツ人のアテンダントがいます。食事となり、さて血糖値を計らなければと、カバンを開けて、さて男が叫びます。

「測定セットがない!」

それはのちにわかったのですがやはり誰もいない家の男の椅子に忘れてありました。でもさすが世界のルフトハンザです、大柄なドイツ人がかがみこんで測定してくれたのです。愚かでラッキーな我々。



ーー現ナマとレンタカーの次第ーー


半死半生のドイツ男とその介護人然とした妻のあたし、無事にミュンヘン空港に到着、ほとんど一歩も自分で歩く必要なく、外に出るや、タクシーでまず赴いたのは、市内のH V銀行でした。男の考えでは現ナマがもっとも頼りになる、というので有り金の半分を札束にしたのでした。もちろん銀行はそんなことは大嫌いなので、大反対だったのを押し切って、仕返しのように、もらった方が嫌うので実際は使えない五万円札(円に不正確に直せば)が大半なのをも構わず意気揚々と銀行を後にし、次はレンタカー屋まで一走り、ここまではまあうまくやった方です。


数年前に来た時に使ったレンタカー屋エンタープライズです。事前に電話したものの、もちろん当地では普通、マニュアルの車しか在庫がなく、日本でオートマチックに慣れている(道路の左右が逆というのも問題)夫は渋ったけれども仕方なく、大きな黒のフォードを受け入れました。滞在予定の3ヶ月分を現金で支払うからと偉そうに申しました。すると、クレジットカードしか受け付けないと受付のうら若い外国人の娘が申します。信じられない成り行きです。前回はそれでオッケーだったのにと抗弁してもダメの一点張り。そんなご時世なのです。


前回と異なるのはまだありました。その後もありますがまずは、必ず出迎えてくれたハンジーおじさんが病院のベッドから落ちて死亡しており、その婿の親切なライナーも脳溢血で入院中なのでした。男と唯一、話のウマが合うはとこのヴィータすら自身が病気の上、母親が認知症になっていて手があかないのです。


おまけに、とみに頭の働きが弱って来たJBが車を運転できる、とは言えない状態であることが発覚しました。レンタカーエンタープライズの駐車場から出ることができません。レンタカーをスタートさせることもできません。何しろ初めて乗るフォードですし。生きた心地はしません。おまけにそこからミュンヘン市街を突っ切り、郊外のホテルまで、アウトバーンを一部通るのです。死ねというようなものです。どんなことでも起こる覚悟ではありました。しかし駐車場でもうひっかかるとは。


何分かおきにエンストを起こしながら、手と脚がうまく連動できないのです、奇跡的に、神経ピリピリの人間だらけのミュンヘンを出てアウトバーンに入り、そこから出て、やがて見覚えのあるホテルデーマスにたどり着きそうになりました。やれやれです。

そのホテルは2回目なので、地下の駐車場の入り口で、あたしは降りて扉のブザーを押し、もう乗らないで車がくだっていくのを見ようと、したところ、ガガガーッと音がしてJBが運転する車は右側のタイヤを縁石にこすり始めました。左側に座っているので、右の感覚がわからないらしい。あたしが慌てて走り降り追いかけていくと、車はさらに右の車体を壁に擦り始めたのです。あとで聞くと左にオートバイが止まっていたとか。だからと言ってそこまで右に寄らなくても良さそうなものですが。

そしてガタゴトとエンストしながら進み、一番奥の大きな柱をこすって止まりました。

もちろん傷がつきましたが、深い凹みはありませんでした。

知らない車、ドイツの車、鍵をかけるのさえ一時間もかかりました。本当に鍵がかかったのかは定かではありません。こうして思い出すと恐ろしさに襲われます。あたしは忘れようと、思い出しまいといつもしているようです。

でもこれで恐怖は終わりではありませんでした。



ーーホテルよりアウトバーンでニュルンベルクへひたすら恐怖ーー


そもそも何故、我々がドイツくんだりまで来たかという理由はさておき、とりあえずドレスデンに行かなければなりませんでした。それは例のミュンヘンの銀行が、クレジットカードを作ることはできるが、それを郵便で送るので受取人の住所がいる、ホテルではダメだというのです。

ミュンヘンにはあたしのママ友の唯子さんがいるのだけど、北のほうを目指しているのでそっち方面にいる親友の弓子さんの住所を貸してもらうしかありませんでした。そういうわけで、ドイツのクレジットカードにありつくためにホテルを出て北へ向かうのです。


弓子さんのいるドレスデンまでは一気に行けません。ホテル滞在中にJBの体調が改善して車を運転できるようになるという、淡い希望にすがっていました。


1週間近く滞在して、さて出発のその日、唯子さんが立ち寄ってくれ、スーツケースを運ぶなど手伝ってくれました。天使のような唯子さん。

いざ出陣、JBは車のエンジンをかけました。バックするはずなのに、前進して前の壁にどしんとぶつかり、下がろうとして、下がっては前に進んでまたぶつかるのです。

その音でちょうど居合わせた何かのエンジニアらが見に来ました。すぐに受付カウンターで見たことのある長身の紳士がきました。それはホテルの持ち主その人だったのです。

問題は、レンタカー屋が返すときにはもってこい、車を引き取りには来れないと主張することです。ミスターデーマスは電話までかけてくれました。

「この男性は車の発進すら出来ない、そんな糖尿病の人をホテルから出発させられない、お宅も責任問題ですよ」と掛け合うのだが、おそらく相手は例の女の子なので埒が明くわけもなく、とうとう最後に彼が自分で運転して車を地下ガレージから出し、外の道に停めてくれ、「ここからはミュンヘンまで行って返すか、さらに乗って行くか、お宅の判断ですよ」と彼も人々も離れて行きました。


残ったのはあたしとJBと唯子さんの三人。ホテルを出るとwifiがないのでもう使える携帯すら持たないあたしたちは唯子さんの携帯を借りて、レンタカーエンタープライズの支店をさがし、あたしはそこまでタクシーで行き、(タクシーを呼ぶのはまたホテルのレセプションまで行き)無駄な話で終わってまた戻ってきただけでした。どうしよう。

唯子さんにも案がなく、顔を見合すばかりでした。インシュリンを忘れたとき同様、一か八かの決断の時でした。ドレスデンに行く用事は重要でした。親友に会うというだけでなく。

ミュンヘン市街よりアウトバーンの方が運転しやすいように思えました。ひたすら走ればいいのですから、信号はないし。事故になって死ねば死んだときだ、と覚悟はできました。あたしが決定しました。さ、行くよ、とJBに告げ、あっけに取られてたたずむ唯子さんを残して発進したのです。


時速八〇キロと指示が出ているとややほっとする、昔のように百五十キロでぶっ飛ばせる区域は制限されているようでこの点まだしもというところ、数回エンストしてはひどくクラクションを喰らってもそんなことどうしようもないので、もう走り出したら止まらないことにして、五時間、予約のペンションのある村、ツィンドルフまでよくぞたどり着いたものです。


そしてナビでは着いているはずなのに「ペンション古村」が見つからないので、あたしがあたりを走り回って、それでもその場所をなおも見つけ出せないでいる間、JBは車に座って休んでいました。何か言いかけそうにしますが、あたしはそれに構っている暇はなくそこらじゅうを尋ねて周るのに必死でした。

やっと親切な角の店のおじさんに教わり、わかったと思っても、入口らしきものは居酒屋しかありませんでした。化かされたようです。

おまけにJBが、「ばか、さっきからその前に駐車してるのに、それを言おうとしても見向きもせずに、ばか」と怒っていたのも当然で、路上駐車していたそばに、立て札があり「ペンション 古村」とか確かに書いてあります。


うまいことそこの駐車場に駐車できて、柵の向こうに変な入り口があり、それは居酒屋の裏口と並んでおり、そこで電話して管理人を待つようにと居酒屋の親父が言いました。


室内はふるい古い木造のしつらえ、貧乏な農家の寝室という感じでした。そこでしかし、あたしはイエスキリストに出会ったのです。イエスキリストに帰依する画家の心を見たのです。ドイツへの無鉄砲な旅は、意識の上では夫を母国で看取るという結構なものでしたが本心では、あるいは無意識では神と出会う旅でありました。

何枚写真に撮っても、実物の感じには程遠いのは残念なことです。まあ実物がないとなるとそれはそれで結構雰囲気が出るのも事実です。全ての苦労がここに向かっていたのかと思う他ありません。苦労を辛いとか思う暇もなくなんとかやり通すことだけに一心でした。この絵はここであたしを待っていてくれたのでしょう。そう意味づけることにしました、そうであるはずです。



ーーニュルンベルク〜ドレスデン 列車の往復ーー


4月中旬、あらゆる樹々に若芽が吹き出し、淡い緑色の霞がかかる時節でした。

ニュルンベルクの旧市街を見る間もなく、這々の態で列車に乗りました。列車です。フォードの新車ではなく。


時間を1週間ほど戻して、ニュルンベルクの古村ペンションでのこと。

アウトバーンの強行突破作戦の影響としか思えませんが、その翌日せん妄状態で目覚めたJBがその日のうちに病院に収容されてしまいました。できものを切開してもらうつもりだったのに、JBを見た医者たちが騒動して心臓の専門医へと回し、そこから市立病院へ救急車です。みんなが「よくぞここに来ましたね」と口々に言うのですが、あたしたちはわかっていますからはあ~と返事するばかりです。


そして1週間、JBはこれ以上の検査を断り退院すると主張しました。当時は狂気の行いと思われたでしょうが、あとから考えると理性的な行動でした。病院側は百万円くらいをあたしたちからふんだくる予定を立てていましたし、生き延びているのですから。明日にも頓死ですよと脅されても平気です。さあ次の問題を解決する必要がありました。


この車をどうしたら返すことができるか、ミュンヘンからは持ってくるようにと言われたこと、JBの病などを話したところ、ペンションのある村近くのエンタープライズ支店では、快く引き取りにきてくれました。ミュンヘンとはなんという対応の違いでしょうか。修理費その他かかってもそんなことには代えられません。喜んで支払います。やってきたおじさんたちは(と言っても相当の歳下ですがあたしは自分の歳の感覚が狂っているので)とてもとても好人物でした。天使のようでした、ちょっと太っていたけど。


ペンションのある村はJBが入院していた病院とは遠すぎるので、レンタカーが片付くとあたしは町中のイタリア人のホテルに移りました、その時の絶体絶命の気持ちについては、前著に書いたのでここでは省略します。


そう、さて次はドレスデンへの列車です。

スーツケースは前日に郵便局までタクシーで運び、直接ドレスデンのホテルへ送り込みました。もう一つの大荷物、ミュンヘンのホテルデーマス滞在中に、親切なライナーの嫁であるJBの別のはとこの知り合いの知り合いが、不要な車椅子を使わせてくれるというので、「車椅子付きのJBという荷物」を押して行くだけになりました。


初めて駅で並んで切符を買う、身障者介助も頼む。ドキドキものの仕事でした。しかしこれが結構親切で有能な人たちの連携からなっており、日本でも親切なのだろうけど経験したことがなかったので、ともかく感謝感謝でした。

乗り換えがあるのでそこが大変でした。何しろ仕組みと構造がわかっていないので、一人では流石に乗り越えられなかったことでしょう。JBは車椅子のまま大きなカゴに積まれ、そのまま徐々に持ち上げられ、あたしの力で車椅子を中に引っ張り込むのです。JBがいつも肌身離さず持っている大きな鞄とパソコン二機の重たさときたら。おまけに背負っているリュックサックの重さときたら。


ドレスデンはただただ美しい街、美しい人々、美しい花々に溢れていました。


しかし、目的のあるあたしたちは長居するわけではなく、また同じ手続きを踏んで列車で南下を始めました。この度は、乗り換えの列車には何と身障者のための座席がないということがわかりました。あたしたちにはさっぱりわからぬうちに正しい列車に変更になり、その手続きも熟練の介助の人たち頼りでうまうまと乗り継いだのでした。JBにはそんな全てに感謝するいわれはなく、彼らはあたり前の仕事をしたばかりなのです。そして色々と文句を言い、潔癖症丸出しで言うに言われぬほど、変な人丸出しでしたが、私は介護人なので澄ましていました。


空に、まるで映画マトリックスを実現させたような格子が見えました。ジェット機の航雲なのですが、見事に格子柄になっていました。あたしの思うこと感じること、全ては脳内の光の幻であると言っているのです。この光景はまたスマホのカメラに収めました。これがあたしへのご褒美であり確証でもありました。ちゃんと準備してあるのです。


ニュルンベルクで、例のイタリアホテルにまた一泊してさらに南下。あれこれ考えてはみても見も知らぬ街ばかり、なんとなく結局は、大雑把な理由で、とりあえず目的地は、バートミュンスターとなりました。

どんなところか? JBの大好きだったお祖母さんが住んでいたので子供時代からよく知っていて、ヴィータも住んでいるボース村の割と近くのいわゆる保養地とか。そんなくらいの理由で行こうとしていました。

そうそう、そのお祖母さんというのが、マリアという名前、とても好人物で当時70歳過ぎ、今のあたしとそういえば同じ年頃、青い目が生き生きとしていました。第二次世界大戦で夫と息子は行方不明のまま、JBの母である娘は15歳でソ連に強制収容され炭鉱で5年間働かされました。娘とは無事に出会うことができて、JBを可愛がったことは言うまでもありません。彼女にとってはいつまでも可愛い小さな孫のことをあたしに向かって日本語なら「どうぞよろしくお願いします」と頼みました。そのことがあたしをどうも縛っているようなのです。

マリアお祖母さんは心臓が悪くなったのですが、そのボース村にいる限り辛くなかったらしく、そのことがJBの南下の主要な理由でした。あたしはドレスデンの親友のそばに留まりたかったのですが、そう言われると仕方がありません。


近くの町はバートクロイツナハとか、ホテルクローネとかになんとか予約を取りましたが、階段があり山登りの人が泊まるところらしかったのであたしの心配はつきません。心配と言っても、JBの気に入らなくて怒り出し、あたしが非難されることが心配なのです。誤解なきように。JBには同情すべきところはありますが、唾棄すべき無視すべき、そうでもしなければこちらが壊れてしまうような態度が普通なのですから。


ところでなお一言、ホテルにいる間はネット環境は大丈夫なのですが、スマホは意外にも使いにくくて、それなら使い捨ての電話はと言えば、以前はすぐに買えたのですが、今回はもうダメでした。住所がないと売ってくれないのです。そう言うわけでホテルでネットを使って、次々とネット予約してホテルを渡り歩くことにも利点がありました。もちろん旅行者には普通の行動かもしれません。

ただ、ホテルを決定するときのあたしの切迫さ、絶対絶命さ、必死さはあたしたちの下準備も知識も知り合いもなく移住すると言う問題全体がネットのあるなし問題に集約されていることの反映だとも言えます。


JB(その体調と性格)とネットというこの二つの問題が、移住の条件確保に絡んで行くらしいと、次第にわかってきました。


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