6. 登壇者

 大学の講義に同性愛者の活動家が呼ばれたのは、それから間もないことだった。どうやら世間はこうした話題が大好きのようで、懲りずに生徒にマイノリティを教えようとする。理解のできないものを排斥するのが人間なのだから、こんなことをしても無駄だろうに。

「ゲイやビアンは、特別なわけではありません。普通に存在します。あなたの隣に座っている人だって、実は性的マイノリティかもしれないんです。そのことをしっかりと頭に入れた上で、人と接するようにしてください」

 なんてありきたりな台詞。登壇しているワイシャツ姿の自称ゲイを見て心のうちで吐き捨てる。

 あなたも多かれ少なかれ、僕のように面白がられてからかわれるか、蔑まれて排斥されてきた人間でしょう? どうしてそんなに凡庸な言葉しか出てこないんだ。僕だったら、「LGBTなんてクソ食らえ」くらい言ってやるのに。僕なら――夢の僕なら。

 講義はいつも通り九十分のはずなのに、ほとんど永遠のように感じられた。教室の隅の方からからかうような笑い声が聞こえる。ずっと聞こえる。

 これはきっと拷問だ。僕たちに対する何かの罰だ。もしくは復讐。他人と違った価値観で生きているだけで笑われる。僕はきっと前世で殺人でも犯したに違いなかった。でなければ、こんな仕打ちはおかしい。

 追い討ちをかけるように、町屋さんが意味深長な視線を僕に向ける。授業が始まってから――いや、今朝目を合わせてから、ずっと彼女はこちらを物言いたげに見続けている。あからさま過ぎやしないだろうか。気づかないふりをするのも大変なんだ。配慮というものが、頭から抜け落ちているの?

 町屋さんの視線に耐えながら、僕は生産性のない講義に恨み言を浮かべることで、とにかくこの場を乗り切ろうとした。そして、講義は終盤に差しかかった。

「社会がもう少しだけ優しくなって、私たちを受け入れてくれる世界になることを願っています。そのために、私は伝えることの努力を怠りません。もしもこの場にマイノリティの方がいるのなら、勇気を出して、伝えることを実践してほしいと思います。信頼できる人には、伝えるべきです。すべての人に私たちのような者が受け入れられる社会を、皆さんも一緒に作っていきましょう」

 講義はこう締めくくられた。

 大きな拍手がその場を包む。中には冷やかしも含まれるが、多くは共感と感動によるものだ。

 そんな中で、おそらく僕だけが唯一、絶望的な気分でその場に座っていた。

 冗談じゃない。

 僕はほとんど叫び出しそうだった。

 何が「信頼できる人には、伝えるべき」だ。何が「すべての人に受け入れられる」だ。

 ふざけるな。望まない人だっている。僕らが伝えることよりも社会が変わる方が先であるべきだし、どうして僕らが周囲の顔色を窺って自由を獲得しようと惨めに足掻かないといけないんだ。見世物じゃないのに。結局、生きることに苦労している僕らを見下して優位に立ちたいだけでしょう?

 どうしてこの世は彼や町屋さんのような人が賞賛されるのだろう。この場にいる僕はこれほど絶望的な気分になっているというのに。正しければ、善であれば、どれだけ無神経でも許されるのだろうか。

 カミングアウトが推奨される世界なんて、そんなのは絶対に狂っている。

「今日の講義、すごくよかったね」

 教室から出て、ようやく話しかけてきたかと思うと、町屋さんはそんなことを口にした。朗らかな笑みで。自らが正しいことにまったく疑いがないみたいに。

 そうだね、と聞こえたかどうか怪しい声で返事をすると、町屋さんは満足げに振り向いた。

「早く次の講義行こう?」

 彼女はきっと悪魔だ。そうに違いない。

 命を絞られるような気分で廊下を進み出すと、向かい側から歩いてきた水野さんと目が合った。相変わらず姿勢が良くて、彼女は優しく微笑み、こちらにちいさく手を振った。

 その挙動すべてが落ち着いていて、僕はなんだか急に恥ずかしくなり、手を振り返すこともできずにその場を立ち去った。

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