さよなら、マイノリティ

1. 自己紹介

 大学に入学してすぐ、新歓が開かれた。

 私の進学した学科にはそこそこの人数がいて、新入生なら片っ端から招かれていた居酒屋はごった返す。湿気がこもって、四月だというのに汗がシャツに滲んでいる。

 同級生となった生徒たちは皆はしゃぎ、これからの生活に期待を馳せていた。そんな人たちの顔、顔、顔。同じような表情ばかりに囲まれて酔いそうになる。大きな声が鼓膜を揺らし、頭の奥まで無遠慮に響く。「俺、こっちに来たら絶対彼女作るって決めてたんだ」「そのネイル色綺麗、どこの?」「ねえ、あそこの人すごくかっこいい」

「みんな、今日は集まってくれてありがとう」周囲のざわつきをはるかに上回る声で、幹事らしき男が立ち上がりながら切り出した。「これから一人ずつ自己紹介をしてもらうから、名前と趣味と、あとはそうだな……好みのタイプとかも言っちゃっていいよ」

 わ、とその場が盛り上がる。

 ああ、やっぱり、そういう目的の人は大勢いる。

 私はグラスの水を勢いよく仰いだ。

「いい飲みっぷりだね。こっちも飲んでみない?」

 俯いて陰鬱なオーラをこれでもかと発していたにも関わらず、隣の男は私に話しかけてきた。あろうことかビールのジョッキを掲げて。

「私、未成年です」

「大丈夫大丈夫、ちょっとぐらい問題ないよ。ほら、ね?」

「いえ、結構です」

 ばさりと切り捨てると、男はすぐに方向性を変えて、露骨に距離を縮めてきた。

「なんだ、そんな冷たくしないでよ。俺とちょっと話さない?」

 どうやって遠ざけようか考えていると、男は急に顔色を変えた。

「え、もしかして、天野? 天野あまのひかる?」

 思わず顔を上げる。

「あ、やっぱりそうだ。どっかで見たことあると思ったよ。あれだろ? 高校のときに彼氏振って、そのあと彼女作った」

 どうしてお前が知っている、とか、誰から聞いたんだ、とか、そんなことお前に関係あるのか、とか、いろいろな言葉が瞬時に浮かんで、けれど脳内を通過していった。

「あー、そっか、そっちね。じゃあ俺が言い寄っても意味ないね」

 男は鼻の下をかきながら苦笑した。

 まあ、さ。悪意はないんだろうけど――いやあるのかもしれないが――そんな言い方されたら腹は立つよね人間なんだから。出会い頭にそっか君はホモだから私と話しても意味ないよねとか言われてみなよ、想像してみなよ。

「え、なになに、お前もう振られたの?」

 今度は向かいの金髪頭が話しかけてきた。会話は周囲の雑音に紛れて聞こえていなかったのか、私の隣で居心地悪そうにする男をからかうように笑っている。

「めずらしーね、こんな早く振られるの」

「しょうがないだろ」男が吐き捨てる。「俺は守備範囲外みたいだし」

「へえ、お前、顔は結構いいのに」

「違うって。男は無理なんだって」言ってから、しまった、という顔をする。

「え?」と金髪頭。そして、やがて何かを察して、「ああ、そういうこと?」と私を見た。

「あー、じゃあ仕方ないよね。ごめんね、なんか」

 何が仕方ないのか何がごめんなのか言わないのはなんでだろうね。

「でもさ、大丈夫だよ。最近LGBTとか流行ってるし。俺らも別に偏見とかないし。すぐにいい人見つかるって」

 私は何も言っていないのに、矢継ぎ早に言葉が続けられる。保身のための弁解。はっきりと言葉にしないのが偏見の表れだってこと、きっと彼らは気づいていない。

 そのあとも彼らはよくわからない言い訳を続けて、私の中のいらいらがいい具合に胃の中で煮えたころ、ちょうど自己紹介の順番が回ってきた。

 ちょうどいい。

 私はそう思い、立ち上がって周囲を見渡した。

 そして、深く息を吸い込んで、店全体に聞こえるんじゃないかと疑うくらいの声量で語り始めた。

「天野光と言います。どうやら噂が広まっているらしいのでこの際言ってしまいますが、私は高校時代付き合っていた彼氏と別れたあと、彼女を作りました。それから私は、じゃああなたは同性愛者なんだねという言葉をよくもらいますが、私はその言葉が大嫌いです。LGBTとか、マイノリティとか、ゲイ、ビアン、バイ、トランス、エトセトラエトセトラ――そういう言葉も大嫌いです。ホモとかレズとかと何が違うんですか。そんな薄っぺらいラベリングしないでください。ペットボトルでもあるまいし。異性、同性とか言いますけど、私からしたらみんな異性ですよ。同性の定義はなんですか。私は気分が変われば僕にも俺にもあたしにもなるし、結局どれが本当のあなたなのって訊かれても結局どれも本当の私だと答えます。天野光は天野光です。そんなこともわからない人は私に話しかけないでください。――以上です。気分が優れないので今日は失礼します」

 息継ぎも忘れて捲し立てた。はあ、と息を吐き出すと、周囲は凍りついていて、やっぱりみんな同じ顔をしていた。当然の結果。喉が熱い。でも、腹のいらいらは少しだけすっきりした。

 私は彼らを一瞥すると、大股で通路を抜け、店を後にした。水一杯しか飲んでいないし、会計はいいだろう。

 外に出ると一気に空気が冷たくなって、今までいかに淀んだ場所にいたのかが実感できた。肺を外気で満たす。落ち着いてくる。

 夜の街はネオンでぎらぎらと気味悪く、なるべく空を見るようにして歩いた。なんだか急に大人になったみたいで、胸のあたりがざわついたから。

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