第9話 モニカ令嬢の憂鬱

 どうしてこうなった、どうしてこうなった!?

 ありのままに起こったことを話すと、レオ様に連れられて騎士や兵士達を治療していたら聖女になっていた。

 そのことがレオ様の策略に気がついたときには、私はすでに国から正式に聖女認定されていた。レオ様の恐ろしさの片鱗を見たような気がするわ。

 確かにゲームの中のレオンハルトは非常に頭が切れる設定だったが、ここまでピンポイントに破滅フラグを折ってくるとは想定外だった。



 ことの始まりは、レオ様が私に治癒魔法を教え始めたころだった。


「概要は今話した通りです。それでは実践してみましょうか」


 レオ様は何の躊躇いもなく、自分の指にナイフを突き立てた。

 あ! と周囲の使用人からも声が上がる。もちろん私も声を上げた。


「れ、レオ様! 何をなさっているのですか! 私の治癒魔法の練習で必要になるのなら、私の指を傷つけますわ!」


 タラタラと血を流しながら、レオ様はなにごともないかのように、


「モニカの絹のように白くて美しい肌を傷つけるわけにはいきません。ほら、早くしないと出血多量で死んでしまいますよ」


 と言った。

 何で途中にノロケが……じゃなくて、早く治療しないとレオ様が死んでしまう!

 あせる心を必死に抑えて、治癒魔法を使った。

 痛いの痛いのとんでいけ、痛いの痛いのとんでいけ。

 魔法の効果はすぐに現れ、レオ様の指の傷はまたたく間にふさがった。

 レオ様は少し驚きながらも傷を確認している。


「さすがはモニカ。まさか、一度で使えるようになるとは思いませんでしたよ」


 嬉しそうに微笑んでレオ様が頭を撫でて褒めてくれた。

 素直に嬉しい。私が癒やしの魔法を使えるようになるだなんて信じられない。

 ゲームの中のモニカはそんな魔法を使わなかったものね。同じくゲームでは使っていなかった生活魔法を使えるようになったことで、自信がついてきたのかしら?


「私だけの力ではありませんわ。レオ様が丁寧に教えて下さらなければ、きっと使えるようにはなっていませんでしたわ」


 この言葉の通りだと思う。レオ様が私に癒やしの魔法を覚えるようにと言って下さらなければ、治癒魔法を覚えようなどとは思わなかったはずだ。本当にありがたい。


「そう言ってもらえると嬉しいですよ。時間もまだありますし、次の魔法の練習もやりましょうか」


 そう言ってレオ様は次々と治癒魔法を教えてくれた。

 そのとき、気がついたことがある。

 レオンハルトも大概チートだが、このモニカも大概チートだったのだ。

 確かにゲームの公式設定では、モニカはラスボスに相応しい能力を持っていたものね。そのせいかしら?



「モニカもそろそろ実戦経験を積むべきですよ。どうです? 無理にとは言いませんが、怪我をした兵士達の治癒をしに行ってみませんか? まずは比較的、怪我の軽い人達を治療している治癒院にしましょう」

「はい。分かりましたわ」


 この国の皇太子殿下の言葉は勅命と同じだ。

 私が断れるはずもなく、レオ様に連れられて治癒院にやってきた。

 そこではレオ様が言ったような小さな怪我、例えば包丁で切ったとか、転んで擦りむいたとか、頭を打った、更には腰痛を何とかしてくれ、などと言う人達の治療に当たっていた。

 治癒魔法を使うと、それらは簡単に治っていった。その光景を見て、改めて魔法って凄い、私って凄いと思った。

 調子に乗った私がどんどん治癒していくと、多くの患者が私のところにやって来るようになった。

 なんだか頼りにされていることが嬉しくて、ついつい頑張ってしまう自分がいた。

 誰かに必要とされることって、嬉しいことね。

 そうしている内に、今度は少し怪我の程度がひどい人達も治療しに行こう、ということになり、兵士達が集まる宿舎へやってきた。

 宿舎にはかなりの数の怪我をした兵士達がいた。

 どうしてこんなに怪我をした人がいるのか聞いてみると、どうやら魔物との戦いで怪我をしたとのことだった。

 そうだった、この世界には魔物が存在するのだった。

 図鑑でしか見たことがなかった魔物が本当にいることを実感し、背筋が寒くなった。

 それに気がついたのか、レオ様が私を安心させるかのように、優しく背中を撫でてくれた。本当に優しい王子様だ。

 兵士達は国民の安全のために、日夜、危険と隣り合わせで戦っているのだ。私にできることがあるのなら、役に立てることがあるなら、やれるだけのことはやりたいと思った。

 そんな私の決意を感じたのか、レオ様も治癒師の皆さんも私を受け入れてくれて、親切に指導をしてくれた。

 それからの私は、時間が許す限り宿舎に寄って兵士達の治療を行った。もちろん、レオ様も一緒だ。

 そうこうしている間に、私の治療魔法の腕は一人前になってきたようであり、大きな怪我も治せるようになっていた。

 そして、その日がやって来た。

 辺りが慌ただしくなり、運ばれてきたのは一際ひどい怪我を負った兵士だった。良く見ると、片腕が食い千切られたかのように肘から先の部分がなかった。

 すぐに治癒魔法が使用され、体の大部分の怪我は治ったが、肘から先の怪我はそのままだった。

 私はなぜそのままにしているのかと疑問に思いながらも、その無くなった腕の治癒を開始した。

 今思えば、これがいけなかった。

 辛そうに失われた自分の腕を見つめる兵士を見ていられず、私は治癒魔法を使った。

 欠損箇所を治癒した経験はなかったが、ゲームでは瞬時に完全回復させる魔法があった。

 HPが全快になるのだから、きっときれいな体、すなわち体の欠損も元に戻すことができる魔法だと私は判断した。

 その考え方は正しかったようであり、私が使った完全回復魔法は兵士の欠損した腕をきれいに生やした。ちょっと、いや、かなりグロテスクな絵面ではあったが。

 吐き出しそうになった胃の中の物を呑み込んで、


「これでもう大丈夫ですわ」


 と笑顔で言うと、その場の空気が、まるで北極のブリザードに遭遇したかのように完全に固まっていた。

 その瞬間、自分がまたなんかやってしまったことに気がついた。

 恐る恐るレオ様を見ると、レオ様はニコニコと「良くやった!」という実に良い笑顔でこちらを見ていた。

 まさかレオ様、こうなることを予想して……。


「モニカ公爵令嬢様!? おお、何と言うことだ! 失われた体の一部を取り戻すことができる治癒魔法を使うことができるとは! これは、一大事ですぞ!」


 辺りが一気に騒がしくなった。やっぱり体の欠損箇所を治すのは駄目だったらしい。

 あまりの騒ぎに恐怖を感じた私はレオ様にしがみついた。

 レオ様は安心させるように優しく私の頭を撫でると、


「このことは私が責任を持って国王陛下に伝えますので、貴殿方はこのまま兵士達の治療に当たって下さい。それからこのことであまり大騒ぎしないように。私の大事なモニカの心が休まらないような状態になったら、私が許しませんよ」


 後半の言葉は、身の毛がよだつような声色をしていた。

 一気に辺りが静まり返る。

 さ、さすがはレオ様だ。まさに鶴の一声。

 このレオ様の言葉のお陰で、その後は少し噂されるくらいで済んだ。

 そのため、私も遠慮なく大怪我を負った兵士達の治療に当たることができた。

 そして兵士達をたくさん癒やしていると国王陛下から呼び出され、あれよあれよと言う間に聖女認定されてしまった。

 ゲームの中で聖女認定されるのはヒロインだったはず。どうしてこうなった……。

 確かヒロインは多くの兵士が負傷した「魔物の氾濫」が起きたときに、その負傷した兵士達の多くを治療した功績が認められて聖女の認定を受けたはず。

 そのときは大怪我をした兵士も何人もいて、そのイベントでヒロインは完全回復魔法を覚えるのだったわね。

 ……似ている。魔物の氾濫こそ起こっていないが、今の状況がヒロインのイベントと、似ている。



「私なんかが聖女になるだなんて、おこがましいですわ。何とか返上出来ませんか?」


 私はレオ様に言った。後で調べたところ、聖女認定されるのはガレリア王国では唯一人だけ、とのこと。

 これではヒロインが聖女認定されないことになる。それはまずい。

 しかしレオ様は「それはもう無理だ」と言った。今更取り消しなどしたら、王家の信頼の失墜に関わると。


「それに、モニカは聖女になるのに相応しい成果を上げているだろう? これはこの国の皆の総意なんだよ。国王陛下が一人で勝手に決めたわけじゃない。私としては、モニカに胸を張って聖女としての務めを果たして欲しいかな」

「聖女としての務めですか?」

「そうだよ。聖女を必要としている人はたくさんいるだろうからね。本来聖女は国中を飛び回って治療に当たる必要があるけど、モニカは私の婚約者だからね。私の許可無しに連れ出すことはできない。だから一緒に聖女としての務め果たすことになるね」


 何と言うことでしょう。もしレオ様との婚約が破棄されれば、私は国中をひたすら飛び回る生活をしなければならなくなる。

 それではとても心が落ち着くことはないだろう。

 それに聖女が悪事を働くなどしたら、国王陛下の任命責任が問われてしまう!

 ……あれ? もしかして、すでに外堀が埋められつつありますか? 気のせいですかね? レオ様ー?

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