雨宮結城は俺の嫁

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雨宮結城は俺の嫁

 中学生の時の自分はアニメオタクだった。00年代黄金期だったこともあり、ファンタジーも学園モノも異能力バトルも、何を見ても面白く楽しめていた。キャラの決め台詞や名乗り口上を誦じられて当たり前だったし、友達とカラオケに行けばアニソン三昧で、EDダンスも恐らくまだ体が覚えているだろう。


 そんな自分も大学を卒業後企業勤めのサラリーマンになり、社内恋愛を経て結婚し二人の娘がいる。漫画やアニメはいつからか追わなくなり、ゲームも自分のペースでのんびりやれる牧場経営やサンドボックス系ばかりになった。それだって本当に暇な日にしかやらなくて、縛りプレイやゴリゴリの効率化プレイはしなくなった。


「パパ、いってらっしゃい!」

「パパ、おしごとがんばってね!」

 家事で忙しい妻に代わって見送る愛しい娘たちに、いってきますのキスをしてから家を出た。車に乗り、勤務地まで走らせる。平日の通勤時間は流れがわかっている車が多くていい。土日にもたつくやつがいると、こっちまでヒヤヒヤする。


 職場に着いたらラジオ体操からの朝礼、業務が始まる。娘たちの笑顔を思い出し、今日も一日頑張るぞと気合いを入れて、デスクに座ってメールとバレない程度にSNSを開く。午前中は割と暇なのだ。

 取引先からのメールチェックを一通り済ませ書類作成もひと段落した頃、電話帳に無い番号からスマホに着信があった。今日は午後から工事の打ち合わせがあるから、業者がかけてきたものだろうと思い廊下に場所を移し電話にでた。

「はい、桜井です」



「…………私のこと、覚えていますか」

 しばらく間があってから、返事が聞こえた。どこかで聞いたことのあるような女性の声だったが、どうにも思い出せない。

「どちらさまですか?」

 と聞くとまた少し間があってから


「…………雨宮。雨宮結城です」

 消え入りそうな声で、悲しみを堪えている返事があった。雨宮なんて知り合いはいないし、企業でもない個人の掛け間違い電話だろうとスマホを耳から離して、ふと思い当たる人物がいることを思い出す。


 よく見ていた学園異能力バトルアニメ【夕闇学園戦記】で一番好きなキャラだった。青いショートカットの少女で、能力は泡を大量に発生させて身を隠すだけのバトルには不向きな性能。

 主人公には好意を抱いているが幼なじみ故に振り向いてもらえず、それでも勇気を出して告白しようと決意した次の日に不意打ちで命を落とす、不憫な結末を迎えるキャラだ。

 そんな儚い運命に感情移入した当時の自分は、この子を守ってあげられたらいいのにと常々考えていた。あそこでああしたら、彼女は助かったのにと。


 まさかアニメのキャラクターが突然電話をかけてくるなど思ってもみなかった。声優がドッキリ番組でもやらされているのかと思って、背筋がゾクリと寒くなった。何かの企画だとしたら、何故俺の番号を知っているのか。


 うちの会社は鉄鋼業でアニメとは無縁の場所だから、そこから繋がるはずはない。同級生にアニメ制作に携わる仕事をしているやつがいる話は聞いたことがないし、付き合うより遥か昔にオタクは卒業しているから、嫁は知る由もない。どこから漏れたんだ?


「どうして」

「えっ?」

 彼女の方から切り出され、思わず聞き返す。

「どうして、他の女と結婚してしまったの? 私はずっと待っていたのに」

「いや、あなたと結婚を約束した覚えはないんですが……」


 アニメのキャラクターと結婚したいなんて思ったことはない。そもそも出来るはずがない、向こうは二次元の世界にいるんだから。オタクの頃から自分はそこだけは冷めていて、現実じゃないからいいんだと熱弁しては共感者がいないことを嘆いていた。


「嘘。何度も何度も放送の度に、雨宮結城は俺の嫁って言ってたじゃない。その言葉を信じて、桜の木の下で待っていたのに」

 桜の木の下は彼女が想いを打ち明けられないまま死んでしまった場所だ。待っていたのにと言われても、劇中で死んだキャラクターをどうしろというのか。


「そう言われても困ります。例えあなたが本当に雨宮結城だとしても、私には妻子がいますので」

 俺の嫁というのは言葉通りの意味じゃない。当時は今のように「推し」や「尊い」の概念がまだオタクの世界には無く、好きな気持ちを表現するための言葉だった。


「すいませんが、切らせていただきますね」

 気味が悪くなってきて、もう終わらせたくなり切ろうとすると


「今度こそ貴方の嫁になります……フフ、フフフ、アハハハハハハ!!!!!」

 アニメでも聞いたことのないような低く怖い声の後に、真逆の甲高い笑い声が響く。恐ろしくなって電話を切り、そのまま電源も落とした。悪戯にしては悪質すぎるし、雰囲気的にも声優がやっているとは考えられない。


 電話の内容がずっと気にかかって、昼飯もろくに喉を通らずもやもやしたまま仕事を終え家に帰ると、いつもの光景にホッとした。そうだ、あんなものは白昼夢だ、そうに決まっている。

「パパだー! おかえりなさーい」

 娘二人が同時に出迎えてくれて、安堵のため息が出る。喉のつかえが取れて、玄関先に膝から崩れ落ちた。心の底からよかったと喜ぶ気持ちが溢れてくる。


「ママがごはんつくってくれたよ」

「パパはやくはやくー」

「はは、そんなにせかすな。今行くから」

 鞄を持って立ち上がり、靴を脱いでリビングに入ると、夕飯の香り漂う台所に雨宮結城が笑顔で立っていた。


「おかえりなさい、あなた」

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