星空の下、貴方と

@almonb

第1話

「星が綺麗ですね、先輩」

冬は日没が早く、加えて空気が澄んでいるので星がよく見える。山の上に建てられた学校の周辺は開発が進んでおらず、街灯や民家の明かりに邪魔されることなく星空を望むことができる。下手な展望台よりも綺麗な星空が見られるはずだ。校内に明かりはほとんどなく、玄関から屋上へと繋がるルートの一つだけに灯されていた。二人きり、満天の星空の下で僕は言った。星が綺麗ですね、と。先輩は優しい。野球部の後片付けを任せられていたにも関わらず、僕一人で旗の回収は骨が折れるからとついてきてくれた。知らない間に屋上の鍵を取ってきてくれるし、扉をくぐる時は必ず扉を開けて待機してくれる。旗の回収後も、大きい方の旗は彼が持ってくれるに違いないし、鍵の返却も知らないうちに彼が行ってくれるのだろう。本当に、先輩は優しい。そんな彼を、僕は恋い慕ってしまっている。初めてこの感情に気づいた時には、全身に寒気が走った。ありえないと、そう思った。同性に恋愛感情を抱くなんて気持ちが悪い。異性にすらそういう感情を抱いたことはないのに、僕が今恋をしているのは同性。本当に気持ちが悪いと嫌悪さえした。それでも、感情には抗うことができない。彼への想いは日に日に募る。それ故に今、あんな発言をしてしまったのだが。

「おう!今日は天気も良かったしな!」

掲げられた国旗と校旗を下ろしていく。先輩はいつも校旗を選ぶ。そっちの方が重いからだ。自分の力が僕に勝っているのを知っていて、だからこそ重い方を選ぶ。本当に優しい人なのだ。

星が綺麗ですね。この言葉に込めた僕の想いに、先輩は気づかないだろう。というか、気づかないと思っているからこそ言ったのだが。最近ネットで見つけた言葉だ。『あなたは私の気持ちには気づかないでしょうね』という意味があるらしい。調べたことはすぐに忘れてしまう僕だが、この言葉だけはなぜか忘れられなかった。

「本当ですね…星明かりだけで夜道も歩けそうな明るさです」

普段見ている体感よりも大幅に大きい旗を二人がかりでたたみながら僕はそう言った。太陽の光は一切届いていないというのに、足元にうっすらと影ができるくらい明るいのである。空で輝く数多の星は、教科書で見るような写真とほとんど変わらなかった。たたみ終わった旗を抱え、冷えた手をさする。大きな旗に包まれていて見えはしないが、きっと赤くなっているだろうことは容易く想像できた。ほんのりと自分の体温を返してくれる国旗を毛布のように抱きしめながら、はーっと吐いた息は白い。早く家に帰るべきだと思い、校内へ続く扉へと足を進めた。後ろからついてくる足音がないのを不思議に思い、先輩の方を振り返る。目線の先の彼は先ほどと全く同じ場所で、じっと空を見上げていた。

「…先輩?」

彼は体制を変えず、僕に背を向けたままで言う。

「星も確かに綺麗だが…俺は、月も綺麗だと思うぞ。うん、月が綺麗だ」

先輩の見ている方角を見やる。てっきり月を見ているのかと思ったのだが、どうやら月のある方向はこちらではないらしい。花鳥風月を愛でるようには見えない先輩が称賛した月を見ようと、空全体を見回した。しかしどこにも、その太陽の代替品は見つけることができなかった。

「先輩、月なんてどこにもないですけど…」

彼は僕より背が高いので、高身長故に見えるものなのかと推測もした。だが、今日は新月だと聞いた気がする。天体の授業で、先生がそう言っていたような気がするのだ。なら、月なんて見えはしないのではないか。それを伝えようとして再度先輩を見た。彼は未だにぼんやりと空を眺めている。時々吐き出される白い息が周りの空気に紛れて薄く消えていった。目を凝らすと、真っ赤な耳が目に入る。真っ赤に熱を帯びた耳だ。単に寒さでそうなっているのだろう。普通に考えればそうなのだ。しかし僕は自惚れてしまう。僕の秘めた想いを知ったのか。自分でも嫌気が差すようなこの想いに気づいてしまったのか、と。

「せんぱ、い、さっきの…僕の…」

嬉しさ、動揺、焦り。その他にも色々な感情が混ざり合ったせいで、言葉に詰まってしまう。理解されてしまったのか。僕のこの気持ちが。伝わらないと思っていたこの想いが。あぁ、もう終わりだ。そこまで考えたところで思い出す。彼は、確かこう言った。「月が綺麗だ」と、そう言った。これは、本当に期待してもいいのだろうか。

「いや、なんだ…知識の一つとして知っていてだな…ははは…」

先輩はついに振り返って、赤くなった顔と少し潤んだ瞳を晒してみせた。目を細めていて、瞳の奥の真意は感じとることができない。数秒して彼は目を逸らして、あー…と言いながら頬をカリカリと掻いていた。

「じゃあ…先輩、その…返事って…」

わけがわからなくなって僕はそんなことを口走る。実際、頭の中はもうすでに真っ白だ。

「…もう一度言ったほうがいいか?少し恥ずかしいんだが」

そう言って先輩は照れたようにはにかむ。そんな表情は初めて見た。これが僕に向けられていることが信じられない。もう僕の脳みそは思考することをやめてしまっていて、そのくせに心臓は嫌になるくらい激しく拍動を繰り返している。頭の中では先輩の声がこだまして、月が綺麗だとか、なんとかがずっと聞こえるようだ。体は硬直してしまって、もう動かない。口は乾いて、声を出せるかどうかも怪しかった。

「…月が綺麗だ。空に月は浮かんでいなくても、俺にとっての月は今この瞬間光り輝いている」 

今までに見たことがない。どんな時よりも真剣な表情で彼はそう言った。はにかみも、照れも、躊躇もなかった。至って真剣に、僕の目をしっかりと捉えて、そう言った。やっと脳が動きを再開する。それはつまり、両想いだったということだと、今理解したのだ。

「キザすぎたか…?まったく、俺らしくないよな…」

先輩はそう言って、そそくさと屋上から去ろうとする。隣を通り過ぎる耳は真っ赤なままだ。彼が扉のノブに手をかけた。小さくガチャっという音が鳴る。その音に急かされるように、叫んでいた。

「先輩っ…!」

乾いた口を潤せないまま、懸命に声を出す。もしかすると掠れていたかもしれない。それでも、伝えたかった。勇気を出してくれた先輩に答えたかった。なによりも、好きだから伝えたかった。僕には手の届かない、それこそ太陽のような存在が、僕の近くに訪れた。

「僕、死んでもいいです」

僕と先輩の潤んだ瞳は、満天の星空と、真っ赤な耳と、緩んだ表情を映していた。

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