2、汚嬢様、恋心を爆死させる! 

 事の発端はオスカーが結婚した三カ月前まで遡る。相手は、美人だけど性格ブスと令嬢達の間では有名な女だった。ミアもそれは聞いていたが、オスカーが選んだ相手だから特に口出しはしなかったのだ。今となっては、一言忠告してあげればよかったと思う。それがどんなに失礼な男であってもだ。


 久しぶりに鍵を開けてドアを開放すると、軍服を身に着けた金髪に緑の瞳という派手な色彩持ちの男が、大きな背を屈ませてズカズカと乙女の部屋に入ってきた。そしてその男こと、幼馴染のオスカーはミアの顔を見るなり、開口一番に言いやがってくれる。


「お前、臭うぞ。何時から風呂に入ってないんだ?」


「失礼ね! 三日前には入ったわよ!」


「み、三日前だとぉ? 仮にも貴族の令嬢、お嬢様がそんな汚くてどうする! 寝間着がしわしわのボロボロなら頭もボサボサ。婚約者に捨てられたからと言って、このオレの前に立つのなら女まで捨てるんじゃない!」


「うるさいわね! 別にあんたに関係ないでしょうが! そりゃあ、引き籠ってわが身の不幸を嘆いてたんだから、身形もボロボロになるでしょうよ! 私の心はズタズタなの! 少しは不幸な目に遭った幼馴染を慰めたらどうなのよ!!」


「慰めてほしかったら色気のないその恰好をどうにかしろ! 臭いわ、みすぼらしいわ、痩せっぽっちだわ。欲情する気にもならん!」


「まっ! お下品ですこと! あんただって奥様に逃げられたくせに!」


「お前なんぞ、汚れたお嬢様──汚嬢様で十分だ!」


「はぁん!? 汚、汚嬢様ですってぇ!? この成金将軍!」


「あぁん!? 誰が成金将軍だ! 全てこのオレの実力だ!」


 下らない口喧嘩をしていたら、息が切れて来た。久しぶりに大声を上げたせいだろう。ぜぇはぁと呼吸をしていたら、罵っていた相手にぎこちなく背中を撫でられた。


「痩せた体で怒鳴るからだ、まったく……とにかく風呂に入れ! 食事もしっかり取ってもらうぞ。話はそれからでも出来る」


「汚い私の身体に、はぁ、触っても、はぁ、いいの?」


「別に何とも思わん。汚れてるなら洗えばいいだろうが。やつれたお前と口げんかで勝った所で嬉しくもない。ばあやさん、こいつを全身洗い上げてやってくれ」


「えぇ、えぇ、汚嬢様を元のお嬢様にお戻しいたしましょうね」


「ばあやまで、もうっ」


 気付けばミアは笑っていた。オスカーと怒鳴り合ったせいか、なんだか気分がすっきりしてしまったのだ。ついさっきまで世界で一番不幸になった気がして嘆いていたことが、馬鹿馬鹿しく思えた。



 * * * * * * 



 侍女に全身磨き上げられてオイルを塗り込まれたミアは、久しぶりにしっかりとドレスを身につけた。一月引き籠って良かったことがあるとすれば、痩せてウエストが細くなったことだろう。コンプレックスだった丸顔も以前よりほっそりとした気がするのは、嬉しいことだった。


 客室のドアを開けると、屈強な身体をソファに落ち付けたオスカーが視線を向けてくる。しげしげと全身を眺められて、ミアは言葉の攻撃から身を守るように両手を拳にして前に構えた。


「なによ? ちゃんと着替えたから文句はないでしょ?」


「いや……身なりを整えるとよくわかるな。女らしさの欠けた身体が痩せて更に子供っぽくなった。はっ、まさに不健康そのものだな」


「いつもいつも、あんたは一言余計なの! そりゃあ、あんたの奥様に比べたらガラスと宝石くらいには違うわよ。でもね、私なら結婚相手に不誠実なことは絶対にしないわ!」


 腕を組んで胸を張ってこれ以上ないほど堂々と言ってやる。確かに彼女の方が色気はあったし、羨ましいくらいに魅惑の身体つきをしてはいた。けれど、夫を裏切り、人の婚約者を奪うような浅ましい女と比べられるのは、心底不愉快だ。


 眉を吊り上げて睨んでやると、オスカーが呆れたように半眼を向けて来た。


「誰もガラスとまでは言っていないだろう。そもそも、あの女とお前を比べるべくもない。お前があんな女と同類ならとっくに付き合いは切っている」


「あら、一応友人として思ってくれていたわけね?」


「……まぁな」


「ふふっ、なぁにその顔。照れているのかしら?」


 そっぽを向いて腕を組む男をからかってやると、憮然とした顔に赤みが差す。叩き上げの軍人らしく逞しく大きな身体をしているのに、そういう表情をされると猛獣の虎が猫に変わったような可愛げがある。いつも尊大な態度ばかり目につくが、オスカーは直球の好意に弱いのだ。


「誰が照れるか! そんなことよりもさっさと食え。軽食をばあやさんが用意してくれたぞ」


「随分とはりきって用意してくれたようね。一緒に食べてちょうだい。今の私が一人で食べるには多過ぎるわ」


「ふん。手のかかる女だな」


 文句をいいつつも、オスカーはテーブルの上に用意された軽食を摘んでいく。ミアにはちょうどいい大きさのサンドウィッチも、彼の手に乗ると小さく見えるのだから面白い。


「それで? 私の元婚約者とあんたの奥様が駆け落ちしたっていうのは本当なの?」


「元奥様だ。あの馬鹿共、よりによって近場の相手に手を出すとはな。虫より脳みそが小さいんじゃないか? それにお前の場合は契約上は今も婚約したままになっている」


「はっ? どうしてよ?」


「婚約破棄の決まりごとを忘れているな? 女の場合は、当事者双方の同意の署名がないと破棄は出来ない決まりだ。男側の申し出では署名の必要はない。その代わりに婚約も婚姻も不貞の証拠があり、さらに神殿に認められた場合、第三者の立ち合いの元、可能にはなるが」


「つ、つまり……ジョルは駆け落ちしたあげくに、私に婚約破棄の署名も置いていってくれなかったの……?」


「そうなるな」


「あの、男はぁぁぁぁっ!!」


 あっと言う間にサンドウィッチを食べ終えたオスカーが平然と頷く。その瞬間、ミアの恋心は爆死した。代わりに燃え盛る怒りが心に点火する。拳を握って立ち上がったミアは怒りのあまりに立ち眩みを起こして倒れかけた。即座に回り込んだオスカーの手が背中を支えてくれる。


「いきなり倒れるな! 頭にくるのはわかるが、落ち着け」


「ふーっ、ふーっ」


「猫か。まぁ、普通なら婚約破棄の意志を示した署名くらいは残すのが、相手に対する最低限のマナーだからな。そんな当たり前のことさえしていないとは、いくらお前でも考えつかなかったか」


「……ちょっと待って。あんたさっき元奥様って言ったわよね!? ということは、あんたはもう離縁が成立しているってこと!?」


 ぐいっとオスカーの胸元の服を両手で掴む。二人の身長差から襟に届かなかったのだ。それでも悪鬼も裸足で逃げだす気迫を込めて返答を迫るミアに、オスカーは憎たらしい笑顔を見せた。


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