涙の水溜まり
真白涙
1 ディ〇ニーで大人になったことを実感した夏
大学四年生、夏。人生最後のモラトリアムin Summer。
自由気ままに青春を謳歌することが許される学生最後の夏。
卒業に必要な単位は全て取り終え、なんとか就職活動も納得のいく着地点にたどり着き、私は学生最後の夏を謳歌するべく、ディ〇ニーシー(固有名詞出すの怖いんで伏字にしときます。モロバレだけど)へ来ていた。
なぜディ〇ニーシーで夏?と思われる人が多いと思うので簡単に説明
・そもそも私はディ〇ニーが好き。特にシーが好き(一昨年のハロウィンでハマった)
・コロナの影響で夏らしいこと、海やBBQや夏祭りやゼミの夏合宿など全ての行事がなくなって鬱憤が溜まっていた
主な理由はこの二つ。華の女子大生最後の夏だというのに、夏らしいことが何もできてない!クソ熱い夏は大っ嫌いだけど、何か夏らしいことがしたい!!という一心で七月下旬ディ〇ニーシーチケット大人2枚分を、購入サイトで五十分粘って無事チケット戦争に勝利した。
(現在、東京ディ〇ニーリゾートでは指定日チケットを約一か月前から販売しています。9月現在は割とチケット取りやすそうです)
とりあえずチケット2枚を取ったはいいものの、誰と行くかは決めてなかった。まず最初に「いつか一緒にシー行きましょうね」と口約束をしていたバ先の年の近い主婦さんに声をかけたら、チケットを取ったその一週間だけ都合が悪いとのこと。
次に、これまでも何度かディ〇ニーに行っている大学の友達Mちゃんに声を掛けたら二つ返事で一緒に行くことが決まった。(ありがとうMちゃん)
二人で一か月前から計画を立て、どうせならということで女子大生の今しかしないであろうお揃コーデをすべくミッキーのTシャツを事前に購入した。
そもそも私は熱烈なディ〇ニーファンではない。年パスは持ってないし、パーク内を歩いて豆知識を披露するほど詳しいわけじゃないし、ディ〇ニー映画を全て網羅しているわけでもない。名前のわからないキャラクターもいる。
Dオタを名乗れるほどお金をつぎ込んでいるわけではない。
私のディ〇ニーに求めるものはこんな感じ。
『アトラクション>>>>>ショー&パレード>>>ご飯>>>グリーティング』
(この四種類以外にもコンテンツは多くあると思いますがキリがないのでご了承下さい)
アトラクション命。一つでも多く乗ることこそが正義、スタンバイが長いものはいかにうまくファストパスを取るかが一日の満足度を左右する。と言っても過言ではない、というタイプの人間。
これは私の守銭奴と効率厨な部分が大きく反映された結果だと思う。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけれど、ディ〇ニーで遊ぶにはお金がかかる。夢の国でリアルマネーの話はご法度だけれど、パークチケットは年々上昇しているし(人件費や設備費など色々あるよね)、お小遣いやバイト代でやりくりしている学生はチケット代だけで普通に高いと感じてしまう。
ではどうするか。答えは簡単、ご飯を食べないのである。
パークフードはそこそこお値段がする。夢の国でのご飯、というシチュエーション料込々と考えれば妥当なところなのかもしれないけれど、中学生や高校生の頃はめっちゃ高いと思っていた。
一万円札が超が付くほどの大金だったあの頃は、一日遊んだだけでそれが消し飛んでしまうことがとにかく恐ろしかった。(それでも行きたい、遊びたいと思えるディ〇ニーすごい)
もちろん、チケットは一日券を購入して開園から閉園まで遊び倒すのが鉄則。開園直後は並ばずにアトラクションへ乗れるので人気なアトラクションへ走らず向かい、そこから近くのアトラクションを攻めていく。
ご飯は極力食べない。何故ならお金と時間がもったいないから。食べたとしても、ワゴンで売られている比較的安いものを買って、並びながら食べる、というような『いかにアトラクションに乗るか(欲求一位のコンテンツを楽しむか)』という感じだった。
特にショーやパレードをやっている時間帯はアトラクション人口が減るのでそのタイミングで列が短くなったアトラクションに並ぶ、なんてこともしていた。
びっくりするくらいぎっちぎりのスケジュールで、ほぼ休むことなく遊び倒す。なんでこんな余裕のない楽しみ方をしていたかというと、子どもなので体力・気力はあるのにお金がないから。
正直、この頃は『夕方からパークに入って、ご飯を食べてアトラクションは2個くらい。疲れたから閉園前にはパークを出る』という大人が心底理解できなかった。なんでそんな勿体無いことをしているんだろう、とさえ思っていた。
話題は今に戻る。
八月下旬のディ〇ニーは、感染リスク低減のためにあらゆる取り組みが行われていて密にならないようにショーやパレード、グリーティングの他一部のアトラクションやレストランは休止していて必然的に楽しめるコンテンツの数が限られていたこともあり、私とMちゃんはまずはじめに
・動いているアトラクション中心で回ること
・人が制限されていて少ないし、アトラクションも限られているので写真をいっぱい撮ること(だからお揃Tシャツ)
を決めていた。
けれども、それ以外にも何かしたい。特別な何かがしたい……と。動画サイトでディ〇ニーの動画を漁って、辿り着いたのはレストランだった。
ディ〇ニーは今の時期、テーブルを事前予約制にしているレストランがいくつかある。当然ながら、パークフードの中でも価格が高いレストランのみ。
これまで基本的にはワゴンのご飯、偶に一食だけフードコート式(?)のカフェ系のところでしか食事をしていない私にとって、安くないチケットを買い、アトラクションを楽しめる時間をわざわざレストランを予約して良いご飯を食べる、ということはもうめちゃくちゃ贅沢なこと。
特別なこと……これだ!となり、Mちゃんに相談したところMちゃんも快諾してくれたので、当日券でレストランを予約した。
そして待ちに待ったディ〇ニーシー当日。茹だるどころかヘタをしたら体調が悪くなるレベルの天候の中、日傘とハンディ扇風機を片手にディ〇ニーシーへ。
これまでは次に乗るアトラクションを考えながらもパークを練り歩き、スタンバイで並ぶ時間やFPを考えに考えた上で速足になりながら最も効率的な回り方を考えていたというのに、朝からゆったりとした歩みで景色を楽しみながらまるで散歩をするようなのんびりとした足取りでパークを回ったり、景観の良いところで立ち止まって写真を撮ったりした。
入場制限を行っているので人は少なく快適で、急がずともアトラクションに乗りやすかった。のんびりパークを楽しみつつ、当日予約でレストランを取ることができたのでお昼ご飯はレストランへ!
ついにレストラン(運河沿いにあるイタリアンのあのお店)へ。とても熱かったので店内席でオススメのコースを選択。コースは三品あり、前菜のプレートとメインのパスタそしてデザートというコース。
最初に前菜のプレートが来た。店員さんが説明してくれるものの、横文字が多すぎて6割くらいしか理解できない。とりあえずフォークとナイフで食べ始める。美味しい、美味しいのだけれど語彙力がないのと何を食べているのか6割しか理解できていないこともありうまく表現ができないという事態。二人して醤油の味がすればなんでも美味しいと思える幸福な舌の持ち主なので美味しいと感じるものの、どのように美味しいのか?と尋ねられると大変困る。
しかも、プレートの上に絵画のようにあしらわれたソースはそもそも食べていいものなのか、キッシュやエビのフリッターなどどれにつけて食べるのが正解なのかわからない始末。言えることは一つだけ、高級な味がして美味しかったです。
次はパスタ。私はイカスミのものを、Mちゃんはカルボナーラを選択。イカスミパスタだったのでソースにイカスミを使っているのかと思いきや、麺に練りこまれているスタイルでお歯黒にならずに食べられる仕様だった。流石ディ〇ニークオリティ。
最後のデザートはミッキーをモチーフにしたババロア(?)みたいなものでこれも美味しかった。どの品もすべてお皿は白、パスタに至っては麦わら帽をひっくり返したような形をしておりパスタが盛られている面積よりも周囲の何もない面積の方が多く、Mちゃんと「なるほど……これがレストランも盛り付け」(byお皿には盛れるだけ盛る庶民のセリフ)感激していた。
その後は人の少ない通りでジャケ写のような写真を撮って遊んだり、ちょうどいいアトラクションに乗ったりとディ〇ニーを楽しんでいた。
そして、陽も暮れだした19時(その時は閉園時間が20時だった)二人で人気のないベンチに座って相変わらず写真を撮ったり、お茶を飲んだりして過ごして、帰る決断をした。
いや、普通のことでしょ。と思われる方もいるかも知れないが、私たちの遊び方と言えば開園から閉園までフルで、ノンストップでアトラクションに乗りまくるような生き急ぐ遊び方しかしてこなかった。高い入園料を払っているのに最後までいないなんて馬鹿(誇張だけどそういう考え方だった)とさえ思っていた。
閉園まで一時間もある。乗ろうと思えばアトラクションにまだまだ乗れるしお土産をみつくろうのにも十分な時間がある。じゃあ、なんで帰ろうと思ったのか。
それは疲れていたから。
朝から炎天下の中歩き回った。コロナ自粛の影響で大学の授業は全てオンラインになり、私もMちゃんもバイトくらいでしか外に出なくなっていた。
ガラガラのエントランスを抜けて駅へ戻りそのままサイゼ〇ヤへ。
ドリンクバーからとりあえず野菜ジュースを取ってきては、あのディ〇ニーから閉園前に余裕を持ってあっさり出てきた自分に驚いていた。
夏らしいことはできたし、存分に楽しめたし満足だったけれど、あの頃とは明らかに異なった遊び方。理由は簡単で、あの頃よりもお金に余裕ができて、体力がなくなったから。
あの頃は、収入源は少ないお小遣いで五百円玉は大金だったし一万円なんて崩すのが怖いくらいだった。百円単位で高い、安いと計算してはお財布の中身と常に相談していた。
お金はないけれど、体力だけはあったのでチケットは一日券を買ってオープンからクローズまで遊び倒す。ご飯は極力食べない。それで楽しく遊べたし、空腹なんてアトラクションに乗っていれば誤魔化せた。
だけど、今回遊んで思い知った。アルバイトであの頃よりはお金に余裕がでてきた。だからご飯をレストランにしたし、一時間早くパークを出ることも厭わなかった。けれど各自に体力は落ちている、体力というか元気や気力というものが減っている。疲れたからパークを出よう、今日乗れなかったアトラクションもあるけれど、また今度来たときでいいか。
そう、ディ〇ニーにまた来た時、という選択肢があるようになった。
お金に余裕ができて、体力がなくなって遊び方が確実に変わった。
エントランスに向かう道すがら、Mちゃんと「いつかミラ〇スタに泊まりたいよね~」なんて話していた。閉園前にホテルに入って、夜のショーをホテルから見る。チケット代に加えホテル代も払っている訳だから当然、お金がかかる。
でも、私はきっと近い将来それをやるんだと思う。来年の春から社会人になるから収入は確実に増える。
それが例えディ〇ニーじゃなくても、そういった類の贅沢をするんだと思う。
一日券よりもコスパの悪い時間帯のチケットを購入して、アトラクションにはあまり乗らずにご飯を食べて帰るとか、オープンから入るものの早々にホテルに入るとかそういうことをするようになるんだと思う。お金はあるけど、体力はないから。
『お金はないけど体力はある』から『お金はあるけど体力がない』になっていく。
多分、これが子どもから大人になっていくということの一つなんだなぁ、と思いながらドリンクバーのお代わりに行った。
涙の水溜まり 真白涙 @rui_masiro
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