欠落を補う
宝山の裏手にある森。風の音も聞こえてこない一角に、ざく、ざく、と音が刻まれていく。紀定が
狸たちが戦っている間、妖雛二人と紀定の三人は、こちら側に
「紀定さーん、完了いたしましたぁ」
掘り終え、穴から出てきたところに、緩く間延びした声が掛けられる。見れば、鬱蒼とした森から、笑顔の志乃と犬の面を外した芳親が戻ってきていた。追跡していたと思わしき、鼬の亡骸を三つ、携えて。
物騒極まりないものを持っていながら、妖雛たちの様子は通常と何ら変わらない。凶暴化していたとはいえ、物の怪ですらない妖獣の相手は、彼らからすれば軽い運動と大差ないのだ。返り血すら浴びていない姿が、圧倒的な力量差を物語っている。
「……これで、最後」
「任務はこれで終わりですが……いささか物足りませんねぇ。速さは申し分なかったですが、
笑いながら、志乃は奇妙に浮かれた調子で言う。未だに
ずっと変わらない態度に、「駄目です」と紀定が
「
「はい。それはもちろん承知しておりますし、
応じる志乃は物言いこそ丁寧だが、深められた笑みは戦闘狂が浮かべるものに似て、
「……それは、僕も、分かる。……紀定も、分かる、でしょ? ……
「無論、存じ上げておりますが、さすがに礼を欠いています。そういった部分を、この旅で
妖雛は好戦的な性格をしている者がほとんどで、鬼のように血の気が多い妖怪の部分を持っていれば、殺し合いこそ
しかし、紀定はこの理由を承知していても、完全な人ならざる相手に恐れを抱いていても、殺しに軽薄な態度を取ることを是とはしない。絶対に。
「話をしたいところですが、今はまず、彼らを
「え……お説教、ですか」
血に酔っているかのような顔から一転、鬼の少女は顔を引きつらせた。恐れているのは中谷の説教だけとはいえ、説教自体も苦手ゆえに。それは芳親も同じで、黙って紀定から目を逸らしている。
「たとえ直武様が構わなかったとしても、私は許容できませんので。……お二人とも、必ず、必ずお話をさせていただきますからね?」
二度繰り返してから、にっこり、紀定は怒気を潜ませた笑みを浮かべる。察して顔を逸らす妖雛たちに、純粋無垢なのか厚顔無恥なのか分からないと、内心では首を傾げながら。
「さ、私から目を逸らすのもそれまでにして。弔事をいたしますよ、お二人とも」
促されると、妖雛二人は素直に塚へ顔を向ける。しばしの黙祷を挟んで、紀定が
「――
目を閉じたまま、合掌した指先を眉間に当て、次いで地中の亡骸へと向ける。弔意を亡者へ届けるためだ。
さすがの志乃も笑みを引っ込め、神妙な顔をしているが、弔意と呼べるものを持ってはいない。やらないことが失礼だから形をなぞる、ただそれだけ。
「……はあ」
何も乗せず、綺麗に揃えただけの指先を見て、志乃は思わずため息をついていた。けれどすぐ、我に返った声を落とす。
「すみません。今のため息は完全に不謹慎でしたね、俺でも分かります」
「……どうなさったのですか?」
紀定の
心持ちはともかく、礼儀作法はしっかりと身に付けている志乃が、人前でため息をつくことはあまりない。彼女は憂い悩むこと自体が少ないようだし、愛想笑いを貼り付けているのが常なことから、暗い気分を人前に出すことは避ける性質と見受けられる。だからこそ、紀定の気にかかった。
芳親にも顔を覗き込まれ、志乃は目線を泳がせつつ
「……俺には、他者を
困ったように笑んで言う少女に、弔意が無いようには見えない。だが、外からは見えないだけ。彼女の中身は未だ妖怪のそれで、人としての情は空っぽのままだ。
「今までは気にしていなかったので、今回も忘れようかと思ったのですが、何だか妙に落ち着かず……。さっきのため息は、そのせいかもしれません」
言ってから、志乃は内心首を傾げる。今まで何ともなかったのに、一体どういうことなのか。
夜蝶街で見回り番の仕事をしていた時、命を奪うに等しい行為をしなければならない呪詛絡みの任務はあったし、終われば弔いもしてきた。弔事に
「……史継を、怒らせた、から?」
急に思考を言い当てられて、志乃の肩が跳ねた。
「なにゆえ、俺が史継さんを思い浮かべているとお分かりに?」
「……繋がりそうな、こと……それくらいしか、なかった、から」
何てことなさそうに、無表情で芳親は続ける。動かない顔の中で、前髪や面に守られた目が、鮮やかな色合いを浮かべている。
「……妖怪は、誰が、死んでも……自分が、死んでも、どうだって、良い。……だから、妖雛には、悼むことを、知らない人も、いる。……僕も、そうだった、し……今も、まだ、そういうところ、ある」
いつものように訥々と語る彼は、しかしいつにも増して人間味が薄い。早くも翳りが戻った牡丹色の目には、志乃とよく似た空虚が潜んでいる。
「……それを、どうにか、するための、旅。……だから、答えが、まだ、見つからなくても……気にするのは、正しい、と思う。……どう、紀定?」
流れるように問われたが、紀定は戸惑うことなく「ええ」と頷いた。
「今の志乃殿は、ご自身に悲哀を元とする気持ちが無いことを問題視しておられる。それは良い変化なのではないでしょうか。直武様が貴女を旅に同行させていらっしゃるのも、芳親殿が言った通り、そういった心境の変化を望んでのことですし」
「ふむ。……では、とりあえず良しとしておきましょう」
暢気な笑みが少女の顔に戻ってくる。人としての欠落を覆い隠すかのように。紀定は苦笑を浮かべるが、芳親は考えが窺えない能面を、再び被ってしまっていた。
任務を終えた若人たちは、宝山へと戻っていく。途中で紀定が説教を思い出させると、意気揚々としていた妖雛たちは、分かりやすく進みが遅くなっていた。
説教を恐れたり、食べ物を分かち合ったり。そういう反応は、人間と何ら変わらない。けれどこの二人は、無情の空白も内包している。操られ負傷している相手を、喜色の面を被ったまま、始末してしまえるような。
紀定は妖雛二人に差す陰、奥深くに潜む
志乃と芳親を急かし促す傍ら、紀定は静かに思いを巡らせる。誰かと共に生きていくため、学ばなければならない二人に、自分は何をしてやれるだろうか、と。
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