欠落を補う

 宝山の裏手にある森。風の音も聞こえてこない一角に、ざく、ざく、と音が刻まれていく。紀定が苦無くないで土を掘り起こす音だ。

 楕円だえんの形に掘られていく穴の傍には、こんもりと土が盛られた場所がある。彼が作った、いたちを埋めるための墓だった。

 狸たちが戦っている間、妖雛二人と紀定の三人は、こちら側にひそんでいた鼬十五匹を始末するべく動いていた。最初の一匹――三匹が集合して一匹となっていたのだが――を三人がかりで倒した後は、志乃と芳親がそれぞれ別れて残りの十二匹を処分。紀定が遺骸を回収して埋葬していた。


「紀定さーん、完了いたしましたぁ」


 掘り終え、穴から出てきたところに、緩く間延びした声が掛けられる。見れば、鬱蒼とした森から、笑顔の志乃と犬の面を外した芳親が戻ってきていた。追跡していたと思わしき、鼬の亡骸を三つ、携えて。

 物騒極まりないものを持っていながら、妖雛たちの様子は通常と何ら変わらない。凶暴化していたとはいえ、物の怪ですらない妖獣の相手は、彼らからすれば軽い運動と大差ないのだ。返り血すら浴びていない姿が、圧倒的な力量差を物語っている。


「……これで、最後」


 つぶやきと共に三匹が穴の中に寝かされると、紀定が土を掛ける。妖雛二人も苦無を借りて手伝い、三つ目の塚を作り上げた。


「任務はこれで終わりですが……いささか物足りませんねぇ。速さは申し分なかったですが、もろすぎました」


 笑いながら、志乃は奇妙に浮かれた調子で言う。未だにくすぶっている戦意が、青白い目を爛々らんらんと輝かせていた。

 ずっと変わらない態度に、「駄目です」と紀定が諫言かんげんを叩きつけた。不謹慎に見えることもあって、思わず声音が鋭くなっている。


沢綿島さわたじまのことは、沢綿島の狸の皆様が解決すること。私たちは助力をするのみです」

「はい。それはもちろん承知しておりますし、麗部うらべの旦那や団史郎殿に命じられた以上のことをするつもりはありません。ですが……やはり、喧嘩をするのなら派手にやりたいのですよ、俺は」


 応じる志乃は物言いこそ丁寧だが、深められた笑みは戦闘狂が浮かべるものに似て、恍惚こうこつとしたような色すら混ざっている。人外の側面が露呈ろていしてしまっている少女に、紀定は視線も鋭利に尖らせた。


「……それは、僕も、分かる。……紀定も、分かる、でしょ? ……妖雛僕たちは、こういう存在、なんだから」

「無論、存じ上げておりますが、さすがに礼を欠いています。そういった部分を、この旅で矯正きょうせいすることも目的ではありますが、当人に意識が無ければ直るものも直りません」


 擁護ようごするような芳親の言葉にも、紀定は毅然きぜんと断言を返した。

 妖雛は好戦的な性格をしている者がほとんどで、鬼のように血の気が多い妖怪の部分を持っていれば、殺し合いこそ享楽きょうらくとなる。

 しかし、紀定はこの理由を承知していても、完全な人ならざる相手に恐れを抱いていても、殺しに軽薄な態度を取ることを是とはしない。絶対に。


「話をしたいところですが、今はまず、彼らをとむらいましょう」

「え……お説教、ですか」


 血に酔っているかのような顔から一転、鬼の少女は顔を引きつらせた。恐れているのは中谷の説教だけとはいえ、説教自体も苦手ゆえに。それは芳親も同じで、黙って紀定から目を逸らしている。


「たとえ直武様が構わなかったとしても、私は許容できませんので。……お二人とも、必ず、必ずお話をさせていただきますからね?」


 二度繰り返してから、にっこり、紀定は怒気を潜ませた笑みを浮かべる。察して顔を逸らす妖雛たちに、純粋無垢なのか厚顔無恥なのか分からないと、内心では首を傾げながら。


「さ、私から目を逸らすのもそれまでにして。弔事をいたしますよ、お二人とも」


 促されると、妖雛二人は素直に塚へ顔を向ける。しばしの黙祷を挟んで、紀定が弔詞ちょうしを挙げた。


「――御魂みたまが暗き地に抱かれて休み、願わくは再び明るき地へ流れつかんことを」


 目を閉じたまま、合掌した指先を眉間に当て、次いで地中の亡骸へと向ける。弔意を亡者へ届けるためだ。彩鱗国いろこのくにで果てた者は、等しくこうして弔われる。異国から伝来した異教を信仰していても、異国出身者であっても。

 さすがの志乃も笑みを引っ込め、神妙な顔をしているが、弔意と呼べるものを持ってはいない。やらないことが失礼だから形をなぞる、ただそれだけ。いたむ気持ちが無い時点で、既に礼を欠いているのだが、どうしようもないことだ。


「……はあ」


 何も乗せず、綺麗に揃えただけの指先を見て、志乃は思わずため息をついていた。けれどすぐ、我に返った声を落とす。


「すみません。今のため息は完全に不謹慎でしたね、俺でも分かります」

「……どうなさったのですか?」


 紀定の柳眉りゅうびがひそめられる。いぶかしむというよりは、憂慮ゆうりょが濃い表情が浮かんでいた。

 心持ちはともかく、礼儀作法はしっかりと身に付けている志乃が、人前でため息をつくことはあまりない。彼女は憂い悩むこと自体が少ないようだし、愛想笑いを貼り付けているのが常なことから、暗い気分を人前に出すことは避ける性質と見受けられる。だからこそ、紀定の気にかかった。

 芳親にも顔を覗き込まれ、志乃は目線を泳がせつつうなった後、「少しお待ちを」とあごに手を当てた。短いながら時間をかけて、説明を組み立てる。


「……俺には、他者をおもんぱかる気持ちですとか、悼み弔う気持ちがありません。そもそも、それに通じるだろう『悲しみ』がかなり薄いようなので、相手がそう思っていても分かりません。ですので、こういう時は、どうしたらいいのか分からないのです」


 困ったように笑んで言う少女に、弔意が無いようには見えない。だが、外からは見えないだけ。彼女の中身は未だ妖怪のそれで、人としての情は空っぽのままだ。


「今までは気にしていなかったので、今回も忘れようかと思ったのですが、何だか妙に落ち着かず……。さっきのため息は、そのせいかもしれません」


 言ってから、志乃は内心首を傾げる。今まで何ともなかったのに、一体どういうことなのか。

 夜蝶街で見回り番の仕事をしていた時、命を奪うに等しい行為をしなければならない呪詛絡みの任務はあったし、終われば弔いもしてきた。弔事にのぞんだ際の態度を咎められ、非難されたこともある。ちょうど、胸倉を掴んできた時に、史継がしていたような顔をされて。


「……史継を、怒らせた、から?」


 急に思考を言い当てられて、志乃の肩が跳ねた。咄嗟とっさに芳親の方を見れば、牡丹色の瞳が、じっと志乃を見ている。


「なにゆえ、俺が史継さんを思い浮かべているとお分かりに?」

「……繋がりそうな、こと……それくらいしか、なかった、から」


 何てことなさそうに、無表情で芳親は続ける。動かない顔の中で、前髪や面に守られた目が、鮮やかな色合いを浮かべている。


「……妖怪は、誰が、死んでも……自分が、死んでも、どうだって、良い。……だから、妖雛には、悼むことを、知らない人も、いる。……僕も、そうだった、し……今も、まだ、そういうところ、ある」


 いつものように訥々と語る彼は、しかしいつにも増して人間味が薄い。早くも翳りが戻った牡丹色の目には、志乃とよく似た空虚が潜んでいる。


「……それを、どうにか、するための、旅。……だから、答えが、まだ、見つからなくても……気にするのは、正しい、と思う。……どう、紀定?」


 流れるように問われたが、紀定は戸惑うことなく「ええ」と頷いた。


「今の志乃殿は、ご自身に悲哀を元とする気持ちが無いことを問題視しておられる。それは良い変化なのではないでしょうか。直武様が貴女を旅に同行させていらっしゃるのも、芳親殿が言った通り、そういった心境の変化を望んでのことですし」

「ふむ。……では、とりあえず良しとしておきましょう」


 暢気な笑みが少女の顔に戻ってくる。人としての欠落を覆い隠すかのように。紀定は苦笑を浮かべるが、芳親は考えが窺えない能面を、再び被ってしまっていた。

 任務を終えた若人たちは、宝山へと戻っていく。途中で紀定が説教を思い出させると、意気揚々としていた妖雛たちは、分かりやすく進みが遅くなっていた。

 説教を恐れたり、食べ物を分かち合ったり。そういう反応は、人間と何ら変わらない。けれどこの二人は、無情の空白も内包している。操られ負傷している相手を、喜色の面を被ったまま、始末してしまえるような。


 紀定は妖雛二人に差す陰、奥深くに潜むいびつを捉えていた。芳親の歪は、徐々に改善されていくのを間近で見てきたこともあって、そこまで問題視はしていない。だが、志乃の歪は警戒せざるを得ない。まだ本人が自覚すらしていない以上、その実情もまた不明瞭なのだから。

 志乃と芳親を急かし促す傍ら、紀定は静かに思いを巡らせる。誰かと共に生きていくため、学ばなければならない二人に、自分は何をしてやれるだろうか、と。

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