夜の森にて

 転送陣を応用した出入り口を開け、団史郎と直武一行は屋敷から宝山に移動する。繋げられた場所は、岩盤をくり抜いて作られた広い空間だった。

 太い柱とはりで支えられた空間の中心には、一枚岩をそのまま使ったらしい卓が鎮座している。ずっしりと重厚な存在感を放つそれの横には、史継と他数人、人間の姿をした狸たちの姿があった。


「お、親分?」


 こちらに気付き、史継は裏返った声を上げたが、物々しい気配を察知して、すぐに顔を引き締める。


「数百年ぶりの侵入者が現れた。正門を閉じ、臨戦態勢を整えろ」


 よく通る太い一声の確証を受け取れば、纏う空気をすぐさま張り詰めさせ、素早く動き出した。史継は報告に来ていたうちの一人を連れ、この場からせり出している見張り台へ。近くにいた他の狸たちは獣の姿に変化し、四方八方へ走り出して行く。

 まもなく、見張り台から甲高い鐘の音が、急き立てるように鳴り響いた。


「侵入者あり! 侵入者あり! 正門を閉じ、態勢を整えよ!」


 次いで響き渡るのは、迫力を伴った史継の声。にわかに下界が騒がしくなるが、動揺ゆえではなく忙しなさゆえに、だ。

 日ごろから訓練を重ねている狸たちは、人と獣の姿を器用に使いこなし、閉門や配置、必要な物資の運搬を潤滑じゅんかつに行っていく。彼らの動きを見ずとも分かっている団史郎は、直武一行と共に一枚岩の卓に着いていた。


「芳親、志乃。早速ですまんが、巡回役の狸たちを回収してくれ。二匹がまだ出ているはずだ。それから史緒も探してほしい。ここにいないのなら、まだ外にいるかもしれん」

「了解しましたぁ」


 狸たちとは反対に、志乃はにこにこと暢気な態度で承諾する。芳親は犬の面を正面にずらして被りながら、無言で首肯した。

 二人は史継たちと入れ替わるようにして見張り台へ走り出ると、勢いのままに空中へ飛び出す。その足元へ、すぐさま牡丹が咲いた。芳親が空中に咲かせた牡丹の足場は、二つの道となって正門の先まで伸びていく。

 牡丹の道を駆け抜け、とりでを飛び越えると、妖雛たちは閉じられた門の前に着地した。この島にいる狸の気配をしっかり覚えた二人は、巡回役と思わしき狸たちの気配はもちろん、異物の気配も容易に察知している。


「前方の森に気配がありますね」


 志乃が確認すると、芳親が再び無言の頷きを返した。素早さが求められる状況下では、ゆったりとした独特の口調は不便なため、犬面の彼は寡黙を貫いている。

 それ以上の言葉を交わすことなく、視線を合わせることもなく、二人は疾走を再開する。夜の森という地理など、悪条件にすらならない。道なき道を狭める生い茂った枝葉も、うようにすり抜けて、妖雛たちは疾駆しっくする。巡回役の狸たちの気配がする場所へ、一直線に駆けていく。

 間もなく二人は、少し開けた場所に到着し――同時に、一匹の狸が地面に倒れ込むのを目撃した。


「史緒さん!」


 目に痛いほど赤い裂傷を負った、赤茶の毛並みの小柄な狸。志乃は姿の特徴を認めるより前に、名前を叫んでいた。妖怪の体に慣れる過程で、気配を元に、人間や妖怪の判別もできるようになっている。


『あ、あんたたちは……』


 史緒の後ろ、妖雛二人の前にいた狸のうち、片方が振り返る。彼らは史緒と妖雛たちに挟まれる形となっていた。


『てめぇ、何しやがる!』


 振り返らなかった方の狸は、前方に向かって吠える。倒れた史緒の先には、赤く染まった牙をむくいたちが身構えていた。

 あの鼬こそ、侵入者に間違いない。

 見開いた青白い目で認めた刹那、志乃は腕を上げる。その指先からバチリと音がして、閃光がほとばしった。繰り出せるようになった妙術、空気を横断する雷が、蛇のようにうねりながら鼬に襲い掛かる。


『シャアッ!』


 鋭い声を上げ、鼬は持ち前の素早さで閃光をかわした。代わりに、先ほどまで鼬が立っていた場所が焦げている。

 間髪入れず、志乃は続けざまに雷を放っていく。妙術を繰り出す動作はまだ洗練されておらず、相手が木々の隙間に逃げ込んでしまうこともあって、当たりそうな様子すらない。だが、志乃の目的は命中ではなかった。その証拠に、雷は宝山とは逆方向へ、鼬の位置をずらしていく。

 志乃が相手を引き付けている間に、芳親が史緒の傍らに駆け寄り、膝をついていた。すぐさま咲かせた牡丹を史緒に被せ、かごに入れるかのように包み込む。


「少しは、傷、癒せる」


 普段よりもぎこちなさそうに、けれども早口に言い、芳親は牡丹ごと史緒を持ち上げる。次いで短く「避難指示」と伝えると、狸たちはすぐに頷いた。


殿しんがりは俺にお任せを。行きましょう」


 鼬に目を留めたまま言う志乃に、沈黙の肯定が返され、先に芳親たちが駆け出した。遅れて志乃も、鼬に威嚇の雷を連撃しつつ後退していく。


『ギィィィ……』


 阻まれた鼬の、忌々しげな唸り声。木立を利用することができるとはいえ、志乃を突破することは難しいと判断したのか、前進することを戸惑っているようだ。血走った目で睨むだけに留めている。

 警戒を続けたまま、一団は砦まで走る。四足で全力疾走する狸たちに、妖雛二人は少しも後れを取ることなく並走した。来た時と同じく、視界が悪いのも気にせずに突き進んでいく。


「先ほどの鼬は追って来ていないようです」

「油断、しない」


 誰も走る速さを緩めないまま、森の終わりが見えてくる。つづら折りの道に出たが、一行は律義に曲道を辿るなんてことはしない。折り重なった道の間に横たわる木立と茂みを、一直線に駆け抜けた。


『やった、戻って来られた!』


 ぴったりと閉じられた門前でやっと足を止め、狸の片方が歓喜の声を上げた。隣では、芳親が音もなく牡丹の階段を作り上げている。堅牢な砦の上へと咲き続く花の色は、場違いなほどに幻想的だった。


「二匹とも、僕の肩、乗って」


 史緒を包んだ花を抱え、両肩には狸を乗せて、芳親は咲かせた階段を駆け上る。引き続き、背中を志乃に守られながら。

 が、突如。妖雛たちの肌が、鼬とは別の何かの気配を感じ取った。

 言葉を交わさずとも、両者は即座に同じ予測を浮かべていた。新手による追撃の予想を。足場があっても空中にいる事実は変わらず、襲撃を受ければ迎え撃つどころか、回避も難しい。階段をいち早く上りきって、態勢を整えなければならない。

 幸い、到達点は目先に迫っていた。芳親と狸たちが先に、砦の上へ足をかける。さらに志乃が続いて、撤退完了かと思われたが。


「……んぇ?」


 羽織が浮いた一瞬――志乃の腹に、何かが巻き付いた。

 不意を打たれたが故の間抜けな声と共に、体が引っ張られる。後ろにあった牡丹は消えていたため、背中から地面に落ちてしまった。


「いっ、だぁっ!」


 受け身は取ったものの、志乃は思わず顔をしかめて叫ぶ。仰向あおむけになった視界に、砦から見下ろす芳親の、焦燥しょうそうに満ちた顔が映った。


「志乃!?」

「あいたたた……あー、すみませーん、芳親さん。こちらのことはお気になさらずー。史緒さんを優先してくださーい」


 再び階段を作ろうとかざされた片手に、志乃は起き上がりつつ、間延びした声で呼びかけた。何を考えているのか察したらしく、芳親の姿はいさぎよく引っ込む。

 派手な衣装に付いた砂を払いながら、志乃は周辺を見回した。鬼の顔には、明るく楽しげな笑みが浮かんでいる。一発で芳親に考えを伝え、姿を引っ込めさせた笑顔が。


「どなたですかぁ、俺に喧嘩を売ってくださったのは」


 弧を描いた口からは浮かれ調子が弾み出、青白い目は異様な喜色に輝いている。喧嘩を売られたら喜んで買う。それが志乃の本能だ。

 買う気充分な彼女をあおるように、ガサガサと近くの茂みが音を立てる。心地よい戦意が沸き起こる最中でも、志乃は冷静に待機を選択してみたが、何者かが出てくる様子はない。来いという声なき誘いを読み取ると、笑みを深めた妖雛は、迷いなく飛び込んでいった。

 妖雛は夜目が利くため、枝の隙間から月光が漏れていれば、森の中でも難なく進んで行ける。元々、志乃は夜目が利くものの、〈解放の儀〉以降は更に冴えていた。視界の明瞭めいりょうさは、昼の時とほとんど変わらない。

 はばむものなど一切ない中、躊躇ちゅうちょも不要なまま猛進していた志乃だったが、間もなく邪魔が入った。横から、何かが突き出されたのだ。


「わわっ」


 笑顔のまま軽々と跳躍して躱すと、代わりに樹木が犠牲となった。

 めきめきと倒れていった木を、過ぎ行く視界の端に捉えつつ、攻撃を避けていく。木立の隙間から次々と突き出される、棒状の何か。大木に匹敵する太さを持ったそれの刺突を食らえば、いくら頑丈だろうとも負傷は逃れられない。


「あははぁ、そこにいらっしゃいますねぇ?」


 青白い目の鬼が笑う。楽しくてたまらないと、無邪気に笑う。

 真横からの連撃、その間隙を縫って繊手せんしゅから放たれた雷が、不可視の敵に襲い掛かる。まだ完全には操れない妙術みょうじゅつだが、当たったらしい轟音が鳴り響いた。証拠に、突き出されてきた棒状のものも痙攣けいれんしている。


「……あ、ということは」


 笑顔から一転、志乃は目を丸く見開く。雷を命中させる動作は練習中だった。芳親の牡丹を的にして。だからこそ、当たる可能性は低いと踏み、挑発を目的に繰り出していた。しかし命中したとなると。


「ぐっ……!」


 かばった腹に重い一撃が入り、志乃の体は容易く浮いて、吹き飛ばされてしまった。突貫だけだった棒の動きが、薙ぎ払う動きを見せたのだ。

 一気に弾き飛ばされた体は、樹木に打ち付けられて止まる。再び背に打撃を負ったが、動けなくなるほどの痛みではない。門前の時と同様、志乃は体をさすりつつも、大きな負傷なく立ち上がった。


「いたた、これはまた……異様な方がいらっしゃいましたねぇ」


 ぎらりと高揚を宿した鬼の眼前に、並走していた相手が現れる。出てきたのは、太く長い脚を何本も持った、異形にして巨大な蜘蛛くもだった。足の色は節を境に所々違っており、ぎのようになっている。面布めんぷをしていてどんな顔かは分からないが、こちらを観察するかのような視線は感じられた。

 が、どんな姿であれ、喧嘩を売ってくれた上客に変わりはない。嬉しそうに微笑みながら、志乃は綺麗なお辞儀をした。


「こんばんは。現世に合わせるのならば、こんにちは。つい先ほど、正式に人妖兵じんようへいとなりました、花居志乃と申します。俺と喧嘩をしてくださるのですよねぇ?」


 丁寧な挨拶と名乗りを続けた後、笑みに戦意を混じらせた妖雛に、蜘蛛は足を振り上げて答えた。「あはは」と楽しげな笑い声を零した鬼へ、蜘蛛の多脚は鎌のように、次々と振り下ろされる。

 降り注ぐ攻撃を躱しながら、志乃は蜘蛛の胴体に肉薄した。青白い目は最初から、巨躯きょくに刻まれた傷――自分の雷が付けた傷を見定めている。焦げ付いたそこへ、見た目からは到底想像もつかない重量を乗せた拳が、迷うことなく突き上げられた。


「かっ、たい……!」


 もう治りかけていたのか、負傷している箇所を狙ったのにもかかわらず、異形の表皮は驚くほど固い。


「えへへ、でも……痛くない、ので!」


 笑みを崩さないまま、志乃は言葉に合わせ、お返しとばかりに蜘蛛の体を浮かせた。よろけ、一瞬でも晒されてしまった腹を、青白い目は見逃さない。手のひらを両方とも向け、いま出せる中では最大限の雷撃を放つ。

 この至近距離で外す可能性は皆無。瞳と同じ青白い光が、バチバチと音を立てて蜘蛛の体を迸り、痙攣させた。


「おっと危ない」


 最後の抵抗とばかりに、折り込まれた前脚が背後を狙って突き出される。けれど志乃は冷静に蜘蛛の腹を蹴り、宙返りの動作と共に回避。攻撃対象を失った足は勢いのままに、己の体を突き破ってしまった。

 志乃の軽やかな着地に反し、黒煙を上げる異形の体は断末魔もなく倒れ込み、すぐさま灰燼かいじんと化して消え始める。一連の経過は無音で、だからこそ薄気味の悪さが残るものの、喧嘩を楽しんだ妖雛は、そんな印象を抱かない。

 この異形が何だったのか。答えは分からずじまいとなったが、それも志乃が気にかけることはない。代わりに、楽しみの余韻から抜け出しながら、周囲を警戒する。次いで目を閉じ、他にも気配があるか探ってみるが、近辺にそれらしい感触はなかった。


「……鼬はまだいますねぇ。様子見でもしているのでしょうか」


 現在地からかなり遠いが、鼬数匹の気配が感じ取れる。何をしているのかまでは流石に分からないが、宝山からも距離を置いた場所にいるため、やはり様子を窺っているのだろう。

 砦に戻る前に、志乃は異形が倒れた場所を一瞥いちべつした。鼬と協力し、目的を同じくするモノだったのだろうか。それとも。


「まあ、それは後にしましょう」


 暢気で空虚な笑みを取り戻して、志乃は宝山へと駆け戻る。――自分の後ろ姿を見ている者がいたことには、気付かずに。

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