灯を持つ人

「随分と派手な格好になったね、志乃君」

「やっぱりそうですよねぇ……」


 直武が放った第一声に、志乃は苦笑しながら、くすぐったそうに肩をすくめた。両者の横には、きっちり正座する紀定と、上を向いたまま目を閉じた芳親が控えている。どうやら後者は寝ているらしい。

 狸たちが昼食を準備する間、一行は四人揃ってもまだ広く感じられる客間で待機していた。開け放たれた障子戸の先には、〈解放の儀〉を行ったのとは別の、やはり見事な庭が広がっている。


「失敗する可能性は極めて低いと見ていたけど、予想通り、不調も無いようで何よりだ。お疲れ様」

「ありがとうございます。夜蝶街近郊での討伐の時と比べれば、さほど疲れているわけではないかと思いますが」

「それはそうだろうね。負担が掛からない体に戻したんだもの」


 そうでした、と志乃は暢気な笑みをこぼす。角や牙が無ければ、いつもの彼女と何ら変わりない笑みだが、もう幽世ではそうならない。


「さて。晴れて儀式を成功させた君は、これから人妖兵じんようへいになるわけだけれど。正式にそうなるのは、もうちょっと先なんだ。署名が必要な書類がこっちに送られてきて、書いたら洛都らくとに送り返して代理提出してもらって、受理されて初めて人妖兵と名乗れるようになる。洛都にいれば遅くても三日で終わるけど、今回は最低でも一週間はかかってしまうだろうね」

「となると、それまでここに滞在することに?」

「うん、そうなる。で、書類が届く前に、君に確認しておかないとならないことがあるんだ」

「えぇ、もちろん。何でしょうか」


 直武の穏やかな笑みに、暗い影が差す。彼のそういう寂しげな顔は、常人のそれよりずっと切ない。


「君もまた、私たちと同じく〈色護衆しきごしゅう〉に属することになる。組織についてのことは、辻川君から聞いているかい?」

「はい、いずれ属する場所ですから」

妖雛にとって、どういうところなのかも?」

「ええ、もちろん」


 小首を傾げ、志乃は無邪気に笑って見せる。


「人妖兵のことを、だと。親方はそう仰っておられました」


 そのまま、何でも無いことのように答えた。

 人妖兵となる妖雛は、半分は人間だが、半分は妖怪。ゆえに完全な人間ではなく、異形のたぐいとして捉えられる。そんなモノを仲間とは見なせない、というのが一つと。


「まあ、道具として捉えられるのも仕方ないことかと。妖雛は人間より強くて頑丈ですから、一人いればそれだけで十分な戦力になります。さしずめ、指示すれば動いて敵を殺してくれる、刃毀はこぼれしにくい刀といったところでしょうか」


 日常の些細ささいな出来事のように、志乃が語った理由が一つ。


「そういうものだと思われて、不快ではない?」

「いいえ? その通りですから。指示があれば、いかなるものでも殺す所存でございます」


 花のような笑みを崩さず、志乃は清々しいほどさらりと答える。ところが、突如として笑みはしぼみ、新たに困惑の笑みが咲く。


「ですが、そう思ったままでいると、問題が発生してしまいます」

「ほう。その問題は深刻なものなのかな」

「はい。中谷の兄貴から説教される可能性が、極めて高い状況並みに深刻です」


 真面目な調子で言った志乃だが、彼女以外には実感が分からない比較だった。無論、それについての言及は何もない。


「色護衆の話を教えてくださったとき、親方は『ここに行った後、道具にだけは成り下がるな』とも仰いました。他の方からの受け売りではあるものの、何のために力を振るうのか、何のために敵をほふるのかを考えろと。……それが灯火となって、俺の進むべき道を照らしてくれるのだと」


 密かに、志乃は記憶に刻まれた声に耳を傾ける。


『これも受け売りだがな、志乃。……進む道を照らす火は、自分で灯さなければならない』


 自身に刻まれた言葉をなぞる、辻川の静かな声。


『自分が立っている場所を照らす火は、最初から灯されている。それは生まれながらに灯されているからであり、自分の周囲を取り巻く人々に灯してもらっているからでもある』


 彼の言葉は志乃に語られているようで、しかし、別の誰かに語られているようでもあった。


『だからこそ、人は明るさに慣れ、本当は闇の只中にいることに気付かない』

「――故に、灯火を得たら、まずはそれに気付かないとならない」


 呟きとなって零れ落ちていった言葉を、ぼんやりと眺めた後。ふと、志乃は真正面で穏やかに笑む直武をまじまじと見て、ゆっくりと一つ瞬いた。


「もしや、親方にそう言ったのは、麗部うらべの旦那なのですか?」

「そうだね、間違いなく私だ」


 懐かしそうに目を細めた後、直武は「でも、そうか。辻川君が」と呟く。深い井戸からくみ上げた水を、別の入れ物に注ぎ込むような吐露だった。


「それで、どうかな。結局、君は灯火を見つけられたかい?」

「いいえ。恥ずかしながら、その言葉を言われてから十年余り、未だに探し続けております」


 探すと言っても、手掛かりすら見つけられていないのだが。

 何のために力を使うのか。そんなもの、力があるから使うに過ぎない。誰かから使えと言われるから、それしか能がないから……それが初めて、楽しいだとか、嬉しいだとか、喜びを感知させてくれたから。

 それは道具の妄信で、思惟しいがないのだと。だから駄目なのだと言われて、志乃はずっと、この思考に代わるものを探している。


「では、私たちと共に探そう。君たちの成長には、その灯火が必要不可欠だからね。芳親もまだ見つけていないし」


 ずっと閉じられていた牡丹色の瞳がぱちりと開いて、急に志乃を見るなり、こくこくと頷いた。話をちゃんと聞いていたのかどうか、疑わしくなる素振りである。

 直武は芳親に、志乃の隣へ行くよう手で指示をした。不思議そうな芳親が素直に応じれば、横に並んだ若者二人と、老練の先達が向かい合った。


「君たち妖雛は、人間であるという意識――何かを失いながら、踏み締めながら、傷つきながら、前へ進んで行くしかない存在だという意識が薄い。それではずっと変われないままだ。妖怪ならばそれでも何らおかしくないけれど、人間ならば、変わらないままではいられない」


 まだ痛々しいほど鮮烈で、けれどこの上なくとうとい青色を持つ二人に、老紳士は目を細める。


「どうしようもなく醜いけれど、そうやって人は前進して、少しずつ変わりながら、美しいものを掴みに行くんだ。そのために必要なのが灯火。暗闇の中から自分が掴みたいものを見つけ、そこまでの道を照らしてくれる、道標だよ」


 皺が刻まれた美しい手で胸に触れ、直武は確かめるように目を閉じる。先達たる彼には、既にあるのだ。彼にとっての美しいものがある場所へと、導いてくれる灯火が。


「君たちに標となる灯火を見つけさせ、自分の道を歩ませる。それもまた、君たちを育てる一環だ。……そもそも、君たちは色々なことを知らなさすぎるからね。知ることから始めないとならない」


 少しだけ呆れたように言って、でも仕方ないという風に直武は笑う。いま一度たたずまいを直すと、凛然とした目で二人を見据えた。


「改めて言おう、二人とも。――君たちは、意思なく志も無い道具ではない。人間だ。だからこそ、灯火を得て進まなければならない。掴みとりたいものと、そこまでの道を照らす灯火を見つけなさい」


 厳かな声で、どこか祈るように語られたその言葉を、妖雛たちは確かに受け取る。空っぽな心側うらがわへ投げ入れられ、確かに底へ留まり光る。「はい」と答える二人の声は、合わせたわけでもないのに不思議と揃っていた。


「期待しているよ。……あ、芳親。お前は私が呼ぶまで、寝たふりをして話を聞いていなかっただろうから、お昼の時間を削ってお話しようか」

「えっ……」


 まさかの言葉に、芳親の顔が一瞬にして引きつる。


「そんな、『ちゃんと返事したのに』とか、『一回は聞いた話なのに』って顔をしない。返事が良ければ全てよし、なんてことにはならないんだから」

「……、……紀定」

「私は何度も起こそうと試みましたよ。一向に反応していただけませんでしたが……もしや、本当に無視して、寝続けるつもりではなかったのでしょうね、芳親殿?」


 片や笑顔ながら怒気がにじみ出る紀定、片やいつもの笑顔なのに何故か怖い直武。二つの笑顔を向けられた芳親は全力で目を逸らし、志乃は向けられていないのにもかかわらず、顔を青くしていた。というのも、紀定は中谷が、直武は山内が怒っている時と、ほとんど同じ表情だったので。

 これで紀定が真顔だったら、完全に中谷である。閻魔の顕現は脳内だけでいい、紀定は怒らせないでおこう――固まった芳親の隣で、志乃の決意も固くなった。

 結局、昼食は志乃と紀定が先に食べ、芳親は二人が食べ終わる頃にやっと食べることができた。が、食欲は全く衰えなかったらしく、疲れ果てた顔をしていても、朝食と変わらぬ量を当然のように平らげてしまっていた。


 ***


 所変わって、彩鱗国いろこのくにの心臓部、みかどのお膝元である黄都こうと箱城はこしろ郡、洛都らくと

 最後に遷都せんとがあったのは千何百年も前というこの場所は、うしとらひつじさるの方角――鬼門と裏鬼門からの災いを、それぞれにそびえる渡碓山とたいさん麗境山れいきょうさんに建つ山城に守護されている。

 この山城こそ、守遣兵しゅけんへいや人妖兵が所属する組織、〈色護衆しきごしゅう〉の二大拠点だった。

 日は高く上り、正午を知らせる甲高い鐘の音が城の敷地内へ降り注いでいく。坤にある麗境山の山城は、穏やかな昼を迎えていた。


「――そんなあぁぁぁぁぁーっ!!」


 いや、一か所。大衆食堂だけ穏やかではなかった。

 実戦任務が無い場合、兵たちは事務仕事や鍛錬に明け暮れる。ほとんど山を下りられない彼らにとっての癒しの場が、百人は収容できるだろう広大な大衆食堂だった。

 間違っても、悲しみに満ちた絶叫がとどろくような場所ではないのだが、兵たちは何事かと一瞥しただけで、黙々と箸を動かすのを再開している。というのも、わりとそういう絶叫がいつも通りな人物が、受け取り口の前でくずおれていたので。


「うっ、うっ……どうして、どうして……っ!」

「ごめんねぇ、兼久かねひささん」


 叫んだ後、地に手をついて項垂れている青年兵に、料理の受取口から顔を出した年配の女性が苦笑を向けている。


「今日の限定お菓子の、特大蒸し饅頭まんじゅう、兼久さんが来る一歩前で売り切れちゃったのよー」

「うぐぅっ……半刻前に急に入ってきた仕事が憎い……ッ!」


 ぶつぶつと愚痴を吐きつつも、兼久と呼ばれた青年兵は定食を注文して受け取り、空いている席に座った。その間ずっと、顔を項垂うなだれさせて肩を落としていたが。

 そんな、不運の海に沈んでいく優男の前に、とことこと近寄って来る人影が一つ。


「やあ。珍しいね、お菓子逃しちゃうなんて」

「……あぁ、きぃちゃん」


 沈鬱な色で台無しになった好青年の顔を、木下きのした喜千代きちよが笑顔で照らす。短髪にすらりとした立ち姿に反し、浮かべている笑みは明るく人懐っこい。


「あのね……ちょっと急務が入っちゃったんだよ。正直、入れてきた人をうらみたいけど、恨めないんだ……」

「それはまた。お偉いさんからだったの?」

「偉大なる麗部うらべ先生からだったよ。恨めないでしょ?」

「そりゃ駄目だ。じゃあ、偉大なる麗部先生に翻弄ほんろうされちゃった兼久くんに、これを授けて進ぜよう」


 芝居がかった仕草で、喜千代は蒸し饅頭の包みを取り出して見せる。しかも二つ分。それを見ただけで、兼久の顔に居座っていた悲哀が吹き飛んで行った。


「えっ、二個も!? 食堂限定のお菓子は一人一個じゃ」

「実は、君が仕事に追われているの、見てたんだよね。だから買いそびれちゃうんじゃないかと思って、ちょっとわがままを通してもらったの。一緒に食べるのは楽しいって、君の常套句だしさ。もし間に合ってたら、茉白ましろちゃんあたりにあげるつもりだったけど」

「僕どころか、僕の将来の義妹ちゃんにも優しいだなんて……僕の幼馴染、相変わらず素敵すぎる。そんな君が大好きです」

「あはは。私も君のこと大好きだよ、昔からね」


 恋仲でもないのに堂々と好意を伝え合う二人だが、彼らにとっては日常であるため、気にする者は誰もいない。

 兼久は宝をたまわるように蒸し饅頭を受け取ると、他者もつられて笑んでしまうほど幸せそうな顔で頬張り、じっくりと味わうように目を閉じた。喜びに満ち溢れた彼の顔を眺めつつ、喜千代も饅頭にかぶりつく。


「ところで、その麗部先生からの急務って何だったの?」

「人妖兵の代理申請。ほら、僕の最高に可愛くて格好いい義弟おとうとの片割れっていう妖雛の子、その子が〈解放の儀〉を終えたから、名簿に加えてもらわないとならないんだよね」


 真面目な話の中にさらりと義弟の自慢を混ぜるのは、この好青年の特徴である。喜千代は慣れきっている上に、聞くのを楽しく思っている貴重な人間でもあるため、突っ込むなんて厳しいことはしない。


「それともう二つ」

「えっ、三つも入ってきてたの? 災難だったね」

「でしょ、もう絶望してたよ。まあ一つは、若かりし頃の父上がやらかしてたことが新たに発覚したから、それを確認するだけ。問題は残る一つ、新しい任務だ」

「お。今度はどこに赴くことになるのかな」


 喜千代の顔に、楽しむような笑みが浮かんだ。彼女と兼久は、同じ隊に属している……というか、仕事においては隊長と副隊長の関係である。


「それが、橙路とうじ府なんだよ」

「あら。それなら渡碓山とたいさんに話が行くんじゃないの? 東側は大体あっちの領分じゃない」


 守遣兵しゅけんへいはどちらの山城に所属しているかで、派遣される場所が黄都府以東以西かが決まる。坤の麗境山れいきょうさんに所属している兵は、西側の府に派遣されることが大半だ。


「そうなんだけど、これにも麗部先生が絡んでるんだ。いま先生がいらっしゃるのが翠森すいしん妙後たえご郡の沢綿島さわたじま

「なるほど、察したよ。つまり先生一行、芳親くんも協力してくれる。それなら、あの子の扱いに慣れている君が最適と判断されたわけだね」

「うん、そういうことなんだけど……どうやらそれだけじゃないらしいんだよね」


 口元は笑んだまま、兼久の目が真剣な色を帯びる。


「今回の情報、提供者が雷雅なんだ」

「雷雅? 風晶を通してじゃなく、あの鬼が直接?」


 眉をひそめる喜千代に、兼久は無言で頷いた。好青年の顔は、鋭利を宿したつわもののそれに変わっている。


「お上も十中八九、雷雅が何か別の案件――それも、人間側が苦戦する案件をどうにかすべく動いているんじゃないかって。もしかしたら、その支援もすることになるかもしれない」


 最後の一口を放り込放むと、兼久は何も無かったかのように、いつもの幸せそうな笑顔を浮かべて定食に手を付ける。喜千代は既に昼を済ませていたため、まだ半分ほど残っている饅頭片手に眺めていた。


「支援任務も入るなら、鍛錬にもっと力を入れないとね。兼久くん、後で相手してくれる?」

「もちろんいいよ。それにしても、僕をそんな風に誘ってくれるのは、昔からきぃちゃんだけだよねー。みんな、もっと気軽に接してくれていいのに」


 むすっと頬を膨らませる彼に、「それは難しいよ」と喜千代は苦笑した。


「だって、君はあと数年ちょっとで、境田家の当主になるご令息様なんだからさ」

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