山裾の陣

 卯月うづき五日――夜蝶街やちょうがい南方の平原に物の怪が現れると予測されたその日、夜蝶街はすべての門扉もんぴを閉ざし、夜が始まるのを待っていた。緊張感が漂う静かな花街には守遣兵しゅけんへいたちが歩き、先日より現れやすくなった成り損ないを見つけ次第、大きくなる前に消滅させている。

 殺伐とした空気が漂う中、志乃は夜の帳が下りきる頃合いに目覚め、第一屯所の門前で辻川に合流した。


「おはようございます、そしてこんばんは、親方」

「おう。いつもの通り暢気そうで何よりだ」


 辻川は欠伸を噛み殺しながら言い、散歩のような足取りで歩き出す。彼の素振りもなかなかに暢気ではあるが、気にせず志乃は笑顔でついて行く。


「はい。特に不調もありませんので、討伐に支障をきたすことは無いかと。ところで、中谷の兄貴と山内の兄貴は、先に行ってしまわれたのですか?」

「いや、あいつらは花街内に出る成り損ないの片付けに協力してる。いくら実力があっても、正規の守遣兵じゃねぇからな。物の怪討伐そのものには参加させられない」

「俺はお手伝いしなくてもいいのでしょうか。物の怪が出るまで」


 提案というよりは疑問の色が強い言葉に、「ああ」と首肯が返された。


「お前の体力が常人より尽きにくいのは確かだし、兄貴大好きピヨピヨひよこで、山内や中谷と一緒にいたいと思ってることもお見通しだが、駄目だ」

「兄貴大好きなことはそうですし、親方のことも大好きですけども、ひよこの鳴き声を真似したことはありませんよ。俺の憶えている限りでは、ですが」

「おうありがとよ、けど例えにつまんねぇ指摘の返しなんざしてんじゃ……いやそれはどうでもいい。小規模な奴が出るとはいえ、そういうのは群れで来る時もある。万全の状態で挑め」


 言いながら、辻川は片手に持っていた刀を志乃に渡す。見回り番から志乃に支給されている刀だ。しかし、当の本人は帯刀しないどころか手に取ることもしないため、基本的には辻川が預かっている。


「刀を使用するほどの敵ですかぁ。やはり、物の怪というのは一筋縄ではいかないのですねぇ」

「使用が前提だ。直に触ったら危険なのもいるし。そういうわけだから、志乃。刀の扱い方が剣士に喧嘩売ってるようなお前でも、物の怪相手なら素直に使え。いいな?」

「お任せください。それに、俺に剣をお教えくださったのは、他ならない親方です。正しく使えというのであればちゃんと、あてっ」

「いつでもちゃんと使え馬鹿野郎」


 志乃の額を指で弾くと、辻川はため息交じりに言った。

 これから二人が向かうのは、街の正面にぎりぎり入っている山裾やますそに構えられた陣。そこへ行くには南門を出て、少しばかり歩かないとならない。

 道中、成り損ないが襲ってくる可能性もあったが、そんなものを歯牙しがにもかけない少女と、彼女を上回る力量を持つ男の二人組である。襲われることがあっても、無傷で切り抜けるのは明白だった。そのことを察知しているのか、成り損ないは気配すら見せない。


 結局襲われることはなく、二人は無事に陣へと到着した。


 のぼりのない、ただ幕を簡単に張っただけの陣内は、最低限の松明たいまつで照らされている。中央では井本と直武が並び立ち、他少数の守遣兵が見張りとして立っていた。その中央へ、辻川はずんずんと進み込んでいく。


「辻川忠彦、花居志乃。ただいま参上いたした。で、井本。どうだ、平原の様子は」


 既にこちらに気付いていた井本と直武の二人に、辻川はかしこまったようで適当な感じが否めない挨拶をしてたずねる。


「……、……?」


 一方で、雛鳥ひなどりの如くついて来ていた志乃の顔には、居心地が悪そうな不快の表情が浮かんでいた。不調はないと言ったのに、肌の下を悪寒が駆け巡っていたので。

 思わず二の腕をさするっていと、気づいたらしい直武と目が合う。志乃が目礼すると、彼はいつもの笑みを深めた。


「どうしたのかな、志乃君?」

「何やら悪寒がしまして。体調が悪いわけではないのですが」

「ああ、大丈夫。君の場合、それは正しい反応だ」

「へ?」


 首を傾げると、井本と話していた辻川が「結界」と単語を飛ばしてきた。普通なら何だと思われるが、志乃にはそれで合点がいく。


「なるほど。この陣には、既に結界が張ってあるのですね」


 導き出された答えに、正解とばかりに直武が頷いた。

 妖雛ようすうは人間だが、妖怪でもある。だからこそ、妖怪や物の怪に対して使われる結界が効いてしまうという弱点があった。そのため、志乃はおはらいなどに参加できないのに加え、その場に近寄ることもできない。

 物の怪や成り損ないなどを倒した後始末も、お祓いが必須となる。直武と会った際、倒した成り損ないを山内に任せたのも、この弱点ゆえだった。


「とはいえ、これは牽制けんせいの結界だから、祓う時のものほど強力ではない。だから妖雛への不快感も薄いか、ほとんどないはずなんだけど、君は結界と相性が悪いらしいね」

「ええ、はい。それは親方からも言われておりますので、把握しています。俺自身も、結界に良い心地を覚えたことはありませんし」


 困ったように笑うと、志乃は指で頬を掻いた。が、「志乃」と呼ばれるなり暢気さが戻った顔は、体ごと辻川の方を向く。


「はい、親方。ご指示でしょうかぁ」

「ああ。平原の方に下ってすぐの所に先陣がある。そこで、お前以外の妖雛がもう一人待ってるから、そいつと顔合わせして共闘しろ」

「分かりましたぁ。ですが、いくら妖雛とはいえ、二人だけで大丈夫なのですか?」

「むしろ過剰なくらいだぞ、小規模の物の怪に妖雛二人は。お前一人だったら、物の怪との戦闘は不得手だろうってことで、守遣兵が指南のために同行してただろうが、現役の人妖兵が来たから不要になった」


 おぉー、と暢気な声を上げ、心なしか目を輝かせる少女に、「喧嘩売らない、売られても買わない」と辻川が半目になって言う。考えをあっさり見抜かれ、志乃は短くうめいた。


「……喧嘩売らない、売られても買わない」

「よろしい。んじゃ、行ってこい」


 おつかいでも頼むかのような軽さで言うと、志乃はすぐに暢気な笑みを浮かべる。「行ってまいります」とお辞儀をし、軽い足取りで指し示された方へ向かって行った。

 明るく駆け去って行った彼女を驚きつつも見送った後、井本が辻川に、にやにやとした笑みを向ける。


「喧嘩売らない、売られても買わない。懐かしいな、お前がいつも言われてたことじゃないか」

「そう言わねぇと、余計な喧嘩売り買いして、始末が面倒なことになるんだよ。つい最近だと、如月きさらぎの終わり辺りに面倒な妖怪連中と喧嘩して、妙術使わせる羽目になったし」


 感じたのだろう苦労を克明に表す顔に、井本も、いつの間にか二人の近くに歩み寄って来ていた直武も、同じような微笑を浮かべている。


「……何ですか、先生まで」

「私の教え子は、みんな大切なことを憶えていて感心だなぁって、そう思っただけだよ」

「一年間書かされ続けたことを忘れるほど、頭の出来は悪くないんで」


 少しばかり怨嗟えんさにじませた声音で言い、辻川はため息を吐く。吐息はついでに、彼の表情も持って行った。


「上洛の先延ばし、ありがとうございました、先生。あいつのことは、ただの道具に成り下がらないよう育ててきたつもりですけど、まだ空っぽなところがあるんで……『灯火』も、見つけてないんですよ」


 子の行く末を案じる親の顔で、独り言をこぼすように辻川は言う。彼の声にひそむ、すぐには分かりにくい困惑や不安の調子を、直武は容易く聞き取っていた。


「うん。それは、彼女の目を見れば分かったよ。任せなさい、辻川君。私の残りの命にかけて、志乃君が『灯火』を見つけるのを手助けするから」


 温厚ないつもの笑みが、頼れる色も持って老紳士の顔に浮かぶ。つられるようにして浮かんだ教え子の笑みを見てから、直武は先陣の方向へと目をやった。


「その前にまず、芳親と志乃君が仲良くなってくれるといいのだけど」


 不安の言葉を、それ以上の期待に満ちた声でつぶやくのと同時に、直武は笑みを深めていた。

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