客人と提案
第一屯所は
「到着しましたぁ。ここが第一屯所兼
「ほう、立派な建物だ。ここの提灯は白いんだね」
まず直武に指摘されたのは、門前に吊るされた二つの大きな提灯。どちらも柔らかな白い光を放っている。火袋には「一」と
「何でも、景観を損なわず、一目で見回り番だと分かってもらうための工夫だそうで。ちなみに、白灯堂は医療施設なのですが、白提灯が名前の由来なのですよ」
「なるほど。町医者も兼ねているわけだ」
前庭を通った二人は、広い玄関へ入っていく。ほとんどの団員が出払っているせいで、土間はがらんとしているはずだったのだが。
「あれ?」
志乃の視界に、見覚えがある草履と無い草履の二組が入った。先客が来ているらしい。
「申し訳ありません、
「もちろん。事前に訪問すると言ったわけではないから、そうなっても仕方がないよ」
快諾して笑う直武に、「ありがとうございます」と笑顔を返して、客間の座敷へと先導する。そののち、志乃は屋敷の最奥、見回り番の長がいる執務室へと向かった。
奥の方へ行けば行くほど、空気は静謐さを増して重くなっていく。若い団員はこの中を緊張しながら進むのだが、志乃は暢気な笑みを浮かべたままだ。辻川の部屋の前、勇猛な
「失礼いたします、親方。花居志乃、ご報告に参りました」
「……入れ」
客人と交わしたらしい短い応答の後、重みのある男の声が返される。威圧感のある声にも臆さず、志乃は襖を丁寧に開けて頭を下げ、執務室に入った。
部屋には掛け軸が掛けられた床の間と、違い棚を背に文机が置かれ、その正面に長机が縦向きで置かれている。部屋の主は長机の方におり、来客らしき人物と向かい合っていた。けれどそれは体だけで、顔は志乃の方へと向いている。
「お前が報告なんて珍しいな。どうした、志乃」
両頬の古傷が目立つ、厳格な顔をした三十代ほどの男。この男が見回り番の長、
「先ほど、お客様をお連れいたしましたので、それをお伝えしに参りましたぁ。今は客間でお待ちいただいております」
「客? 訪問の予定があるのは
辻川の向かいに座る先客、井本
「お客様は訪問を事前に伝えていないと。街に来たばかりのうえ、次の日には
「……何か覚えあるな、これ。井本、確か先生って」
「あー、うん。そろそろ、この辺りに来てるかも」
井本と一度顔を合わせ、辻川は再び志乃を見た。何故か、どことなく嫌そうな顔で。
「その客人の名前、聞いたか?」
「はい。麗部直武という御方です」
志乃が答えた途端、辻川は
「……ちょっと、席を外す。中谷、井本の相手頼んだ」
「お任せを」
「志乃、客間に案内してくれ」
「分かりましたぁ」
緩い調子の言葉に、鋭く冷たい視線が突き刺さる。志乃はびくりと肩を震わせると、視線から逃げるように歩き出した。
「……毎度のことだけど。お前、中谷に怒られるのが嫌なら気ぃ引き締めてろよ」
後ろ手で襖を閉め切ってからなされた指摘に、「うぐ」と小さな呻きが上がる。声だけでなく目にも呆れを滲ませた辻川の隣で、志乃は人差し指を突き合わせ始めた。浮かべた笑みを引きつらせ、目を盛大に泳がせて。
「ですが、その……俺の苦手分野ですので」
「ははは、告げ口してやろー」
「やめてくださいお願いします。中谷の兄貴の説教は嫌です」
引きつっていた笑みをさらに青ざめさせ、志乃は早口で訴えながら辻川を揺さぶる。頭が上がらない相手である中谷からの説教は、志乃にとっては何より避けたいものだった。
いつまでも戯れているわけにはいかず、辻川に引き剥がされたのを契機に気を取り直して、志乃は先導を開始した。元より人がいない屋内は静まり返っており、直武を待たせている客間付近でも、やって来た二つ分の足音しか聞こえない。
「こちらです」
「ん」
襖の手前で道を開けた志乃に短く応じた直後、辻川は何の挨拶もなく戸を開け放った。しかも勢いよく、スパーンと良い音を立てて。突然の暴挙に
「久しぶりだね、辻川君。元気に」
バシンッ。
開けた時と変わらない勢いで襖が閉められ、声が途切れる。無言かつ無表情で行われた無礼に、さすがの志乃も我に返って
「あ、あの、親方。何故そのようなことを」
「ちょっと頭が理解を拒否しただけだ」
真面目な、というよりは少し
「お久しぶりです、先生。まさかお越しになるとは思ってませんでした」
「あれ。私が旅をしていること、知らなかった?」
「井本から聞いていましたけど、今この時に、夜蝶街にいらっしゃってるとは思ってなかったんです」
滅多に聞けない辻川の敬語に、志乃は目を見開く。服装や雰囲気から若干察せてはいたが、直武は身分が高いらしい。
「井本も今いるので、どうぞ執務室にいらしてください」
「あの草履は井本君のものだったのか。となると、派遣されてきたのは井本君の部隊なんだね」
どこか嫌そうな色を拭い切れない顔をした辻川の隣に並びながら、直武はにこにこと親しげに話す。正反対な二人の様子に志乃は小首を傾げ、目を瞬かせた。
「親方と麗部殿は、どういったご関係なのですか?」
「あー、それは置いといてくれ。とりあえず知り合いってことで」
「了解です」
「……何で後ろに回る。任務は」
直武同様にこにこしながら、ついてくる気満々な素振りを見せる志乃に、胡乱な目が向けられる。中谷にそんな目を向けられたら怯えていたが、彼よりあまり人相がよろしくない辻川は平気というのが、志乃の奇妙なところだった。
「ああ、私が彼女に話があるんだよ」
「先生が、ですか? ……分かりました。じゃ、行きましょう」
目を見開いたものの、辻川はすぐにいつもの表情を取り戻して歩き出した。
執務室に戻ると、直武は井本とも挨拶を交わして彼の隣に座る。志乃は辻川の斜め後ろで、中谷と同じように控えた。叱られそうな雰囲気を感じなかったため、笑顔は消えず残っている。
「さて。じゃあ初めから話そうか。先生と志乃さんもいることだし」
「すまないね。お願いするよ、井本君」
無言ながら、志乃も軽くお辞儀をした。井本は笑みを返して、机上に地図を広げる。
「三日前、
――〈物の怪〉。それは、人間に災禍をもたらす異形の化物の名称である。
千年近く前から存在が確認されているそれらは、もたらす災禍の大きさによって大中小、そして極大に分類されている。物の怪を討伐するために存在するのが井本たち、〈
物の怪が現れる際には、〈成り損ない〉も現れる。姿かたちを持てないような弱い妖怪や霊体が、漏れ出た物の怪の力を取り込み、しかし御せずに暴走したものだ。動物や人間を襲うと、現れる物の怪の力も増幅させるという厄介な存在のため、早急な排除が必要となる。
「測定の結果、規模は小、出現日時は卯月五日、つまり明日の夜。出現場所は街の南方にある平原と判明。そのため、明日に備えた諸々の確認を行っていました」
「その確認内容についても、教えて貰って良いかな」
「はい。まず、我々守遣兵は夜蝶街の真正面にある
「……物の怪への攻撃には、見回り番の花居志乃が協力します」
終わるかと思われた言葉に、辻川が静かな声で付け足した。言葉の内容に、直武も真剣な顔になる。
「ではやはり、志乃君は〈
「ええ、その通りです」
ところが、志乃は空気に反して、暢気な笑みを保ち続けていた。ただ一人だけ、場違いに。
妖雛とは、人間でありながら、妖怪としての面も併せ持つ存在。人外由来の身体能力や、打撃に対する異常な頑丈さ、高い回復能力を持ち、人間で使える者はほとんどいない高度な呪術、〈
「では、今回の討伐が終わったら、志乃君は
「そうですねぇ。俺は今年で十七になりますから、丁度いいということで」
極めて希少な妖雛は必ず徴兵されるため、
「俺含む身内一同は、良いと思ってませんけどね。あんなところに行くくらいなら、ここにいる方がずっとマシですよ」
強くはないが、拒絶の意が明らかな声で辻川が言う。その言葉に否定は被せられなかった。井本も直武も、寂しげに笑むだけ。
「私は、そんな辻川君に提案をしに来たんだ。志乃君にもそうすることになるのだけれど」
「それが、俺への御用ですか」
「うん。志乃君には、上洛する前に、私の旅に同行してほしい。私を含めて、男三人との旅だけれどね」
予想外の提案に、それまで静かに控えていた中谷ですら目を見開いた。他の三人も言わずもがなの中で、直武だけが穏やかな表情をしている。
「建前は、私の旅は妖雛を育てる任務のために行っているものだから。本音は、君たちの力になりたいからというのと、私の望みが半々というところ」
話すうち、直武の笑みは困ったような色を帯びていく。どこか自嘲めいた色も混じっているように思われる笑みは、自身へ向けられたものらしい。
「妖雛が人妖兵になるという将来を、変えることはできない。でも、将来が訪れる前に何をするかは自由だ。その自由の期間を少しでも伸ばして、いろんなことを学ばせてあげたい。それが私の望みだ」
「……なるほど。先生のお考えは分かりました」
返された辻川の声は、どこか安堵したかのような音をしている。両頬に古傷を抱いた顔が後ろを向き、志乃を見た。
「志乃。麗部先生と過ごして損をすることは無い。先生が学ばせてくれるって言うんなら、旅に同行するべきだ」
「左様ですかぁ。では、同行いたします」
変わらぬ笑顔に軽い調子で、志乃は提案を呑み込んでしまった。途端、辻川の表情が呆れたものになる。
「まあ、お前のことだからそう言うだろうとは思ってたけどよ。身内が言ったからそうする以外にも、何か理由見つけろや」
「ううむ、そう言われましても。あ、麗部殿が優しそうだったから、というのはどうでしょうか」
「
「もちろん。度合いで言うなら君の方が大変だったし」
爽やかな笑顔でさらりと言う直武に、辻川は
「さて。引き留めて申し訳なかったね、志乃君。君に話すことは、これでおしまいだ」
「それでは、今度こそ俺は任務に戻らないとですねぇ。よろしいでしょうか、親方」
「ああ」
短い応答に笑みを返すと、志乃は立ち上がってから一同に礼をして、退室しようとした。
「――志乃」
が、静かながら重みのある声に呼び止められる。びしっと背筋を固めて足を止め、志乃は
「な、何でしょうか、兄貴」
笑みを引きつらせ、恐る恐る問いかけた志乃だが、何を言われるか予想は付いている。中谷の前で何かし終えた後に、静かなだけでなく重みを感じる声で呼ばれたら、お叱りが待っていることも。裏付けに、鳴りを潜めていた中谷の怒気が、じわじわ染み出してきている。
「俺の部屋で待機していろ」
退路を断ち切る宣告が、ぐさりと志乃を突き刺した。瞬き一つしない鋭利な目で見られ、そう言われてしまえばお叱り確定、逃げられない。
「……はい」
震える一歩手前のか細い声で返事をすると、志乃はぎりぎりと前に向き直り、ぎこちない動きで退出。そのまま玄関の近くへ戻って来ると、上階へ続く階段の前で立ち止まる。
「……あぁ……」
行く先を見上げると、暢気さからは程遠い、情けないため息をつく。叱られると分かっている時ほど、中谷の部屋へ続く道は地獄へ通じる道になるのだ。
が、ここで逃げたら説教が倍になり、さらなる地獄が待つだけである。志乃は重い足取りで、地獄への階段を上がっていった。
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