第10話

弘徽殿女御の父である閑院左大臣は、藤原氏の長者であり、北家の棟梁でもあって、何をしなくても、宮廷において自然に第一人者になり得ると人は見がちである。


ところが、今でも、彼こそがあの宮廷において最も手練手管に頼る者である。


現下、彼ほど、系図において、官位において、権益において、すでに手堅いと目されている者はほかに無いというのに。


今の地位に躍り出るまでに弄した権術の比ではないものが、現在もなお、彼に実際求められるのである。


そんな折、目下、彼にとって趣味と実益を兼ねることが、彼の掌中に握られてある。


それは、すなわち、密貿易である。


本来、皇国(みくに)は、高麗、渤海を除いて、国としてはよそと交渉を持たないし、海外との交易は厳禁である。


それにも関わらず、閑院左大臣を頂点とする藤原北家の面々は、国家における、その繁茂の余勢を駆り、半ば公然と、諸外国との交易に私的に力を傾注し、十二分に上がりに浴していたのであった。


その一方で、彼らは、他氏がこれに追随しようと試みることを全て妨害した。


この密貿易によって、はるばる遠方からもたられる七珍万宝の数々は、閑院左大臣の個人的趣味と虚栄心を満たすに止(とど)まらず、彼の宮廷内におけるあらゆる懐柔策の道具に用いられた。


果ては、大っぴらに、お上にその一部を献上するということもあった。


その結果、お上のご不興を買うどころか、“嘉納されたもの”と閑院左大臣は受け取り、ますます増長したのである。


そのような閑院左大臣の権勢ににわかに水を差すことが出来した。


それは、尚侍(ないしのかみ)の入内であった。


このお方は、弘徽殿女御同様、藤原北家の血を引いていた。


けれども、嫡流にあらず、二番手の党派より出た方である。


それも、その党派の棟梁である現内大臣の実子ではなくて、従兄弟の娘であったものを、内大臣が自分の養女として入内させたのであった。


元々、尚侍というのは、女官の総取締まり(最高位)とも言うべき地位ではあったが、今では、お上の妃嬪の中に組み込まれるべきものになっている。


そして、本来、尚侍は、摂政関白の娘がなるものとされている。


よって、内大臣の養女は、通例ならば、尚侍になどなれるべくもなかった。


内大臣も、端(はな)からそのような願望は持っていなかったのである。


大体において、まだその当時、彼は大納言の一人でしかなく、通例に沿って、養女が更衣にでも収まれば、まずは『御の字である』と考えていた。

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