レポート本文



 …………「頭をむしり取る男」の、典型的な遭遇体験をここに引いてみよう。

 2016年、ドイツの田舎町に住むブリギッテ・ヴァインベルガー(76歳)の証言である。





 私は時折、森に行くのです。キノコや野草を取りに行きます。時には奥の方へと進みますが、迷ったことなどはありません。自分の家の庭のような森なのです。

 その日もいつものように、暑い時間が過ぎてからの4時ほどに、森に入りました。小さなカゴをひとつ抱えて、さほど奥には行きませんでした。夕方になりかけておりましたから。

 しかし、道に迷ってしまったのです。

 何故迷ってしまったのかと言えば、急に霧が出てきたからなのです。

 数メートル先が見えないほどの深い霧で、まるでおとぎ話の導入部のようだと思いました。

 方向もわからなくなりました。すぐ帰るつもりで出たので、電話(※原文注 スマートフォン)も持っていません。霧の向こうの風景が暗く、暗くなっていき、夜が迫ってくることだけがわかりました。

 霧と夜に包まれていく恐怖に、私は進むことも戻ることもできなくなり、立ち止まってしまいました。 

 体がぶるぶる震えて、心臓が早鐘のように打ちます。どれほど経ったのかわかりませんが、ひどい空腹もおぼえはじめました。

 恐怖のあまり、夫にも息子にも聞こえないとはわかっておりましたが、

「助けて! 誰か! 助けて!」

 と叫びました。


 その、叫んだ直後でした。

 おかしな話なのですが、私の周りがパッと突然、昼のように明るくなったのです。

 それだけではありません。さらに不思議なことに、木や、茂みや、草が、「平べったく」、また「稚拙に」なったのです。

 周囲の草木は凹凸がなくなり、豊かな自然が持っているあのきめ細やかさが失われ、まるで子供の絵のようになりました。

 しかし、霧は晴れませんでした。平べったい風景に白い霧が充満しています。

 私はどうしたことかと思いましたが、霧が晴れない限りは、ここからあまり動かない方がいいと判断しました。

 ぺったりとした、ペンキで塗ったような質感となった木に寄りかかり、これからどうしようかと思案しました。


 すると、霧の向こうから、「彼」が現れたのです。


 まず最初に目に入ったのは、真っ赤な服でした。サンタクロースのように全身がほぼ真っ赤でしたが、サンタのように恰幅はよくなく、普通の体型ではあるのでした。

 ただ、等身がおかしいのです。 

 頭が異様に大きいのです。巨大なのです。あまりに巨大なのです。

 周囲の風景の稚拙な様子に似かよった、子供の落書きのようでもありました。

 髪の毛は一本もなく、顔らしき部分の真ん中に、人とは思えないほどの巨大な鼻がありました。

 霧の中にいるせいでこのくらいの容姿と顔の作りしか見て取れませんでしたが、それだけでも異様な存在であることはわかりました。


 彼──その時やっと、声色で性別がわかったのですが──は、霧の中から私に何か言いました。

 どうやら名乗ったようなのでした。赤い服の胸のあたりに手を当てて、言っていましたから。

 しかしそれはドイツ語ではありませんでした。おそらく、英語でもないと思います。フランス語の調子ともイタリア語とも違います。アジアの方の、フィリピンか中国か日本か、そのあたりかもしれませんが、わかりません。

 言葉がわからなかったので、私は首を横に振りました。

 すると、彼は──

 彼は頭に右手を乗せました。

 そしていきなり──頭の端を引きちぎったのです。肉を裂くような鈍い音もなしに。いとも簡単に。

 私はあまりの出来事に、膝の力が抜けて、座り込んでしまいました。

 これだけでも耐えがたいというのに、さらにおそろしいことが起こりました。

 彼はそれを、私に差し出すのです。私の目の前にです。

 それには、なにか黒いものがみっしりと詰まっていました。あれは彼の脳だったのかもしれません。

 かすかに匂いがしました。血や肉の匂いではありませんでした。

 けれど──これはあまり言いたくはないのですが、うっすらと焼けたような、甘いような匂いでした。

 忘れきっていた空腹がにわかに甦り、手に取ってかぶりつきたくなりました。その一瞬の理性の消失、それが私にとって最大の恐怖でした。 

 彼はまた話しています。優しげな声です。しかし意味はわかりません。けれどこの身ぶりで、「食べなさい」と言っているであろうことはわかりました。

 私はぺったりとした木をはねのけるように立ち上がり、今来た道を、霧に閉ざされた森の道を駆け出しました。

 彼が後ろからわからない言葉で叫んでいましたが、私は振り返りませんでした。

 途中枝や草にぶつかり数ヵ所、切り傷を負いましたが、もう走れないと思った直後に霧が消え、自然もあの繊細さを取り戻し、私は見慣れたいつもの森の中にいました。

 そこから家までは歩いてわずか1分の距離でした。


 私が陥ったあの世界は、なんだったのでしょう。あの、自分の頭部を引きちぎった、巨大な頭の男は、あれはなんだったのでしょう。





(訳注 以下、フランス、アメリカのオレゴン、テキサスでの体験談も紹介される。

 体験者は男性、男性、女性で、年齢や体験した時期、当然ながら場所もバラバラである。

 また、北米とヨーロッパ諸国にこの体験が集中していることが記されている。

 また、1-ドイツ の証言者がぼんやりと霧を透かして見たという“頭をむしり取る男”の似顔絵も添えてある)




 …………前述の四つの体験には、共通の要素がいくつか見受けられる。




①慣れた場所で霧に包まれて、道に迷う

②「助けて」だとか「誰かいないか」と言った直後に、周囲の風景が“平坦”になる

③霧の中から“男”が現れ、欧米圏ではない言語で話しかけられる  

④“男”は自分の頭をむしり取り、食べろと促すように体験者に向かって差し出してくる

⑤“男”は全てのケースにおいて名乗っているようで、それはごく短い響きを持っており、しかしそれはきちんと理解できない




 言葉を選ばずに書くのであるならば、彼らは「異世界」に迷いこんだものと思われる。

「風景が平坦に感じられる」などの談は、ここに引いた四者を除いた複数の体験者たちの語りにも散見される。

 そこはいかなる世界なのであろうか。

 想像の範囲に止まるがこれは、あの世・冥界に近い世界であると思われる。

 そのように考えるのは ④ の要素からである。

 異世界の住人が、(自分の身体の一部ではあるが)異世界の食物を食べさせようとしている。これは日本の神話や古典にあらわれる、あの世の食物「ヨモツヘグイ(黄泉戸喫 Yomotsu-he-guyi)」を思わせる。それを食べてしまうと、彼岸の住人となってしまう/この世に帰って来れなくなる食物だ。

 なおギリシャ神話にも類似した物語はある。こちらでは冥界に生えていたザクロの実を口にしたが故に、現世に帰ってこれなくなる。

 私も当初は“男”の頭部とは、まさにギリシャ神話のザクロではなかったか、頭の中には表面とは別の「ごつごつしたもの」が詰まっていたとの証言(4-テキサス)もあるためその可能性も加味したが、すぐさま退けざるをえなかった。 

 なぜならば四者、また他の体験からも抽出される要素として、

「差し出されたものから、焼けたような匂いがした」

 とあったからである。これは煮るか焼くかされ、つまりは調理されているようなのである。「煮炊きなど調理したもの」も含めてヨモツヘグイが定義されているのは、日本神話だけである。

 念のためギリシャ周囲の近年の怪異体験談でも、「頭部がザクロになっている怪物」の話は一件も発見できなかったこと、またギリシャ神話では無理矢理に食べさせているのであり、頭をむしり取る男はただ差し出すだけであることを付言しておきたい。

 しかしながら、頭部が「ヨモツヘグイ」で、それを食べさせようとする人物や怪物などを、私は日本や周辺諸国の資料から発見することはできなかった。

 


 最後に残された ⑤ 、すなわち彼──頭をむしり取る男──の名前に関しては、率直に、かつ先んじて言うならば「お手上げ」という状態であると書いておかなければならない。

 三つのごく短い語の連なりから成立しているとおぼしき“彼”の名前なのだが、体験者の誰にも理解できなかった一方で、最後の単語だけは全員が一致して──フランスであってもアメリカであってもだ!──同じものであった、そう聞こえたと語っている。

 彼の名前をアルファベットで、最大公約数的に書き表すとするなら、



(中略)



 ひとつめの単語は、英語とするならば「ひとつの」、フランス語ならば「1」であり、あるい接頭語としてなら「否定」の意を持つ語の響きに極めてよく似ている。


 二つ目はそのまま「鍋」であろうか。または再び接頭語としてとるならば、「全」「全ての」という意味になる。 


 三語目はこれは何故か、体験者全員が「男」、もしくは広い意味での「人間」という単語に聞こえた、と語っている。



 これらの要素を組み合わせてみると、

「ひとつの-鍋(で作られた?)-男」

「ひとりの-全ての-人間」

「全て-ではない-男」

 などの、不穏な呼び名が浮かび上がってくる。最初の名称などはやはり「ヨモツヘグイ」を想起させる。



 だが思い出していただきたいのは、体験者が軒並み「英語やフランス語などではなかった」と語っている点だ。だからこれらの英語、欧米圏の言語に立脚した考察は最初から無駄だった、ということになる。

 ──とは言え、欧米圏でも英語でもないのに、どうして最後が「man」と聞こえたのかには、疑問の余地は残る。

 ブリギッテ(1-ドイツ)の言うように、彼ら/彼女らには馴染みのない──たとえばアジア圏の──言葉であることもありうるが、それではどうして「man」だけは「man」と、はっきりそう聞こえたのだろうか? 

 地球上の言語のキメラとしての異世界言語、あるいは冥界の言語などという想像も膨らむが、想像は想像でしかない。

「頭をむしり取る男」がどこの言語で、何と言っているのか(より正確に書くなら、綴りはどうであるのか)不明である以上、ここから先には進めないことになる………… 




 …………そこで、この中途半端な報告書を、世界各地の学術的友人、あるいは「オカルト」に多少なりとも詳しい知人に送付してみることにした。

 無事にこの書類が届いていれば幸いである。



 なお最後に、大変に重大で、この事象と“彼”の核心に迫るかもしれない話を書き添えておこう。


 ヨモツヘグイとの関連も興味深かったため、誰よりも先んじて日本の心霊研究者に本稿を送ってみたところすぐさま返事が来た。本文には簡単に、


「面白い冗談だ。彼らは“向こう”に迷いこんだのか? あそこはとても平和だ。うらやましいことだ」 


 などと、わけのわからないことが書いてあり、一枚の画像が添付してあった。

 事実と思われずジョークととられたのかもしれない、と画像を開いてみると──

 驚くべきことに、それはブリギッテ(1-ドイツ)の描いた“彼”の似顔絵と類似──いや、ほぼ同じであったのだ!

 おそらく彼が走り書きしたのであろうMANGA(だろうか?)のキャラクターの落書きが、どうして“頭をむしり取る男”と一致するのだろうか?

 日本には妖怪や幽霊を題材にしたMANGAやANIMEも多いと聞く。その中でキャラクタナイズされた存在なのであろうか。しかしそれにしてはデフォルメも何もされておらず、ブリギッテの描いたものとそっくりすぎると思われた。




 本稿の終わり(※訳者注 次ページ)に、日本の研究者氏が送ってきたイラストを添えておく。

 この絵がいかなる幽霊、あるいは怪物のような存在であるのか、“彼”は何であるのか? もしご存じの方がいたら、是非ご教示願いたい。



2020年8月21日

ユタ州立総合大学 

Uriah Shelton O'Sullivan



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