第十六話 個室 彼の過去
「大輔さんって呼んで良いですか?」
彼は笑って三日月型になった目を大きく見開き、眉は驚きで上に上がった。漆黒の瞳に見つめられると息が出来なくなるほどだった。この人が好きだ。それが事実で、どうしようもなく惹かれる。触りたい。苦しい。
一件目で目が合った瞬間から彼のことが気になっていたのかもしれない。あの時も彼にスポットライトが当たっているように見えた。彼だけあの場所に似合わないと感じたが、彼が醸し出す空気感、全てに無意識のうちに惹かれていたのだろう。あんな風に道で偶然会えたのも奇跡だ。甲高い声の彼の部下に感謝しないといけない。
こんなに興奮した状態なのも初めてのことだった。慣れない日本酒のせいもあるだろうが、アドレナリンが分泌し目が冴えて彼の一挙一動全て目で追っている。獲物を逃すまいとする肉食獣のようになっているのが自分で分かる。もちろん獲物は目の前に居て、絶対に逃す気はない。
「それ恥ずかしいな。で名前は教えてくれないの?」
「
名字を教えるとそれで呼ばれる気がして、下だけ教えることにした。俺は彼に下の名前で呼んで欲しかった。
「晴生ね。君ほんと変わってるな。」
彼は日本酒を飲んで、ゴーヤを食べていた。全く合わない組み合わせだと思ったが、彼はその不味い野菜をパクパク食べていた。俺は残りの刺身を溶きすぎた山葵醤油に付けて食べた。やはり舌を刺激した。
「大輔さん、質問して良いですか?」
俺は日本酒で刺身を流し込んだ。鼓動は早いがそれに慣れてきた。
「いいよ。」
彼は日本酒も進みだして、今なら答えてくれるかもしれないと思った。
「俺となんでここにいてくれるんですか?好きな人いないんですか?」
彼は手を止めて、お猪口に残っている日本酒を全て飲んだ。そして一息つき、揚げ出し豆腐に箸を向けながら静かに言った。
「いないな。好きな人とかこの歳じゃもうしんどくて。」
諦めを感じるその言葉は静かな個室で重く響き、笑ってはいるが、先程の笑顔と違うのが俺には分かった。彼がそれ以上聞いてほしくないのがひしひしと伝わったが、知りたい欲が勝った。
「彼女はどれくらいいないんですか?」
彼は豆腐を食べて旨いな、と言うと箱からチロリを取り出して、俺は反射でお猪口を持った。彼がトクトクと注ぎ、そのまま自分のお猪口にも注ごうとした。
「入れます。」
「いいよ。気にせず食べな。」
彼は自分のお猪口にも酒を注ぎ、それは無くなった。俺はそれをただ見つめることしかできず、また一線引かれたと感じた。突っ込んだ質問を続けざまにしてしまったことを悔いた。彼を相手にすると、いつものように様子を見て言葉を投げかけることができなくなってしまう。
「離婚してさ、全部俺のせいで彼女には悪いことしたなって。恋愛だけが人生じゃないだろ。今君と飲んでて楽しいからそれでいいよ。」
彼はそう言いながら上着を着だした。俺はどうすれば良いか分からず戸惑っていたら、彼が俺の横に来て腰掛け、靴を履きだした。
「煙草吸ってくるから、日本酒何か頼んどいてくれる?」
俺は咄嗟に彼の腕を引いた。
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