『美少女が一生に一度のお願いを何でも聞いてくれる力』を手に入れたのだが、どうやらエッチなことに使っている場合じゃないらしい

庵才くまたろう

第一章 プリズムウェル:それは誰かの明日を切り開く力

第1話 異世界は垂直落下と共に

「なんでこんなことになってるんだよぉおおおおお!!!」


 俺は今、鬱蒼と木々が生い茂る森の中を全速力で駆け抜けていた。地面からひょっこりと顔を出す木の根を躱し、乱雑に転がる大岩を飛び越え、そして背丈ほどもある草原をかき分けながら目的もなく知らない森の中を走り回っていた。


 なぜこんなことをしているのかって?


「いい加減に諦めろよこんちくしょぉおおおおお!!!」


 俺は今、見たこともないデカい猪に追われているからだ。


 事の発端は三十分ほど前。俺は鼻を通り抜ける土の臭いで目を覚ました。辺りを見回すと見覚えのない森の中。というか東京というジャングルで生活をしていた自称普通の高校生だった俺には森というもの自体が普段から縁のないものなのだが。


 それはそれとして何故自分がそんな場所に放り出されているのか混乱していたのだがとかくその場にじっとしている訳には行かない。喉も渇けば腹も減るのだ。そう思い至った俺は歩き慣れない森の中をただ無心に歩くことにしたのだった。


 そして出会ったのが今俺の背中を熱心に追いかけて来ている巨大猪と言う訳だ。これがナイスバディの綺麗な女の子だったりしたら良かったのだが、世の中はそんなにうまいこと行かないらしい。


 お食事中のところを邪魔してしまったのか猪のお怒りを買ってしまったらしい。それ以来俺はこうして彼か彼女か分からない獣と森の中で命がけの鬼ごっこと言う訳だ。


「あぁ……どうしてこんなことになってしまったんだよ……」


 元はと言えばあの美少女が悪い。いや、違うな。彼女も仕事でやってたんだ。だったら強いて言うなら悪いのはあの子の上司と言う訳だ。


 こんな宴会の罰ゲームで決めたような力を与えやがって。実際に会ったら絶対直接文句を言ってやらなければ気が済まない。


「っと、道が開けたっ!」


 気づけば森の一部を抜けたようだ。目の前には落ちたらそのまま一生目が覚めることが無いような高さの崖が広がっていた。これで上手く奴を撒ければ……。


 猪突猛進なんて言葉がある。あれだけの勢いの猪がまっすぐに進んでくるんならこちらとしてもそれを利用してやらない訳にもいかない――


「って凄い勢いでブレーキかけやがったぁっ!!!!」


 左の両足をぐいと地面に押し込むように突き立てるとそのまま猪は器用にその場で垂直に曲がって見せた。畜生……何が猪突猛進だよ。俺はもう一生四字熟語なんてものは信頼しねぇ!


 なんて義務教育の敗北に意識を引っ張られている場合じゃない。巧みなコーナリングで一気に距離を詰められた俺はさらに肺が痛くなるのをこらえながら足を動かす。


 先ほどから散々猪なんて呼んじゃいるが今背中を追いかけている猪は明らかに俺と知っている猪とは違うのだ。


 槍のような鋭い二本の伸びた牙。そして小さな戦車を想起させるようなたくましい体躯。突き刺されるか突き飛ばされるか。どちらにしろあんなものに追いつかれたら無傷で済むわけがないのだ。


 だから俺は足を止めることが出来ない。


「こんなところで死ねるかよっ!」


 近くの木に手を伸ばし、それを軸に一気に方向を転換させる。腕が引きちぎられるような激痛に思わず顔が歪むがそんなことを気にしている場合じゃない。


 俺の急な方向転換に驚いたのか猪は今度こそ足を滑らせ崖下へと姿を消した。


「……やった……生き残ったっ!……生き残ったぞっ!!!」


 誰が聞いてるのか分からないが俺は大声で自分の勝利を空へと告げる。


「はぁ……それにしても……」


 一つ大きく深呼吸をすると、それはそれは大きな音が一つ鳴った。


「腹減ったなぁ……」


 思えば最後に何かを食べたのはいつだろう。そう思うと途端に空腹感と喉の渇きが俺を襲った。

 さすがにいつまでも勝利の余韻に浸っている訳には行かない。


 そう考えた俺は山を下りるついでに何か口にできそうなものを探して辺りをうろつくことにした。幸い開けた場所に出たおかげで大体の方角はつかめている。崖からどこか下に降りられる場所を見つけて、そこから更にずっと緩やかに下っている方へと向かっていけばいい。


「これ、食べられるのか……?」


 歩いていると、時折果物らしきものが視界に入る。

 未だ自分の置かれている状況が全く理解できない場にあっても、どうやら周りの景色に気を配れる程度には余裕が出てきたらしい。


「…………やめとくか」


 かといって、それをやすやすと口にするほど非常識な生き方はしていない。いくら目の前の真っ赤な果実が魅力的だろうと、それが毒である可能性は考えなければならない。


 こんな森の中で、そんなものを口にして動けなくなったなんてリスクは背負いたくない。あの美少女が何と言おうと俺はまだこのよくわからない世界で生きている。自分の命をやすやすと投げ出すような行動だけはやっていいはずがないだろう。


「……ん、あれは?」


 しばらくすると聞き覚えのある音が聞こえてきた。


「水の音だ……」


 空腹もそうだが喉もすっかりカラカラだった俺は一心不乱に音の方へと駆け出していく。しばらくすると目の前には小さな小川が現れた。小川の先は滝のようになっていて断崖から下へと流れ落ちているようだ。


「とにかくこれで水にありつける……っ」


 すっかり安心した俺はそのまま両手で水を掬い上げて、そしてそれと目が合った。


「あ、どうも。お邪魔してます」


 先ほど崖下に落ちていった猪と同じ種類の生き物がそこでは呑気に水を飲んでいた。


「ぶもぉおおおおおお!」

「い、いったん落ち着きましょうっ!?話せばわかるっ!」


 なんて慈悲が通じる訳もなく興奮した猪はそのまま俺へと突っ込んできた。


「ま、待てって、俺はただ水を飲みに来ただけっ――」


 先ほど周りの景色に気を配れる程度には余裕が出てきたらしい、なんてことを思ったが全くそれは嘘だった。あれはただ安心感からそう思い込んでいただけだったのだ。


「あ……」


 俺はすっかり忘れていた。何をかって? 真後ろが断崖絶壁だったってことだよ。

 そしてそのまま足を踏み外して真っ逆さまに落ちていく。


 視界一杯が真っ暗になったかと思えば急激に口の中に水が流れ込んでくる。覚えのある感覚に必死に体を動かすとようやく新鮮な空気が肺の中に広がっていく。


「え、あっ……俺、生きてる……」


 俺は今、小さな湖のような空間にぷかぷかと浮かんでいる。どうやら直前に足を滑らせた俺はそのまま滝つぼに落下してしまったらしい。下が深い水になっていたおかげで短時間の気絶だけで済んだようだ。


 どうやらそこまで深い水でもないようで、浮いたり沈んだりを繰り返しながら地面を目指すことは可能なようだ。靴の中に入った水が気持ち悪くて水を吸った服が重いが、そんなことを言っている場合じゃないだろう。


「っと……」


 なかなかに苦戦をしながら陸地へとたどり着くとそのまま上着を脱いで吸った水分を思い切り絞る。


 どうやら突然のことで俺はすっかりと周りのことが見えていなかったようだ。

 その人に気づいたのはずぶ濡れのズボンを脱ぎ切って、靴の中に入った水分をいかにして乾かそうかと考え出したそんな時だった。


 すらりと伸びた手足、水にしっとりと濡れたブロンドヘア。後姿のためよく見えないが、時折覗く横顔がその人物が少女であることを認識させる。


「……っ」


 息を呑む、とはまさにこういうことを言うのだと思った。


 年相応の柔らかそうな肢体が纏った水に反射した光で眩しく輝いて見える。綺麗だな。不埒な感想を思う間もなく、彼女の姿は俺にそう素直な感想を抱かせた。


 ずっと眺めていたい。そう思わせるほどにその光景はどこか幻想的にも見えた。しかしそんな時にも終わりは訪れるもので、ふと彼女の視線が俺と交わるのが分かった。


「あ……」


 俺のあっけない呟きと彼女の絶叫が響くのはほぼ同時。


「だ、誰よヘンタイっ!」


 これが、俺と彼女の最初の出会いだった。

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