第16話2014年初秋―緑の風を追って③
「こんなところへお呼びして申し訳ございません。本当は一教育者としてご自宅へお伺いしたかったとですが、必ずしも父親としてのご意見をお聞きできるとは限らんけん」
佐奈子の控えは一歩ずつ後退りしているが、正晃を見定める眼光は衰えていなかった。正晃が人間でもなくトビヒ族としても認められていないと思い知らされて、不快になった。
「私が何かしでかしたとでも? そいでなければ妻子と離れた時間帯に呼び寄せんでしょう」
「いいえ、貴方は人間界に生きるトビヒ族の模範です。何も卑屈になることは無かとですよ。人間を後妻に迎え、両族に無害でい続ける貴方には。けど、どがん模範にも必ず限界のある。心当たりがあるはずばってか?」
佐奈子は一枚の厚紙を握らせた。正晃の太い指で皺になるが、佐奈子は気に留めなかった。
「人間として
「瑚子を好奇に晒せる訳の無かでしょう。あの子に陸上競技ばさせたらどいだけでも簡単に優勝できるとは、
「トビヒ族ほどでなくとも、人間にも俊足はいくらでも居るけん。聖マリアンヌの花形選手は何も貴方のお嬢様でなくても、功績は十分成り立ちます。ばってか、お嬢様が絶対に覚醒しない保証はどこにも無か。お嬢様がご自分を人間であると思い込んで生涯をまっとうできるなんて、夢見とるとは言わせんけん。貴方と同じ偽装ばさせとる限りはね」
正晃は眉間に筋力が集中してしまい、眼球に微妙な違和感を感じた。だがそれはあくまでコンタクト・レンズによる物理的な不快感であって、人間と共通して起こるドライ・アイだ。
正晃がこれまでの生で人間と異種族だと自覚したのは、足の骨を忘れるほどの筋肉と、裸眼のもえぎ色の色彩のみ。力の覚醒など問われても、漠然としたイメージすら伝えられない。
「では逆に訊くばってか、貴女にはあの子の覚醒を回避――否、穏やかな生を
佐奈子は首を傾げた。眼光の残像が傾度に合わせて二色の虹を描いた。
「失礼ですが、貴方は杜に生きるトビヒ族よりも頭が堅かごたるようで。それに娘想いも度が過ぎとる。私も、相手は人間といえども人様のお嬢様を預かっとる身。それなりの責任のあるけん、貴方の気持ちはまったく理解できんわけでもなかですばってか。私は貴方のごと勘違いばしとらんです。何もかも大人が守って管理してやらんばなんて、子どもに対して傲慢とは思わんですか? ましてや私も最終候補ではなかったけん、貴方同様、お嬢様だけにぴったりくっついとるなんてできんとですよ。トビヒ族だけでなくハナサキ族のことも見らんばならんし、人間の教育者としても年々仕事が増えるしで、ゆっくり寝とる時間が欲しぅてたまらんで」
「――つまり、両方の立場を踏まえて、貴女は何が言いたかとですか? そろそろ帰らんば、娘が夕飯の食べられんとですが。そうしたら妻から晩酌ば取り上げられてしまいます。私にとって、帰路は時間との勝負なんです」
正晃が背を向けかけると、えんじ色の蛍光が宙に揺れていた。羽ばたく音からして、小柄のハナサキ族本来の姿三体だった。このまま佐奈子と分かれても、大通りに出るまでにトビヒ族本来の姿数体と遭遇するだろう。結局は佐奈子の話を最後まで聞かざるを得なかった。
「
佐奈子はそれ以上語らず正晃を見送った。正晃の予想通り道には小柄なトビヒ族本来の姿が三体控えていて、村雨宅に最も近い出口まで案内した。
この日の六時間目は体育で、瑚子はいつにも増して腹を空かせていた。
瑚子は痺れを切らして不機嫌で正晃を出迎え、友里子は日課の晩酌を缶ビール五百ミリリットル一本を百五十ミリリットル一本に強制的に替えた。
正晃が最寄りのコンビニで購入した謝罪品、シュー・クリームとゼリーは、正晃が晩酌を始める前に瑚子と友里子二人が平らげていた。
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